山尾悠子「飛ぶ孔雀」(「文學界」2013年8月号・2014年1月号)

ハヤカワ文庫JAの『夢の棲む街』を読み了えたのは僕が19歳になった日の誕生日。それから幾らかの歳月も水のように流れたが、この人の作品を同時代的に読むことができるというのは僥倖というほかない。

著者文芸誌初進出となる本作は、これまでの幻想小説的な作風を抑制し、<和>の新境地へと挑んだ野心作とみることができる。

物語を要約するのは少しばかり骨が折れる。短章形式で綴られる典雅なエピソード達は、特に連作の「1」を読む限りでは有機的な繋がりをなかなか見出しにくいからだ(とはいえディテールはきわめて豊かであり、廻転するこれらの種子たちはそれだけでも白く大きい花を開かせてしまいそうな緊張感に身をそよがせている。特に個人的に好きなのは「柳小橋界隈」や「岩牡蠣、低温調理」のパート)。

1と比べてはるかに大きいボリュームを持つ2を読み進めれば、読者はこの作品が(たとえばスーラが描くような)品のよい点描画ではなくして、大風呂敷を天に張らんとする一作であることを了解する。

舞台は、四万坪という広大な敷地を持つ川中島Q庭園。城の天守閣を背景とする「池泉回遊式大名庭園」であり、水に囲まれた人工の島である。この日ここでは大きな茶道の催しがあるらしく、双子の制服の女子高生や大勢の和装のスタッフ達が慌ただしく園内を動き回っている。名前のない人物も数多く登場するのだが、「借り物の団扇で風を送ってくる妻は黙って頷き、愛犬が大人しく留守番している家には必ず帰っていかねばならない老夫婦はこのあたりで話の圏外へとフェードアウトする」といった表現の中に、金井美恵子アラン・ロブ=グリエなど著者が読んできたヌーヴォー・ロマン的作家の残響をかすかに聴き分けることもできるかもしれない。

孔雀が存在として初めて現れるのはこの章からで、初めのうちは単に「金属的な呼び声」、けれど次第にその気配は少なくない人々が感じることとなる。夜になれば広大な庭園はつんざくような大音量の楽隊によって狂躁的祝祭的な雰囲気に包まれ、孔雀もそれにシンクロして今や人々に危害を加えんばかり。島の上空ではどういうわけか赤い星までが月の周りを旋回し始め、催しの興奮はその最高潮に達する。この凶暴なまでに異様な言語感覚には怯まざるをえないのだが、その行いこそが読み手に求められるひとつの正しい作法だとも言えるだろう(70年代の山尾悠子ならこういう文章は書けなかったはず!)。

物語としての連作2はこのあたりで途切れているのだけど、紅い眼をした孔雀がその荘厳な羽をさらに本格的に拡げるだろう次回以降を楽しみにしたい。また、(たとえば)火種や石切り場を媒介として、タエとトエは夢の中でつながっている、といったミーハーな予想も許されるだろうか。いずれにせよ、孔雀は飛ぶ。
(2017.3.5)