小説のストラテジー♯

視覚的でありながら絵画では表現不可能な世界、絵画を超えた世界。
山尾悠子やシュオッブやボルヘスの小宇宙、ごく初期の荒巻義雄や(少し落ちるが)粕谷栄市のいくつかの作品。
これらは物語を展開させ推進させる動力を
必要としないし、相性が悪い。だから、長編に向いていない。
荒巻の『神聖代』も後半はほとんど失敗している。
ではこの路線の小説は世界を構築するまではいいとして、どのように結末をつけるのがよいのか。
登場人物をそこで動き回らせドラマを演じさせると、ほぼ確実に失敗する。
というか、そのパターンの成功例があれば教えてほしいと思う。
ひとつの逃げ道としては、結末などつけずにただ世界の在りかたのみを記述するという手段がある(『世界の構造』)。
そうではなく、読者を興奮させ目眩を与える最良の方法。
これはひとつしかないと思う。つくりあげた世界を、いっきょに「壊す」ことだ(「夢の棲む街」「大地炎上」)。
緻密かつ精巧につくりあげられた世界。「ゆえに」、これを一撃で粉砕した時の美しさは比類ない。