伊藤重夫『チョコレートスフィンクス考』(跋折羅社)

2010年代に36年ぶりに新刊が出た伊藤重夫の一冊目の単行本。『踊るミシン』が86年に発行されたおよそ230ページの長編であるのに対し、こちらは70年代に描かれた作品を多く含む300ページ超えの重量級中短編集である。またすべての作品は、『踊るミシン』より前に描かれている。

傑作中の傑作だと思う。『踊るミシン』も天才の手になるものだが、そのプロットだけを抽出すればたとえば少年サンデーのような雑誌に載っていても大きな違和はない感じがする。いっぽう、デフォルメもまだ十分には効いていないこれら原形質的作品群は男女の「同棲」をリリカルに描き上げるようなものも多く、70年代の「劇画」の空気と湿っぽさが噎せ返るほどに感じられる。時間を一瞬で凍結させてしまうような幻惑的なコマ割りとセリフの重ね方、異国の風を蒐める神戸の街を舞台に不定形の若者の夢を紡ぐこの感覚世界は、他のどのマンガ家ともやはり似ていない。

特に印象に残ったのは昭和10年代の日本を舞台にした「ゆきものがたり」で、登場人物が戦争という時の流れに呑み込まれるラスト1ページの表現技法がすさまじい。

思春期に林静一佐々木マキ鈴木翁二を初めて読んだ時、言葉を失った。本書から立ち上がる感動は、そうした衝撃より少しも劣るところがない。