海老島均一・山下理恵子編『アイルランドを知るための70章 【第3版】』(明石書店、2019)。アイルランド語で創作するヌーラ・ニゴーノルは『ファラオの娘』しか読んでいなかったのだけど、アイルランド詩の状況を概説する池田寛子「もう一つの世界へのまなざし」を読んで、もう少しこの女性詩人について深く知りたいと思うようになった。アイルランド語を理解する国民が数少ないなか、キアラン・カーソンら英語詩人がニゴーノルを「直訳を離れた個性的な訳」で訳し評判を呼んだという記述があるのは興味深い(『ファラオの娘』の場合は、大野光子の訳を高橋睦郎佐々木幹郎がブラッシュアップしたとあとがきにあるのを想起しても、なおさら)。ポーランドアイルランドでは国民のあいだで詩が大きな位置を占めている、とはまたべつの野心あふれるわが国の詩人・四元康祐の見立てだが、2018年にニゴーノルはポーランドの国際文学賞を受賞したとも池田寛子の文章にはある。

アイルランド語と教育の関係にも興味がある。戦後教育をアメリカによって規定され、国語の時間を減らして英語の授業数を増やすべき、との議論に決着点のみえない日本に住む人間だって、感情移入のできる問題ではないのか。

この短文のおわりに、インターネットでぐうぜん見つけた現代アイルランド女性詩、アイリーン・ニクリャナーンの「捕獲」を紹介したい。翻訳は上記池田寛子、初出は「英文学評論」95号(2023年5月)(→LINK) 。


I
まず フレームを作るために手伝って 羽と
鼻と尾びれを使って
毛むくじゃらの獣たちの場所
奴らが這い上がってきたり 空中から出現するときに備えて
フレームには裂け目も必要 種を隠しておけば葉が芽を出すから
私が跳んで逃げると 地平線が振り子のように揺れる
遥か彼方で 連なる丘は
煙のように浮遊し 平野と
谷が目の前に迫る 急降下すると 水平面が
束の間現れ 葉っぱに隠れた窪みには
命が潜み 身を寄せ合って耳を澄ませる
音楽に命を吹き込む一つの声に 弾ける歌に 嘆きの歌に。

II
私が地球ではなく この地球の最近の地図で
生垣に縁どられているならともかく そうでなければもう結構
また競走するのは。学年ごとに子どもたちが 
生垣に隠れた校舎で 暗記に励んでいる
アルファベットや語尾変化を 声が遠のいていく
ひとりひとりの名前が読み上げられていくにつれ。

あんなものは地球の影にして ウィンクで雲隠れさせてやる
私の脳内の路には もう隙間がないから
ナメクジと葉っぱの会話を全部聞いておきたいから
でも私がスローエアを追いかければ 音色はどこまでも広がって
大海原を横切って懸命に進む幾艘ものボートについて行く
あらゆるドアをノックして 押し入る
フランスの道をくねくねと進んで
知らない人の奉公に向かう娘たちのそばを通って
外国の戦地にいる息子たちのそばを通って 
断頭台で祈るルイ一六世の手を握るあの人のそばも通って
そうするうちに 地球が遠ざかっていく。
あの人たちはみんな集められ、調律されて「一つの歴史を生きてきた
アイルランド民族」になるのだろうか 足りない用語は何 フレームを
成り立たせるために 何かを見ようと思えば
フレームなしというわけにはいかない。
もしも私がスクリーンで はためいているとしたら
四つの手描きのプロヴィンスの境で
レンガと木材と
私を守るこの屋根
私はフレームの断片を見つけなければ
そのあたりを歩いてみて 確かめなければ
それらを曲げて合わせられるかどうか 違う設計図に沿って
それから試してみよう 説得すれば
生垣を越えて 戻ってくれるかどうかを
そのとき私は獣の重みを感じるだろう
奴らが ずれた翼にそって もう一度出現するならば。