21世紀の残雪、のための

幻視の起爆力をそなえた唯一無二の作家、残雪。この短文では主にその評価の変容について、限られた知識しか持たない筆者なりに追ってみたい。

・ふたつの世紀をまたいで

日本で『蒼老たる浮雲』の単行本が河出書房新社から刊行されたのは1989年。1980~90年代において、一般の読書子の間で残雪の知名度は高かったとは決して言えないだろう。

海外小説事情に精通している筆者の知人によると、残雪は中国での評価よりも欧米での評価が早かったという。多数の残雪作品の翻訳を手がけた故・近藤直子氏が作成した著作リスト*1をみると、確かにこのようにある。

1     1987年     黃泥街     圓神出版社     台湾
2     1988年     天堂里的对话     作家出版社     
3     1989年     蒼老たる浮雲     河出書房新社      (日)
4     1989年     Dialogues in Paradise     Northwestern University Press     (米)
5     1990年     突圍表演     青文書屋     香港
6     1990年     突围表演     上海文艺出版社     
7     1990年     種在走廊上的蘋果樹     遠景出版社     台湾
8     1991年     カッコウが鳴くあの一瞬     河出書房新社     (日)
9     1991年     Dialoghi in Cielo     Edizioni Theoria     (伊)
10     1991年     Dialogues en Paradis     Gallimard     (仏)
11     1991年     Old Folating Cloud     Northwestern University Press     (米)
12     1992年     黄泥街     河出書房新社     (日)
13     1994年     思想汇报     湖南文艺出版社     
14     1995年     廊下に植えた林檎の木     河出書房新社     (日)
15     1995年     辉煌的日子     河北教育出版社     
16     1996年     黄泥街     长江文艺出版社     
17     1996年     Dialoge im Paradies     Ruhr-Universität Bochum     (独)
18     1997年     The Embroidered Shoes     Henry Holt and Company     (米)
19     1997年     突囲表演     文芸春秋     (日)
20     1998年     残雪文集(四卷)     湖南文艺出版社     
21     1999年     灵魂的城堡-理解卡夫卡     上海文艺出版社     
22     1999年     2000年文庫、殘雪卷     明報出版社     香港

1980~90年代の期間にすでにアメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、台湾、香港などで翻訳が進んでいるのに対し、後述する「シティロード」90年のインタビューでは、作家自身が中国国内では評価が芳しくないという趣旨の発言をしている。またこの時期、日本の小説家が残雪の本を書評しているとか、影響を受けたなどと発言しているのを筆者はほとんど見たことがない。『世界×現在×文学 作家ファイル』(国書刊行会)、『世界の幻想文学総解説』(自由国民社)などにおいて近藤直子は残雪の紹介を担当しているが、後述する四方田犬彦中条省平など、海外文学の最新の動向に繊細な文学者による言及のほうがこの時期は目立つようにみえる。

決定的な何かをいつから、というかたちで触知できるわけではないが、そうした状況が21世紀に入ってから着実に変化を始める。

国内では『暗夜』が池澤夏樹=個人編集 世界文学全集に収録され(2010年)、新潮社の雑誌「考える人」が2008年に組んだ「海外の長篇小説ベスト100」特集内、「私の「海外の長篇小説ベスト10」」アンケートでは複数の評者が残雪の長編をベスト10以内に選出。海外に目を転じるとアメリカでは権威あるノイシュタット国際文学賞に2016年にノミネート。ブッカー賞の翻訳部門として2005年に創設された国際ブッカー賞の候補作リストにも、2010年代後半以降一度ならずその名が登場する。近年では、ノーベル文学賞の有力候補としても名が挙がる。

これも筆者の観測範囲に過ぎないが、2000年代前半以降のほうが、紙媒体あるいはネット上で、国内の書き手が残雪に言及する機会が増えているように感じられる。古谷利裕*2、牧眞司*3、酉島伝法*4、谷崎由依*5、朝日新聞の書評で『最後の恋人』を取り上げた佐々木敦*6……プロの書き手に限っても到底この小文でまとめきれるものではない。ネット上でも少なくない数の海外文学のファンが残雪に言及しているのを見つけることができるが、シーンとしての中国現代文学フォロワーでなくても、「面白い文学ならば国を問わず何でも」という貪欲な読者同士の情報交換を、インターネットという比較的新しい媒体が後押しているというのは否定できないのではないか。

2018年以降には国書刊行会で「文学の冒険」シリーズにも携わった藤原編集室の仕事で、絶版だったいくつもの作品が白水uブックス(新書版)で復刊されることになる。清潔感のある白い装幀と小ぶりな造本があらたな読者を引き寄せる契機となるのであればよろこばしい。

・残雪の創作作法と評論

本来、このようなトピックを論じるのは筆者の手にあまるものだが、「残雪研究」8号の「近藤直子著訳一覧」からも洩れている鮮烈なインタビュー記事を以前発見したので、ここで紹介してみたい。媒体は「シティロード」90年10月号、聞き手は桂千穂、通訳は近藤直子とクレジットされている。国内での残雪関連での記事では最初期に属すると言っていいだろう。

