鈴木いづみのいた本牧

今年英訳の出る鈴木いづみの長篇『ハートに火をつけて!』の主な舞台である、神奈川県の本牧に遊んだ。

鈴木いづみがそのなかを生きた時代と現在とでは、まったく別の土地と言っていいくらいに変貌してしまっていることは知っていた。痕跡をひとつ、ふたつさがすのも簡単ではないことは予感していた。けれどこの日はどういうかぜの吹き回しか、自分のあしうらで確かめたかったのかもしれない。

まず、ネットなどを通じて得た少量のよみかじりの知識を自分なりに整理する。

横浜周辺がもともと港町で海外文化がいち早く到来する場所だったこと、米軍基地と米軍住宅があったことが手伝い、1960年代から70年代のある時点までは日本における最新の音楽の純然たる中心地のひとつだった。ガラの悪い不良少年少女やグルーピーが集い、多くのプロミュージシャンを輩出するような土地。東京より音楽の流行に繊細であるという自負を持った若者も多く、「本牧ブルース」(1969年)という流行歌は『ハートに火をつけて!』4章のタイトルになっている。

本牧の不良は、埼玉の不良(テンプターズ)より、全然カッコいいわよ。スカマン(ヨコスカ・マンボ)っていうくらいのもんだもの。あそこは、日本でいちばん音楽情報がはやかったからね。ジューク・ボックスは、全部英語で書いてあるの。植民地文化ね。音楽雑誌が外国の曲を紹介するまえに、すでにグリーン・グラスは演奏してたのよ」

 悦子は、うっとりと解説した。

そんな尖ったこの地域も、戦後日本経済が成長し土地の治安も良くなるのに並行して、そしてベトナム戦争終結によりアメリカ軍の兵士たちの多くが帰国していくのに呼応して、カウンターカルチャーの発信地という側面は次第にそして急速に薄れていったよう。本作発表の前年、1982年には米軍住宅だった土地も返還され、その変貌ぶりを主人公が述懐するシーンがある。

作詞家はいまだに本牧をうたう。このあたりはさびれてしまったのに。米軍ハウスはなくなり、植民地文化はうすめられて、日本全国にひろがった。都市計画によると、本牧は公園になるそうだ。たしかな話ではないが。本牧という街そのものがなくなってしまう。中華街とならんでヨコハマの二大特徴だったが。やがて、だれも特にかかなくなる。

やがて、だれも特にかかなくなる。いくら自伝的な小説といっても、主人公の語りをすべて作者の本音と同一視して考えるのはいかにも旧時代的な、批判さるべきアプローチだろう。けれど、この長篇にかぎっては、「この作品においては、主人公と作者をダブらせて同一視しても本人の意向に反さないのではないかと思う。(…)そしてさらに、どこか「同一視されたい」と作家が願っているように思われるのは錯覚だろうか。」との解説における戸川純のコトバになぜかうなずきたくなってしまう。

1989年には、マイカ本牧という大規模ショッピングセンターが鳴り物入りで米軍住居跡地に誕生する。ただ、この時期はいわゆるバブル経済が終焉する直前。フランスなど多くの外国ハイブランドを店舗にかまえ、付近の通りも「イスパニア通り」など(スペイン風の)エギゾチックな雰囲気ただよう耳にこころよい名に改名したものの、鉄道の駅が周囲にないという交通の不便さが要因となり、深刻な営業不振におちいってしまう。

実際に今回本牧に行ってみて駅からの遠さを実感したが、自家用車がない限りは本数の少ないバスに頼るしかない。『ハートに火をつけて!』でもバス停やタクシーが何度も出てくるのはあきらかにこれを反映している。神奈川の遊び場としてはそばに中華街やみなとみらいがあり、関東の多くのひとびとにとって、ことさら足を伸ばすに足るようなスポットは多くはないのかもしれない(みなとみらい21の事業としての着工は本作が出版された1983年)。帰りみち、根岸行のバスを待って暑さのなか7、8分バス停で並んだ。そのあいだ、列にいた年配の夫婦の男性のほうが蚊のようにか細い声でつぶやいていた。「ここは田舎だから」。

現在、観光として本牧に足を延ばすひとの多くが訪れるのが、指定有形文化財に指定された歴史建造物をいくつも擁する名勝の日本庭園、三渓園なのではないだろうか(この日は中華街駅から三渓園行のバスに乗ったのだが、ひとりの乗客を除いてみなが三渓園正門前で降りていた)。京都や鎌倉などから集められた三重塔、茶室などが池や花々と調和してうつくしい。

夏の暑さのためか、園内はひともまばら。野鳥たちが気持ちよさそうに、そして思い思いに泳いだり散歩したり昼寝(?)したりしている。色々なことも忘れ、しばらくはその光景に吸い込まれてしまった。

夏の花である蓮は午前中のうちに閉じてしまうことで知られるのだが、この日は午後にもかかわらずまだ咲き残っているものがいくつか。



おみやげとして、桜や梅、三重塔をあしらった濱文様製の小布(ミニ風呂敷)を購入。鈴木いづみコレクションや『いづみ語録コンパクト』、そしてハートの色でもあるピンク色をえらぶ。鈴木作品が好きな方に、いつかプレゼントできればいいのだけれど。

