不時着カロン船のミスナビ

不時着カロン船のミスナビのトノヅカさんは、いまはミネラルのとりでを空と呼び捨てにというブログをやっている。

トノヅカさんのテキストは、どう形容すればいいのかわからない。ちょっと変わった文章な気がする。よしあしではなく、すこし屈折しているような文体というか。当時のサイトについては、残念ながらはっきりとは思いだせない。うえお久光というライトノベル作家にずいぶんこだわっておられたのではないか。アニメの「フリクリ」についても、何度もふれられていたようにおもう。オタクやサブカルといったカテゴリをこえてカッコいいもの、清涼感のあるものを好んでらした印象がある。

トノヅカさんは、天野大気さんのサイトの愛読者として強く記憶されている。まったく新しくてクスリと笑えて、ふしぎなまでに眺めていて心地よい「ほわほわ」に、あのころの僕たちは魅せられていた。次の更新はまだかまだかと、パソコンからインターネットにつないでのぞきにいくのが、毎日の楽しみだった。同じサイトを一日に何度も見にいった。自動更新取得サービスなんてものが、まだ一般的ではない時代のことだ。天野さんについては、またそのうちに語らせてもらうことになるだろう。これらの話は過去形のようでいて、どこかでたぶん過去形ではないのである。

そのトノヅカさんがこのたび、短歌同人誌「隣述(となりぜ)」を送ってくれた。おひとりによる同人誌、つまり個人誌で、これが創刊号なのだそうだ。エッセイや詩もあって、じっくりおもしろく読むことができた。ありがとうございます。

短歌についていえば、いちばん好きな作品は、これかもしれない。


いもうとをクリア出来ない眩しさのまたあふれだしそうな前夜だ


うーむ、笑ってしまう……。ギャルゲーには、「攻略」できるヒロインとできないヒロインがいて、なんてフォローはここでは野暮なのだろう。念のため申しておくと、攻略といっても、全年齢版的なものであれば、まずえーと、性的なニュアンスはありません。ほんとだってば! でも、前夜とは、いったいなんの前夜なのか。クリスマスのなのか。結婚式のなのか。かっ、革命の……なのか。そしてあふれだしてしまいそうなのは、いったいなんなのか。性的なものなのか。プレイヤー自身から発されるひかりなのか。なんにせよ、この歌のよさをわかってしまうひととは、ムダにして崇高な時間を、ずいぶんに共有してしまっているような気がしてならない。

個人誌を送っていただいたといっても、いままでのトノヅカさんとのやりとりは、数回のメールがすべてであるはずだ。だからもちろん、お会いしたことなどもない。それでもたぶんまちがいないのは、十年間、同じひとつのサイトをリスペクトしあいつづけたということだ。インターネットの微弱な電波そのものによってひかれあい、ゆらめき、ささやかに交感しあいつづける。トノヅカさんとはそんな関係なのだ、いや、そうであればいい。というか、そんなふうに勝手に、こちらのほうでは決めこんでいる。