近作はまた長いものを書きまして、600枚ぐらいになると思うのですが、私は北京に行きまして友達の家でだいぶ書いたのですが、書き上げた時、その友達は「おかしいな、書いてるところなんか一度も見てなかったのにな」と言いまして(笑)。書く時間が異常に短いのです。私はだいたい1日に1時間くらいしか書かないのです。長くとも1時間半から2時間くらいで、それも事前に考えておくわけではなく、そこに座ってすぐに書き始めるという方法です。(略)要するに私は座れば必ず出てくるのです。けっして一挙にワッと出てくるというわけではないのですが、とにかく座って書こうとすれば出てくるたちですので。

大学時代、父親の蔵書から偶然この記事をみつけた筆者は、著者のあの作品群は、友達の家に遊びに行った時のスキマ時間にスラスラ書かれてしまう類のものなのか!と驚嘆したものだった。

なお、いつかありうべき「残雪邦訳書誌一覧」と相当数オーバーラップすると思われる「近藤直子著訳一覧」(「残雪研究」8号)を参照すると、「現代中国文学」のような少部数発行の雑誌に相当な数の短篇が訳出されていることがわかる。この文章を書いている2023年現在、「残雪研究」8号はFacebook上のページを通して注文できるので、ご関心がある方はチェックしてみてはいかがだろうか。この雑誌にも単行本未収録の短篇や評論が数多く訳出されている。

いまだ全貌が明らかになっていない残雪の側面のひとつは、その評論だろう。近藤直子氏の作成したサイト「現代中国文学小屋」には、ある程度の分量の評論が公開されている。*7筆者が判断するに、これは一般的な意味での文芸批評ではない。ただでさえ抽象度の高い書き手が、自身を追い込みながら独自の形而上学を展開させていく凄絶な肉の散文。その文章は自然、どこをみても徹底して断言のかたちを取らざるをえない。

魂の文学の書き手は、後へは退けない「内へ内へ」の筆遣いで、あの神秘の王国の階層を一層また一層と開示し、人の感覚を牽引して、あの美しい見事な構造へ、あの古い混沌の内核へとわけ入り、底知れない人間性の本質目指して休みなく突進していく。およそ認識されたことは、均しく精緻な対称構造を呈するが、それはもう一度混沌を目指して突撃するためでしかない。精神に死がないように、その過程にも終わりはない。書くことも、読むことも同様である。必要なのは、解放された生命力である。人類の精神の領域に、最下層の冥府の所に、たしかにそういう長い歴史の河が存在している。深みに隠れているせいで、人が気づくのは難しいけれど。それが真の歴史となったのは、無数の先輩たちの努力が一度また一度とその河水をかきたて、何年たっても変わらずに静かに流れ続けるようにしてくれたおかげだ。これはまるで神話のように聞こえるが、もしかしたら、魂の文学とはそういう神話に他ならないのかもしれない。それは不断に消え失せては、不断に現れる伝説であり、人間の中の永遠に治癒することのない痛みでもある。個人についていえば、魂の書き手の苦痛は、おのれの苦痛を証明できないことにある。彼は一篇また一篇の作品によってその苦痛を刷新するしかなく、それが彼の唯一の証明なのだ。こういう奇妙な方式のせいで、永遠に破られることのない憂鬱が彼ら共通の特徴となっているが、その黒く重い憂鬱こそ、まさに芸術史の長い河を流れる活水の源なのである。たゆみない個体がこうして内へ掘り進む仕事に励むとき、彼らの成果は例外なく、あの永遠の生命の河へと合流する。なぜなら歴史はもともと彼ら自身のものであったし、彼らがいたからこそ、歴史が存在し得たのだ。教科書の上の歴史と並行するこういう魂の歴史は、もっとも鋭敏な少数の個人によって書かれる。だが、その歴史との疎通し、通い合いは、すべての普通の人に起こりうる。これはもっとも普遍性を備えた歴史であって、読み手は身分、地位、人種の制限を受けない。必要なのはただ、魂の渇きだけである。

ボルヘスカルヴィーノらを論じた「精神の階層」という文章のほんの一部分だが、残雪の作品について、気になっているけれど本格的には読んでいないという向きも、このサイトを先にチェックすることを強くおすすめしたい。

・中国文学研究者以外の研究者が読む残雪

こうした項目を立てているのは、残雪を中国語圏に限らず、ほかの海外文学の流れとの関係において思索してみたいという理由による。

残雪の才能にいち早く気づき普及にひと役買っていた存在として、第一に「(既存の文学・文化研究においては)アジアも、女性も、映像も抜け落ちていた*8」という問題意識を持ち合わせて精力的に活動をしてきた四方田犬彦に注目してみたい。

残雪の掌編「荒野より」も掲載された89年の「ユリイカ」「特集:中国文学の現在」。本特集の翻訳作品選定にまでかかわったという形跡まではみられないものの、刈間文俊との対談で『蒼老たる浮雲』について早くも言及。「来たるべき作家たち 海外作家の仕事場1998」(新潮社、1998)というムックでは、「海外小説・ノンフィクション この10年、私の3冊」というアンケート企画が組まれている。この中でも3冊の中にこそ入ってはいないものの、コメント部分では残雪を入れるか迷ったとの記述がある。しかし、回答者がこれだけいる中で、アジアの文学を選出ないし言及しているのが四方田氏含めてふたりしかいないというのは時代を感じずにはいられない。

