エルンスト・ユンガー『大理石の断崖の上で』(岩波書店)

フランス文学の孤峰ジュリアン・グラックに少なくない影響を与え、マンディアルグも熱愛を公言するドイツ文学の一冊(※1)。天沢退二郎も本書にはかなりこだわっている形跡がみられる。読めば読むほど不吉な精霊に身体が囲繞されていく稀有な読書体験。

雲香庵という人里はなれた小さなコミュニティに住み、「私」と弟オートは、大理石の断崖の縁に立つ図書室の二階にある静謐な植物標本室で日々植物の研究にいそしんでいる。透きとおる真鍮の光沢を帯びた鱗を持つ槍尾蛇や真珠色の蜥蜴、香りを発散する美しい花々も棲むこの庵には、他にも老女ランプーザや赤ん坊エリオといった人々が暮らして交流が生まれているが、遠方よりの〈森の統領〉による侵攻の気配は日に日に高まり、「私」たちを蝕んでいくかのようである。

グラックと比較しながら読むという誘惑に、自分は勝つことができなかった。前期グラックのある種の小説が「何か起きそうで、張りつめていって、ついには起きない」に着地していくように見受けられるのに対し、本作は「何か起きそうで、結局は起きない、と見せかけてやっぱり起きてしまう」の全面戦争に後半突入するので、前半がたとい冗長に感じられてもボロッボロの紙(1955年発行!)の小さな字に耐えて読み進めていくことをおすすめする。

全体としてみてみると、異端文学にもほどがあると思う。奇麗な情景描写の中に突如として「危機を前にすると民衆はどう動いてしまうか」ということについての洞察が挿入されたり、シンボリックな幻想小説としての側面が強いにもかかわらず舞台は完全なる架空の国ではなくしてトルコや日本が登場しナチスの影が忍び寄る。衆愚政治への警鐘ともとれる一行がふと垣間みえるかと思うと、主人公は進撃してくる敵軍を壊滅させることにほとんど性的なまでの興奮を覚える。訳者があとがきで呼ぶような意味で本書を「ヒューマニスティックな抵抗文学」として読むことはどうしたって無理があり、ただひとつの固定化された読みを拒むような不可解な傑作だからこそ、何度でも戻ってきたくなってしまうのである。

付記その1。50年代だからさすがに仕方ないと思うけど、訳文が少し古い感じがした。3時のおやつなどと言う時の「おやつ」が「お八つ」と表記しているところとか、修飾語句を「~するところの」という表現で処理しているところとか。「私がまさに彼の方を見上げようとしたその刹那、私をびっくりさせたところの歎声を聞いたのだ。こうして生命の呼吸は、胸から徐々に、私たちを深く傷つけたところの傷の方へと流れて行ってしまうのである(p.97-98)」。

付記その2。この小説の特に前半、できごとを直接書く代わりに「この時代にあっては○○なのが常だった」という表現を執拗にくり返し、その○○に不気味な挿話を挟んでいくというこのスタイルは、読者を不安にさせる技巧として小説家が読んだら参考になるところが大の気がした。

なお、本書は東京国際ブックフェアに合わせ92年に当時のままの版組(!)で復刊されている。

工作舎の「遊」で松岡正剛マンディアルグにインタビューした際に、本作について言及している。