決戦

大森望さんをはじめとする、海外SFの紹介者・翻訳者たち。そんなひとびとに、「師匠」と呼ばれ崇めたてまつられているのが水鏡子(すいきょうし)先生です。ちょっと変わったペンネームですが、女の子ではありません。「ちかごろは丸くなった」ともいわれる先生ですが、その伝説的エピソードの数々は、しばしばネットでも話題になっています。

きょうご紹介するのは、先生によるSFの文庫本のレビュー。山岸真さんと小川隆さん編の『80年代SF傑作選』(上下巻)という本です。冒頭から抜きがきさせていただきましょう。

 10月にはいって、読む本がなんにもないやとぼやいていたら、月末あたりから出るわ出るわ、枕元に積みあがった本のかさにげんなりして、逆に全然読めなくなってしまった。それでも年末に向けて、総まとめはしないといけないし、がんばるしかない。
 今回の目玉はなんといっても『80年代SF傑作選 上下』である。今年の翻訳SF本のまちがいなくベストである。ひさしぶりに全作品にコメントをいれてみる気になった。SFMに載った翻訳短篇をあんまり読んでないはずだけど、ここに収録されたのはそこそこ読んでいるみたい。そういう意味ではわりと古い作品が選ばれてるということになる。
 全体のコンセプトは、アンソロジーとして最良の部類である。思い入れのはいった序文もいいし、作品単位の解説もいつになく自信とめりはりがある。80年代という状況を俯瞰し意味づけようとする作業としては、党派的色彩をそこそこに盛りこんだバランス感覚が好ましい。
 個々の作品の評価に移ろう。作品集の性格として、出来がよくてあたりまえ、というのが前提条件になってくるので、評価は1ランク低めになる。

 「ニュー・ローズ・ホテル」ウィリアム・ギブスン 再読。洗練されたエンターテインメントとしての文学的感動を生むスタイリスト。純文としてはむろんのことSFとしても凡庸である。SFのなかに置いたとき、はじめて輝く風俗小説作家というのが、ウィリアム・ギブスンに対するぼくの一貫した評価であって、本篇はその最良の例といえる。評価4。

 「スキン・ツイスター」ポール・ディ=フィリッポ 再読。めずらしくもないアイデアにかさついた性格の登場人物を配した凡作。キャラクターの個性が非モラルであるところが80年代の空気を象徴しているというなら、なにもSFにこだわるまでもない。短篇の組み立てとしては一本抜けてるものがある。フィリップ・K・ディック『いたずらの問題』の当局からはモレクがわからないといわれそう。そのあたりは、短篇の約束事をきっちり守って、紋切型を読まされた読後感を与えられた「ブラインド・シェミイ」と対象的。たしかにこの二つの短篇はストーリイの核の部分で呼応しあっている。どっちもたいしたことはないけど、ジャック・ダンの方がまだ趣味である。評価1。

 「石の卵」 キム・スタンリー・ロビンスン 作品集に入れるほどのものかという疑問は残るが、別に悪い話でもない。評価2。

 「わが愛しき娘たちよ」コニー・ウィリス 再読。「少年と犬」の系譜に連なる好感の持てる作品というのが、折りに触れて唱えているぼくのなかでのこの作品のポジションで、むしろ近来ものにはめずらしくSFっぽい骨格を備えている。評価4。

 「ブラインド・シェミイ 」ジャック・ダン さっき触れたように、「スキン・ツイスター」と共鳴しあうところに収録された値打ちがある。評価2。

 「北斎富嶽二十四景」ロジャー・ゼラズニイ この人の魅力って、スピーディな展開の中、一本気な、本質的に濁りのない登場人物たちがけっこう含みのある会話を軽く洒落のめしながら進めていくところにある。へたに深刻ぶると、かっこつけるぶん頭のわるさがモロに出て、思わずどなりつけたくなる。本人はいたってまじめに立派な主義主張を唱えているつもりなだけに困ったちゃんになるのである。で、そういう話の方が世評が高かったりする。これも困った話である。本篇などその典型で、謎めかして小出しにしていくアイデアや、動機と基本となるスローガンがめまいがするほどバカなため、知識と教養がてんこ盛りされた中篇のヴォリュームを支えきれない。あふれるような教養を身につけても、バカはバカでしかないことを痛感させられる。評価1。(いまさらながら言っとくけど、わたしゃゼラズニイのファンなんだからね)。

