「誰かが私に言ったのだ」

夜想』の山尾悠子特集で、沼野充義がたいへんに面白い指摘をしている。山尾悠子

「誰かが私に言ったのだ
    世界は言葉でできていると」

という二行の分かち書きのフレーズは作家の創作姿勢を明快に打ち出すものとして解されてきたが、『増補 夢の遠近法』の「自作解説」では「比重はもちろん一行目のほうにある」と書いているのだ。沼野氏は、「常識的には二行目の「世界は言葉でできている」のほうが重要な意味を担うと考え」られる、と疑問を抱いているけれど、わたしも普通は二行目だと思ってしまう。このあと原稿では沼野氏は自分の解釈、自分の読みを展開していってしまうのだけど、山尾世界の総体を考えなおすきっかけにもなりうる確かに謎めいた発言だと思う。