三渓園を離れたあと、気になっていたパンケーキ屋さんに立ち寄ろうとするが、週末の行列をみてちょっと気おされ、パスすることに。米軍住居跡→マイカ本牧(1989年開業)→イオンモール(2011年開業)という数奇な運命を辿っている商業施設まで足を伸ばす。

少し印象的なのは、マイカ本牧そのものは遥かむかしに吸収合併というかたちで消滅したのに、噴水と時計台はバブル絶頂だった創建時のものをそのまま使い続けていること。写真でもわかるように、この時計は停止していて時計の意味をなしていない。複数の時計が、空虚かつばらばらにあべこべの時間を伝えている(「お客様へ この時計は現在作動していません」という奇妙でちいさな張り紙がわざわざ貼られている!)。いまも流れつづける噴水のほうはどうか。この日の暑さもあって、パパやママと買い物に来た子どもたちが目にした瞬間にいちもくさんに駆け寄っていた。

イオンモールの5階はいまはブックオフが入っている。ここ数年は年に数回もこのチェーンは利用しないのに、遠出してまで入るようなお店ではないのに、ファスト風土的な、懐かしくホッとするチープさに懐かしさをおぼえたのか、なかに入ってしまう。

日本の小説(単行本)の棚の「さ行」に、『恋のサイケデリック!』など鈴木いづみコレクションが二冊、文学関連書の棚に『鈴木いづみ1949-1986』があった。ローカルの人びとが、「本牧にゆかりのある作家」と聞いて手に取って、でも読んでみておおきな感銘を受けずに手放したのだろうか。無意識になにかしらのナラティブを願望している自分がいる。

ちなみに、この記事ではマイカ本牧やらイオンモールやらの話題にふれてきたが、マイカ本牧が竣工したのは鈴木が亡くなった1986年の3年後であり、本牧の歴史とは呼べても鈴木とは結局関係ない。しかし、戦後のなにか黒々としたものと結びついたひとつの街の激変の歴史として、興味をおぼえたあかしに書きとめたかった。ウェブでたまたま見つけた本牧の地域研究の論文には、このような記述もある。

本牧地区は1945 年以降において4 度、景観の価値を失ったことになる。一度目は敗戦に伴う米軍による住み慣れた土地の接収、二度目は高度成長期における海岸線の埋立て、三度目は土地の区画整理に伴い実施された米軍施設群の解体、そして大規模商業施設における中心的存在の撤退である。(相藤直「喪失の記憶に基づくまちづくりに関する考察 : 埋立て・接収・大規模商業資本撤退を経験した横浜市中区本牧地区を事例として」※書誌情報は記事の巻末に)

このエリアのことそのものを小説を通して今年はじめて知ったような人間がいう滑稽さは承知しているが、『ハートに火をつけて!』にみちている喪失感、速度、痛切さ、醒めた明るさは、本牧という土地に働いていた力学と無縁ではないのではないか。

このあと、現存する本牧の最古かつ(おそらく)唯一のライブハウスであるゴールデンカップや、海や港湾を望める横浜港シンボルタワーまで足を伸ばしてもよかったはずだが、友人との約束の時間が近づいていた。タワーは山手駅からはおよそ5.5kmということで、バスやタクシーを駆使しないとたどり着くのは難しかっただろう。

追記その1
調べていて気づいたこと。本牧の音楽イベントとして「本牧ジャズ祭り」というイベントがあるが、近年の会場は本牧ではなく、赤レンガ倉庫や関内ホールなど本牧の外でおこなわれている。

追記その2
この作品のなかでは主要な人物のひとりとして、ジョエルのグループ、グリーン・グラスでリード・ギターを担当するランディーという中国人が登場する。このランディー、グリーン・グラスが解散したあとは、なんとも面白いことに中華街で中華料理屋をはじめて繁盛するという筋立てになっている。

さて、(この文章をしたためている)僕の祖父は、職をもとめて日本に渡ってきた中国人であり、亡くなったあとは横濱中華街からほど近い共同墓地に埋葬された。先日母に会った折、ふとした拍子に「本牧に行ってきた」という話になり、ふだん本の話題などしないのにめぐりめぐって「最近読んだ本牧を舞台とする小説に、音楽をやめたあとに中華料理屋をはじめて繁盛する中国人が出てくる」ということまで(鈴木いづみという名前などは出さずに)ぽろっと洩らしてしまった。

驚いたのが、祖父は母がまだ若い頃に「最近の若いの(註:中国から渡ってきた移民の息子)は不良が多くて、家業の中華料理を継がずに音楽をはじめたりする」とボヤいていたらしい。つまり、ランディーのようなひとは当時ひとりではなかったし、これは実話にもとづいてのエピソードそしてキャラ造型だったのだ!また、母は鈴木いづみの世代に比較的近い。音楽の話題などこれまでいっさい聞いたことがなかったのに、僕が初読時にまったくわからなかったGSとか沢田研二とか本牧ブルースとか懐かしそうに、それが思春期を彩った固有名詞ででもあるかのように語りだしたのにも本当にびっくりしてしまった。

参考(リンクを張っています)
相藤直「喪失の記憶に基づくまちづくりに関する考察 : 埋立て・接収・大規模商業資本撤退を経験した横浜市中区本牧地区を事例として」 (「21世紀社会デザイン研究」21号、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科、2022年)
wikipedia「イオン本牧店」
CKB横山剣に聞く横浜不良音楽の系譜(音楽ナタリー)