 「みっともないニワトリ」ハワード・ウォルドロップ 再読。ある種短篇のお手本みたいな作品だけど、もうこういう小説が書けるかどうかは作者のセンスの問題である。SFでもなんでもない、いかにも70年代ものという点をのぞけば、収録されたことも含めて文句はなにもない。評価4。

 「竜のグリオールに絵を書いた男」ルーシャス・シェパード 再読。これまた純然たるファンタジイ。これをSFだと強弁する言というのは聞きたくない。しかし収録されたことについて文句はない。上巻の柱である。評価4。5でもいいかな。

 「マース・ホテルから生中継で」アレン・M・スティール 粒が小さいのと、80年代SFという刺激性に欠ける点で、作品集のコンセプトにはむしろマイナス。ただし、こういう話は基本的に好きだ。評価3。

 「シュレーディンガーの子猫」ジョージ・A・エフィンジャー 再読でなかったりする。なにがやりたかったかわかるけれども、つまらない。評価1。

 「胎動」マイケル・ビショップ 再読したら、いい話だった。でもぼくが抱えこんでるマイケル・ビショップのイメージって、いい話を書く作家じゃなくてもっと挑発的な作家なのね。80年代のビショップってみんなこんな感じがしてしまうのがものたらない。評価3。

 「祈り」ジョアンナ・ラス 再読。SFマガジンで読んだとき、感動した記憶がある。今度もこの作品の再読がじつは期待の一番星だったりする。80年代作品集というコンセプトのなかでどれだけの力を持てるかってね。
 読みなおすとけっこうマイルドな印象に変わっていた。アイデアだけでなく、文体まで含めた話の出来あがり方とか余韻まで、ジェオムズ・ティプトリー・ジュニアの「男たちの知らない女」や平井和正「悪夢のかたち」を連想する。ポール・アンダースンの「野生の児」やクリス・ネヴィルの「ベティアン」も同じ系統かな。評価4。

 「間諜」ブルース・スターリング 再読。短篇集『蝉の女王』は意外な粒の小ささと紋切型の話の作りが気になって、『スキズマトリックス』でのぼくの評価を一部ダウンさせられたのだけど、この作品はいい。そのまま『スキズマトリックス』につながる味がある。評価3。

 「確率パイプライン」ルディ・ラッカー&マーク・レイドロー いつものコメント。ラッカーが噛むと、なんか話が面白くないのだけれど、つまらないと言いきるのにためらいが残る。主観的には1をつけたい気があるけれど、評価不能としておこう。

 「ペーパードラゴン」ジェイムズ・P・ブレイロック この作家ってわりとだめ。のめりこめないで、いいふんいきをだしてるじゃないとよそごとみたいにつぶやいておわってしまう。長篇をまだ一冊も読んでない。これも純ファンタジイ。評価2。

 「血をわけた子供」オクティヴィア・バトラー つまらない。わたしゃ「愛はさだめ、さだめは死」に3しかつけない人間なんだからね。「ことばのひびき」の方が好きだ。評価2。

 「ぼくがハリーズ・バーガー・ショップをやめたいきさつ」ローレンス・ワット=エヴァンズ なんというか、こころあたたまるSF小話のスタンダード・ナンバー。50年代SFだといって紹介してもすこしも違和感がない。2も4も絶対につけることができないまるっきりの評価3。

