人生でフムスを初めて目にした時、「これ、食べものなの?どうやって食べるの?」と疑問符が地上2メートルのところに咲いて出たのを覚えている。ピタにつけて食べたそれは予想外においしくて、後日、自分の家で作って食べてみたらもっとおいしかった。それがきっかけで、ほかの中東料理も作ったりした。

テレビをつけると、毎日のようにグルメ番組が放送されていて、芸能人が「おいしそ~!」とコーラスしている。でも、「おいしそう」という言葉は、自分の記憶、既知のものへの一瞬の参照なしには成り立たない。その時その時の自分にとってほんとうに新しいものがあるとすれば、その表面はそもそも食べものには見えないことも多いのではないか。

べつに僕も「おいしそう」という言葉は毎日のように使っているし、グルメ番組やそういう動画を観るのは三度の食事と同じくらい大好きだ。でも、グローバル化とこれだけ言われながら、飛行機で数時間で行ける国の人が何を食べているか、場合によってはほとんど何も知らないというのは不思議な気がする。自分にとってほんとうに新しいものにはどうしたら出会いやすくなるのか、最近そんなことを考えている。