岩波書店の海外文学アンソロジー『世界文学のフロンティア』、その「夢のかけら」の巻(1997年)には秀作「かつて描かれたことのない境地」が収録されているが、これには編者の四方田氏、および後述する沼野充義の好みが反映されていると推察できる。なお、『黄泥街』のラスト1ページには「夢のかけら」という言葉が非常に印象的なありようで登場する。「響きと怒り」などほかのいくつかの巻も特定の作品の引用であるという事実を考慮すると、この巻のタイトルは案外残雪の第一長篇のフレーズから来ているのかもしれない。

第二に、つい最近の退官まで東京大学の現代文芸論研究室を牽引し、単なる一地域の文学研究者の枠をはるかに超えた活動を行ってきたスラブ文学研究者の沼野充義にも注目をしたい。氏は松永美穂阿部公彦、読売新聞文化部との共編『文庫で読む100年の文学』(中公文庫、2023)の座談会において、「世界に出して遜色のない作家」として残雪に言及。それに先行する2019年、「三田文学」の「特集:世界SFの透視図」座談会(氏のほかに巽孝之、立原透耶、新島進識名章喜が参加)では、「中国現代文学にはいわゆる純文学畑の、莫言、閻連科、残雪がいるじゃないですか。この人たちはSFとは言えないにしても、強烈な非リアリズムの小説を書いている。彼らのSFに対する態度はどうなんですか。純文学作家とSF作家の交流はありますか」という少年のように純真な質問を立原氏に投げかけてもいる。この質問に対する立原氏の回答も、中国における(SF)作家のSF観が窺える興味深いものとなっているので、一読をおすすめしたい。

・なぜいま、残雪か

21世紀も5分の1が過ぎたいま、多くの国々において女性作家の躍進のめざましさはあきらかなものとなっている。

書籍の販売部数を推定するサービスであるNPDブックスキャンによると、アメリカでは2019年、女性作家の作品がliterary fiction上位100位の売り上げのほぼ7割を占めた*9。また、The New York Times誌が2020年に選出した「注目すべき本100」リスト中、100冊のうち11冊が翻訳書、そのうち4冊は日本の女性作家の作品だった。『殺人出産』のようなモラルを無化して宙を走る作品を執筆する村田沙耶香のような作家と、残雪とのうちに同時代的な想像力を見出す視点も今後有効になりうるかもしれない。とまれ、中国のこの異才がアジアの現代女性作家の多様さを示す一例になることまでは間違いないと筆者はみている。まだ邦訳はないものの、『呂芳詩小姐』『新世紀愛情故事』など、仮に刊行されれば400ページを優に超えるサイズになるはずの長篇を2010年代以降エネルギッシュに書き継いでいるようだ。

2004年に原著が発表された『最後の恋人』を繙けば諒解されるように、残雪の作品は「西洋の読者にとっての中国らしさ」というようなエギゾティシズムにその求心力を頼るものでもなければ、筋の要約を易しく(優しく)受け入れる物語でもない。その存在感を無限に増す大いなる謎として、時代の混迷をも幽鬼のように貪りかつは糧としながら、これからも優美に疾走していくことだろう。

*1サイト「現代中国文学小屋」は、近藤氏が亡くなってからしばらくして消失したが、遺族が当時のままのかたちで復刻したものが近年になって公開されている。http://kondonaoko.web.fc2.com/siryou5cxbook.htm
*2画家、評論家の古谷利裕は、2008年の10月に近藤直子とのトークイベントを行った。「偽日記@はてなブログ」2008年9月~10月に、残雪についての多くの記事がある。 https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/
*3「SFマガジン」2014年5月号の海外文学書評欄ほか。
*4下記インタビュー参照。https://weirdfictionreview.com/2018/04/sisyphean-interview-weird-scifi-author-dempow-torishima/
*5谷崎由依「異国の、懐かしい景色」(「三田文学」2013年冬季号「特集:現代中国文学のパワー」)
*6 2014年4月20日朝⽇新聞掲載。https://book.asahi.com/article/11615707
*7http://kondonaoko.web.fc2.com/sub2.htm
*8巽孝之『想い出のブックカフェ』(研究社)における対談を参照。
*9The NPD Groupは企業向けに様々な業界情報を提供している調査会社。毎年このようなジェンダー比を元にしたデータを公表しているわけではないため、この原稿では2019年のデータを用いている。このデータと英語圏における日本文学の受容との関連は、辛島デイヴィッド『文芸ピープル』(講談社、2021)からも多くの知見が得られる。
(この小文を執筆するにあたっては、近藤直子氏の遺族から「現代中国文学小屋」内「残雪著書・訳書目録」の転載、および「精神の階層」を引用する許可をいただきました。感謝申し上げます)

初出:「カモガワGブックスVol.4 特集:世界文学/奇想短編」
※許可を得たうえで自分の文章を再掲載しています