 「鹿金戦」グレッグ・ベア 10代のころなら、まちがいなく5をつけていた。熱狂的に支持をしていた。収録されたどの作品よりこの作品の中にこそ、根源的なSFのエッセンスが詰めこまれている。不幸なことに、ここでいうエッセンスという言葉の中には、本質的に凡庸である、鈍重である、武骨である、といったマイナス面まで含まれてしまう。マイク・レズニックをソフィスティケートされたポール・アンダースングレッグ・ベアをスケールアップしたポール・アンダースンというのが毎度くりかえしている持論であって、この二人にこそ現代SFの中心点にいてほしいとは思うけど、ソフィスティケートされようが、スケールアップされようが、所詮ポール・アンダースンポール・アンダースン、凡庸で、鈍重で、武骨である。評価4。

 「帝国の夢」イアン・マクドナルド ひとつだけはいっているイギリス作家、トリをかざる作品という見方からすると、この話は弱い。アイデアは珍しいものでないし、書き方にもかったるさがある。わかりやすい泣かせ話という意味で一般受けはするかもしれない。レイ・ブラッドベリの「ロケットマン」を連想したけど、あれとくらべると小説の凝集度において大きく欠ける。サイバーパンク・ヴァージョンのふりをして上巻にまぎれこませた方がよかったんじゃあないだろうか。評価2。

一作一作に、こだわりとパッションのほとばしるコメントをつけていかれます。これだけでもう、なんだかお腹いっぱいになってしまいそうです。

しかし、先生がすごいのはここからです。このアンソロジーは、どういうわけか先生のなにかを刺激し、火をつけてしまったようです。先生はここから、自分で編んだアンソロジーでこの本に対決を挑みます。年代の区切りは元の本とはちがいますが、作品ごとにわりあたえられている役割、配列などが対応するようになっているそうです。そして各作品ごとにも、熱血な解説が付されています。

以上、結局5がひとつもつけなかったけど、アンソロジー全体には5をつけたい。

 最後に本書の並びの作品に合わせるかたちで、70年代傑作選を作ってみた。内容にけちをつける意図ではないからね。山岸先生。単に、70年代対80年代の勝負をしてみたくなったというだけ。(ほんとうは、65から74年でやりたいのだけどね。この区分だと、第二黄金時代の後期から、LDGまで全部はいってしまうのだね。)

 80年代                      70年代
ウィリアム・ギブスン          ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
「ニュー・ローズ・ホテル」       「そして目覚めるとわたしはこの肌寒い丘にいた」(72)
ポール・ディ=フィリポ         ヴォンダ・マッキンタイヤ
「スキンツイスター」          「火の河」(79)
キム・スタンリー・ロビンスン      カート・ヴォネガット
「石の卵」               「ビッグ・スペース・ファック」(72)
コニー・ウィリス            ジョン・ヴァーリイ
「わが愛しき娘たちよ」         「鉢の底」(75)
ジャック・ダン             ノーマン・スピンラッド
「ブラインド・シェミイ」        「美しきもの」(73)
ロジャー・ゼラズニイ          フィリップ・ホセ・ファーマー
北斎富嶽二十四景」         「わが内なる廃虚の断章」(73)
ハワード・ウォルドロップ        R・A・ラファティ
「みっともないニワトリ」        「田園の女王」(70)
ルーシャス・シェパード         マイケル・ビショップ
「竜のグリオールに絵を書いた男」    DEATH AND DESIGNATION AMONG THE ASAD                    I (73)
アレン・M・スティール         アーサー・C・クラーク
「マース・ホテルから生中継で」     「メデューサとの遭遇」(71)
ジョージ・アレク・エフィンジャー    ラリイ・アイゼンバーグ
シュレーディンガーの猫」       「時と場所の問題」(70)
マイケル・ビショップ          F・M・バズビイ
「胎動」                「ここがウィネトカなら、きみはジュデ                    ィ」(74)
ジョアンナ・ラス            ハーラン・エリスン
「祈り」                「死の鳥」(73)
ブルース・スターリング         アーシュラ・K・ル=グィン
「間諜」                「オメラスから歩みさる人々」(73)
ルーディ・ラッカー&マーク・レイドロー G・R・R・マーチン
「確率パイプライン」          「龍と十字架の道」(79)
ジェイムズ・ブレイロック        トム・リーミイ
「ペーパー・ドラゴン」         「サンディエゴ・ライトフット・スー」                    (75)
オクテイヴィア・バトラー        ケイト・ウィルヘルム
「血をわけた子供」           作品未定
ローレンス・ワット・エヴァンズ     ロバート・シルヴァーバーグ
「ぼくがハリーズ・バーガー・ショップをやめたいきさつ」 「世界の終末がどうの                            (題名忘れた)」(72)
グレッグ・ベア             フレデリック・ポール
「鹿金 戦」              「星虹の果ての黄金」(72)
イアン・マクドナルド          バリントン・J・ベイリー
「帝国の夢」              「ドミヌスの惑星」(73)

