2021年に早稲田大学で行われたシンポジウム、「詩の翻訳、詩になる翻訳 Translating Poetry, Translation as Poetry」のイベント記録(リンク先の「こちら」を参照)。パネリスト (Panelist):  四元康祐 (Yasuhiro Yotsumoto) 、藤井一乃 (Kazuno Fujii)、柴田元幸(Motoyuki Shibata)、伊藤比呂美 (Hiromi Ito)、菊地利奈 (Rina Kikuchi)、新井高子 (Takako Arai) 川口晴美 (Harumi Kawaguchi)、大崎清夏 (Sayaka Osaki) 、蜂飼耳 (Mimi Hachikai) マーサ・ナカムラ (Martha Nakamura)。要約だけど、「現代詩手帖」の元編集長の方の発言など面白い。

続いて栩木が紹介したのは、思潮社の詩誌『現代詩手帖』(1959年〜)の元編集長であり、オーストラリア詩、ヨネ・ノグチ、ボブ・ディランおよびアメリカの詩、エミリー・ディキンソンなどの特集を担当した藤井一乃である。この言葉を受け、藤井はまず、詩の翻訳の難しさを示すわかりやすい例として、「リアルタイム詩」を挙げた。詩の翻訳の評価は確かに難しく、多くの編集者の間では「マイナー」扱いされているが、それでもこの20年の間に新訳ブームや翻訳賞の新設が相次ぎ、「マイナー」という言葉には違和感があると説明した。翻訳詩のシェアが下がっているのは、日本での詩の影響力が低下しているからではないか、と。一昔前までは、詩の翻訳といえば、シュールレアリストやビートニクなど、強いインパクトを持つ詩人が中心であった。しかし最近では、アカデミズムやジャーナリズムの関心に応えようとする傾向が続いており、クレオールジェンダー、新しいアジアとのつながりなど、支配的な西洋や男性の視点を相対化するような視点から、特定の思想を発信する詩人を出版している。翻訳とは、このような現代の状況の影響を受けやすく、ある種の流れに沿ったものでなければならないと藤井は主張した。藤井は、グローバル社会の進展、バイリンガルの増加、バイリンガルの大学プログラム(特にクリエイティブライティング)の増加は、新しい詩人を視覚化し、編集者にアピールするのに有用であると説明した。また、海外で活躍するバイリンガルの日本人詩人(関口涼子多和田葉子、山崎佳代子など)、日本語を母語としない日本在住の詩人(アーサー・ビナード、田原など)、国際詩祭や詩誌などの研究者や文化エージェントの活動なども、詩が育つトランスカルチャーの例として挙げた。