文学フリマで期待とともに購入した『カモガワGブックスVol.5 特集:奇想とは何か?』を面白く読んでいる。

坂永雄一「小さなはだしの足音」は足跡発人類史経由銀河行きという骨太の思索的サイエンスフィクション。後半に至り、虚構内の仮説を誰もが知る童話に接続させてしまう手つきが凄い。ところで、同氏の「奇想的宇宙SFの世界」冒頭でビショップ「宇宙飛行士とジプシー」が取り上げられていて、小さなはだしの足音よりもずっと小さな声を上げてしまった。この作品はいまだ「SFマガジン」1975年5月号に訳出されたきり書籍に収録されていないが、今まで読んだ限りの浅倉久志の翻訳作では僕にとって文字通り最も愛着のある作品なのである。普通に考えれば本作を「宇宙SF」として紹介するのはいささか無理があるのだが、おそらく書き手はそれを承知で掬いとりたかったのだろう。

この号には「jem」創刊号にも異様な熱を帯びた原稿の礫を寄せてもらった大島豊さんが参加しているが、もともとはこれもビショップのおかげ。僕が大島さんの名を強烈に意識しやがてこちらからコンタクトを取り、ついに知遇を得ることになったのは「宇宙飛行士とジプシー」でネット検索して出てきた浅倉久志をめぐる記事にどうしようもなく強く惹かれたからである。安田均がかつて明敏にも指摘したように、ビショップはやはり共感回路を人と人のあいだに生成してしまう作家なのではないか。

おや、雑誌の熱について語るはずが、きょうは感傷的な追想にひたってしまって一回休み。続きはまた、いつかの夜に。