 編んでみて、最大の難点はほとんどが単行本で読めること。逆にいえば80年代傑作選が編まれる必要があったことを痛感できる。単行本で読めるものをアンソロジーに含めることはぼくの趣旨に反すのだけど、70年代傑作選というコンセプトからはしかたがない。中篇が長くなって分量的に二割がたは増えているから、これで勝負というのは少し卑怯な気がするけれど、とりあえず70年代の圧勝だと(わたしは)思う。それにしても、こうしてみると、727374というのはとんでもない年だったのだなあ。

 1のジェイムズ・ティプトリージュニアについては、できれば「最後の午後に」か「われらなりに、テラよ、奉じるはきみだけ」をグレッグ・ベアの場所に置きたかったのだけど、ウィリアム・ギブスンの置かれている象徴的位置と作品の長さに照らすと、これをもってくるしかないだろう。

 2ウィリアム・ギブスン流れをもってきた二作めに合わせるには、まだ新しい輝かしい波であった女流作家(やや小粒どころ)というのを持ってくるしかない。パミラ・サージェントの「クローン・シスター」(73)を考えたのだけど、80年代版に比べてやや弱くなる。ヴォンダ・マッキンタイヤのこの作品はちょっと長いかもしれない。

 3バート・K・ファイラー「時のいたみ」を持ってこようとしたら、68年だった。

 4伝統派の作家であるコニー・ウィリスが置かれているここにジョン・ヴァーリイを置くのが適切かどうか、ためらいが残る。

 56と少し古めの作家のこの時代の作品を並べている。?に「ハングマンの帰還」(75)をぶつけろことも考えたけど、弱いものいじめをしている気がして、この選択になった。でもこのほうが強力。

 7のハワード・ウォルドロップは80年代にはいっているほうがもともとおかしいのである。ほんとうはここにF・M・バズビイを置きたかったのだけど、『タイムトラヴェラー』(新潮文庫)のメイン二作が続くことになる。R・A・ラファティの作品はへんな話にするかいい話にするか迷ったあげく、いい話を選んだ。

 8のルーシャス・シェパードは上巻の白眉だろう。ここにはどうしても横綱がいる。というわけで、『樹海伝説』第一部、70年代ビショップの最高峰を設置する。「はぐれトマト」に未練も残るのだけれども、あれではここにそぐわない。

 次の9番、ハードSF。これがない。というか、わからない。J・P・ホーガンとかグレゴリイ・ベンフォードとかもねえ。ラリイ・ニーヴンも短篇のピークは60年代後半なのだ。(チャールズ・シェフィールド? ああ、そんな人いたっけ)
 もちろんアーサー・C・クラークは傑作だけど、これを入れると本として大きくなりすぎるんだよね。ジョン・ヴァーリイフィリップ・ホセ・ファーマー、マイケル・ビショップ、アーサー・C・クラーク。ノヴェラが四つもはいってしまう。
 そういうわけで、10は短くまとめることにする。トマス・M・ディッシュかバリイ・マルツバーグも考えたけど、後味を気持ちよくということで、この人にした。F&SFの70年1月号だから厳密にいうと69年になるんだけどね。
 さあ、やっと下巻だ。

