一九九六年に、アメリカで日本文学を研究しているスティーブン・ミラー准教授はPartings at Dawn: An Anthology of Japanese Gay Literature(『有明の別れ――日本ゲイ文学集』)という分厚い本を出して、第一歩を踏み出した。平安期から現在まで、フィクションもエッセーも詩歌(和歌から現代詩や短歌まで)も含めて、大きな網を投げたアンソロジーで、かなり期待が持てる。平安期の文学などに現れる登場人物たちの絆に、現在の「ゲイ」という概念をどこまで当て嵌められるかという問題はあるかもしれないが、文学史から削除された同性愛を復権する、貴重な貢献である。

 ミラーのアンソロジーに、現代詩人の高橋睦郎は百ページも占めていて、収録作品が一番多い作家である。その二十年ぐらい前、一九七五年に、佐藤紘彰は『頌』を英訳し、Poems of a Penisist(男根崇拝者の詩)という印象深いタイトルで高橋睦郎英訳詩集を出し、高橋は海外ですぐに有名になった。アレン・ギンズバーグはこの本がとても気に入り、シティー・ライツ出版の担当者ローレンス・ファーリンゲッティ―に高橋の作品を英語でもっと出すように頼んだらしい。そのこともあり、あっという間に高橋睦郎白石かずこと肩を並べて、日本の生きている詩人のうちで、最も英訳されている一人になった。
(ジェフリー・アングルス「詩史と同性愛の削除」「現代詩手帖」2012年11月号 特集 詩にとってセクシュアリティとは何か」)

強調は引用者。多くの言語に翻訳され、フィンランドのファッション誌も特集を組むなど高橋睦郎が日本の外でよく読まれているのは以前から感じていたが、英語圏でのこういう経緯や事情はまったく知らなかった。ジェフリー・アングルスは佐藤紘彰の仕事に多くを負っていると思うけど、偉大なる翻訳家のパイオニアとして尊敬する次第。