短篇小説日和

ノヴァーリス「ヒアシンスとバラの花」(「森」3号)

 森開社は主にフランス文学を瀟洒な装丁で刊行するプライベート・プレスだが、「森」の少年特集号(1976年)では矢川澄子訳のノヴァーリスというめずらしい一作が掲載されている。ただし本作は「ザイスの学徒」内の作中作であり、わずか8ページという小品。観念論的メルヘンの魅力にはあふれていても、もう少し長くこの世界に身を浸していたいというのが正直なところ。

同号の広告では本作の書籍バージョンが近刊予告として上がっているのだけど(未刊)、テキスト量を加味するに挿し絵入りの薄い本をエディターは企画していたのだと推察される。

 

マルグリット・ユルスナール「マルコ・クラリエヴィッチの最期」(ウェブサイト「アナベル・フィステ」)

『眼鏡屋は夕ぐれのため』などの名歌集で知られる歌人佐藤弓生によるユルスナールの短編の翻訳。なんでも、日本版の『東方綺譚』は完訳ではないらしく、本作はそうした未収録作のうちの一編。ただし英語からの重訳であることもあるのか、収録作よりは落ちる印象。なお、自分はユルスナールの短編なら『青の物語』の表題作と『火』の全編が好きです。

 

ジュール・シュペルヴィエルミノタウロス」(「湯川」79年9月号)

こちらは多田智満子が訳したシュペルヴィエルシュペルヴィエルはあの優れた『沖の少女』を始めとして『ノアの箱舟』、妖精文庫の『火山を運ぶ男』や詩集なども読んでいるのだけど、これはこの作家のイメージを根本から変えさせられてしまうような読書体験だった。

「二歳で神童」のミノタウロスが思春期を向かえ、やがてはギリシア全土をおおう災禍の原因となり英雄に討たれるまでをめくるめくスピードで描ききる本作には、「沖の少女」に見られるようなのびやかなリリシズムはかけらも宿っていない。ほとんど久生十欄の超絶技巧を思わせるような緊迫感あふれる傑作だ。