 11「胎動」と「ウィネトカ」。巻頭効果としてはわかりやすさで「胎動」の勝ち。(いかにも70年代的な)気分のよさで「ウィネトカ」の勝ち。(とわたしは思う)

 12ジョアンナ・ラスの重厚さには、もうこれしかないだろう。一騎打ちである。

 13 80年代を代表する名前には70年代に君臨した女王を持ってくるのが礼儀。たしかにこの二人を並べると、ウィリアム・ギブスンジェイムズ・ティプトリー・ジュニアでは見えにくかったちがう時代の空気というのが感じられる。
 14に共作をいれるべきかどうかで、けっこう悩んだ。ハーラン・エリスンロバート・シェクリイとか、フレデリック・ポール&C・M・コーブルースとか、ジョージ・R・R・マーチン&リサ・タトルとかね。まあ、結局、この作家はいれとくべきだろうってなことで。

 15はSFとじつはそんなに関係ない小説として選んだ。トム・リーミイってぼくはわりとどうでもいい。

 16ジョアンナ・ラスとケイト・ウィルヘルム、最低どっちか一人はいれないといけないだろう。だけど短篇作家としての全体像がぜんぜんみえない。英語の読める人間にセレクションを委ねます。

 17はあっちこっちのファンジンに訳されてたので、じっさいに商業誌に載ったときの題名がわからなくなった。ユニヴァースに載った軽い短篇である。

 18には勝てそうな馬がみつからなかった。ホールドマンの"Hero"、ジーン・ウルフの「アイランド博士の死」、ガードナー・ドゾア「海の鎖」なんかが候補にあがったけれど、ベアのイモイモしさと戦うには70年代作家たちは高踏的すぎた。

 19は80年代版に合わせて収録をしないできたイギリス作家作品。クラークというのは別格である。
 もうバリントン・ベイリーかイアン・ワトスンしかないでしょう。どっちをとるかとなったら、ぼくならやっぱりバリントン・ベイリーになる。

 うーむ。
 自分で作って感心してても世話はないけど、このラインナップはやっぱりすごい。さらにとんでもないのはこの19本のうち75年以降の作品が4つしかないこと。個人的にはその4つを切り捨てても、ほとんど平気であること。そのかわりに65年から69年を組みこんだら、さらにすごいものになりそうなこと。
伊藤・浅倉訳で作品数で過半数、分量で三分の二を占めてしまうこと。
 私見としては圧勝である。
 ただし、とフォローしておこう。一騎打ち19番勝負としては勝っているけど、本としてどうかという点については保留をする。
 有機的連続性の点で、『80年代SF傑作選』はかなり戦略的な選択と配置を行なっているからだ。全体の流れについてきつめゆるめの調整をしたりするのはある意味で当然ながら、ジャック・ダンやロジャー・ゼラズニイサイバーパンクの補完的役割を与え、愚作であっても存在意義を認めさせていたりする。
 そしてなにより全作品の収束点としての、グレッグ・ベアの存在が大きい。あそこにあの作品があるというだけで、このアンソロジーのめりはりは倍くらいちがってきている。ベアに匹敵するような、武骨、鈍重、凡庸な、重厚にしてイモイモしい、野心的な大作をみつけられなかったところが、ぼくのセレクションの最大の弱点である。

なんだかとんでもないことになってきました。「私見としては圧勝である」のドヤ顔感……。「勝手に勝負をしかけておいて自分でジャッジまでしているーッ!?」と少年マンガ調のガビーンの表情になってしまいそうです。

ほとんどもはや、「おとなの遊戯王」の様相を呈してきています。「ここにはどうしても横綱がいる。というわけで、『樹海伝説』第一部、70年代ビショップの最高峰を設置する」。戦闘要員としてのオモシロ海外SFをあらん限りのちからでもって召喚し、仮想空間上で小説同士を闘わせはじめているのです。病膏肓に入る……。

アンソロジーは本であるかぎりにおいて、ページ数の上限がきまっています。だからページ数は相手側にあわせるのがレギュレーションですし、デッキに見たててみるならば、浅倉・伊藤属性のクリーチャー(?)が多すぎるということになるかもしれません。

本気(マジ)になってしまった水鏡子先生は、さらにべつのアンソロジーを思考し、試行錯誤していきます。さっき「最後に」とおっしゃっていたのに……。ここまでくると、並の人間にはとてもついていくことができません。

60年代だったら、もっとうまく強弱がつくはずである。質の高さを見せつける、中央点(シェパード/ビショップ、ラス/エリスンのところ)には、J・G・バラードの「時の声」とかコードウェイナー・スミスの「クラウンタウンの死婦人」を置いて、ラストのベアのポジションには、「エンパイア・スター」か「龍を駆る種族」をぶちこむ。どっちを置くかでかなり作品集全体のイメージが変わることになるけれど、こいつらなら十分に「鹿金戦」と渡りあえる。
 うーむ。
 60年代もやってみたくなってきた。ばかですねえ。

 解説なしで、リストだけ載っける。選び方のポイントは70年代を選んだときとおんなじ。ただし、60年代の場合は、イギリス作家をはずしてしまうと、全体像そのものが描けなくなる。四人ないし五人くらいまぜることにする。逆に女流作家はひとりもいらない。どこをメインにするかで、じつはまるでイメージのちがう傑作選になるのが、60年代なのである。中心点はサミュエル・R・ディレイニーハーラン・エリスンロジャー・ゼラズニイであるにしても、その盟友をイフ誌&ギャラクシー誌(ジャック・ヴァンス、ラリイ・ニーヴン、フレッド・セイバーヘーゲン、コードウェイナー・スミス)にもとめるか、NW&『危険なヴィジョン』(J・G・バラード、ブライアン・オールディス、トマス・M・デイッシュ、ジョン・スラデック)におくか、けっこうむずかしいのである。

 80年代               60年代(標準クラいこわもてモデル)
ウィリアム・ギブスン         ハーラン・エリスン
「ニュー・ローズ・ホテル」      「声なき絶叫」(68)
ポール・ディ=フィリポ        ジェームズ・ティプトリー・ジュニア
「スキンツイスター」         「ビームしておくれ、ふるさとへ」(69)
キム・スタンリー・ロビンスン     バート・K・ファイラー
「石の卵」              「時のいたみ」(68)
コニー・ウィリス           J・G・バラード
「わが愛しき娘たちよ」        「時の声」(60)
ジャック・ダン            バリー・マルツバーグ
「ブラインド・シェミイ」       「最終戦争」(68)
ロジャー・ゼラズニイ         フィリップ・ホセ・ファーマー
北斎富嶽二十四景」        「紫年金の遊蕩者たち」(67)
ハワード・ウォルドロップ       ジョージ・マクベス
「みっともないニワトリ」       「山リンゴの危機」(66)
ルーシャス・シェパード        コードウェイナー・スミス
「竜のグリオールに絵を書いた男」   「クラウンタウンの死婦人」(64)
アレン・M・スティール        ラリー・ニーヴン
「マース・ホテルから生中継で」    「銀河の「核」へ」(66)
ジョージ・アレク・エフィンジャー   ジョン・スラデック
シュレーディンガーの猫」      「教育用書籍の渡りに関する報告書」(68)
マイケル・ビショップ         R・A・ラファティ
「胎動」               「カミロイ人の初等教育」(66)
ジョアンナ・ラス           ロジャー・ゼラズイニイ
「祈り」               「このあらしの瞬間」(66)
ブルース・スターリング        ロバート・シルヴァーバーグ
「間諜」               「ホークスビル収容所」(67)できればもっと短いの。
ルーディ・ラッカー&マーク・レイドローフィリップ・K・ディック
「確率パイプライン」         「パーキイ・パットの日」(63)
ジェイムズ・ブレイロック       トマス・M・デイッシュ
「ペーパー・ドラゴン」        「リスの檻」(66)
オクテイヴィア・バトラー       ハリイ・ハリスン
「血をわけた子供」          「異星の十字架」(62)
ローレンス・ワット・エヴァンズ    ボブ・ショウ
「ぼくがハリーズ・バーガー・ショップをやめたいきさつ」 「去りにし日々の光」                            (62)
グレッグ・ベア            サミュエル・R・ディレイニー
「鹿金 戦」             「エンパイア・スター」(66)
イアン・マクドナルド         ブライアン・オールディス
「帝国の夢」             「賛美歌百番」(60)

 80年代               60年代(偏移おもしろモデル)
ウィリアム・ギブス          サミュエル・R・ディレイニー
「ニュー・ローズ・ホテル」      「ドリフトグラス」(67)
ポール・ディ=フィリポ        J・G・バラード
「スキンツイスター」         「スクリーン・ゲーム」(63)
キム・スタンリー・ロビンスン     シオドア・L・トーマス
「石の卵」              「ドクター」(67)
コニー・ウィリス           ロバート・F・ヤング
「わが愛しき娘たちよ」        「リトル・ドッグ・ゴーン」(64)
ジャック・ダン            ダニー・プラク
「ブラインド・シェミイ」       「何時からおいでで」(66)
ロジャー・ゼラズニイ         アルフレッド・ベスター
北斎富嶽二十四景」        「昔を今になすよしもがな」(63)
ハワード・ウォルドロップ       R・A・ラファティ
「みっともないニワトリ」       「その街の名は」(64)
ルーシャス・シェパード        コードウェイナー・スミス
「竜のグリオールに絵を書いた男」   「アルファラルファ大通り」(61)
アレン・M・スティール        ジェームズ・ティプトリー・ジュニア
「マース・ホテルから生中継で」    「セールスマンの誕生」(68)
ジョージ・アレク・エフィンジャー   フレッド・セイバーヘーゲン
シュレーディンガーの猫」      「理解者」(70)
マイケル・ビショップ         ポール・アッシュ
「胎動」               「コウモリの翼」(66)
ジョアンナ・ラス           フリッツ・ライバー
「祈り」               「六十四コマの気違い屋敷」(62)
ブルース・スターリング        ロジャー・ゼラズニイ
「間諜」               「十二月の鍵」(66)
ルーディ・ラッカー&マーク・レイドローハーラン・エリスンロバート・シェクリイ
「確率パイプライン」         「男が椅子に腰をかけ、椅子が男の脚を噛                    む」(68)
ジェイムズ・ブレイロック       キース・ロバーツ
「ペーパー・ドラゴン」        「レディ・マーガレット」(66)
オクテイヴィア・バトラー       フィリップ・ホセ・ファーマー
「血をわけた子供」          「宇宙の影」(68)
ローレンス・ワット・エヴァンズ    ゴードン・R・ディクスン
「ぼくがハリーズ・バーガー・ショップをやめたいきさつ」 「コンピュータは語ら                             ない」(65)
グレッグ・ベア            ジャック・ヴァンス
「鹿金 戦」             「龍を駆る種族」(72)
イアン・マクドナルド         ブライアン・オールディス
「帝国の夢」             「リトルボーイ再び」(66)

 うーむ。
 60年代がこんなにむずかしいとは思わなかった。
 B面版からもわかるように、いわゆる時代を代表する名作としての意義や風格にかけるいい話がいっぱいあるのだ。ロジャー・ゼラズニイにしても、好きな話がありすぎて何をえらんでも迷いがくる。それにしても全セレクションにフィリップ・ホセ・ファーマーがはいってきたのにはわれながらおどろいた。それほど好きな作家でもないんだけどね。B面でラリイ・ニーヴンを落としたのはエッセイに例の「スーパーマン」を入れたいからである。

これでやっと、一冊の文庫本のレビューが終了とあいなりました。架空のアンソロジー作りという、見果てぬ夢。それに青春を捧げる情熱のモノスゴさ。わたしはSF界のアイドル、水鏡子先生のことを応援しています。