『jem』2号内容紹介(簡易版)

11月下旬、ついに『jem』の第2号を刊行します。総力特集は「「世界の中の日本文学」の現在」、小特集は「覚醒する韓国SF」。

 

【内容紹介】
日本語文学の普及と、海外に眠る煌めく原石の発見のための文芸誌。雑誌を創刊するに至った経緯についてのエッセイが『群像』に掲載されるなど、注目を集めています。
 
制作資金を補填するためのクラウドファンディング(推薦コメント:秋草俊一郎、金原瑞人松永美穂、吉田恭子)も成功を収め、満を持しての登場となる2号は総力特集〈「世界の中の日本文学」の現在〉、小特集「覚醒する韓国SF」。
 
〈「世界の中の日本文学」の現在〉では世界中の翻訳家、研究者に協力をお願いし、アラビア語インドネシア語ポーランド語、フィンランド語、フランス語、英語(2000年代以降の現代詩)、中国語(簡体字幻想文学)という計7語圏について、「日本文学が世界でどう読まれているか」をテーマとした論考を一挙掲載します。ワルシャワ大学で教鞭をとっている研究者、日仏翻訳文学賞、日本翻訳大賞を受賞している翻訳家など高度に専門的な知識を有する執筆陣による、信頼性の高い、充実した記事を集成します。
 
古今和歌集から川上弘美伊藤比呂美までを翻訳するアンナ・ザレフスカ選出の「日本近現代文学ポーランド語訳主要100冊」、詩歌や自費出版物までを含める網羅性をそなえた上山美保子作成「日本近現代文学フィンランド語訳リスト」はじめ、膨大な量の書誌やグラフや表やデータが付されている保存版です。主要文芸誌や学術論文でも、ここまでの規模のものは現在発見できないという水準を目指しました。
 
小特集〈覚醒する韓国SF〉では、韓国科学文学賞の優秀賞を受賞したキム・ヘユン(日本初紹介作家)「ブラックボックスとのインタビュー」を一挙掲載。人間の意識を機械に移植することが可能になった社会を舞台にした、美しく、深い余韻を残す傑作です。また批評家イ・ジヨンによる、韓国SFの巨大な流れを包括的に論じる大ボリュームの本格論考をこちらも一挙掲載します。韓国SFの隆盛を社会や現代史との関連で知ることができるだけでなく、未訳作のガイドとしても必携の内容です。また、さらに多様な作家の紹介が進んでいくことを願って、日本では未訳の作家ふたりに創作観などについて書き下ろしの短文を寄せてもらいました。


【目次】
まえがき 変化の風が吹くとき
総力特集 「世界の中の日本文学」の現在
Ⅰ 
インドネシアにおける日本文学受容の一側面 太田りべか
アラビア語圏における現代日本文学の翻訳―その歩みと今 ラナ・セイフ
ポーランドにおける日本近現代文学―『不如帰』から李琴峰まで アンナ・ザレフスカ 芝田文乃
日本近現代文学ポーランド語訳主要100冊 アンナ・ザレフスカ選
フィンランド語に翻訳された日本の文学作品についての一考察 上山美保子
日本近現代文学フィンランド語訳リスト 上山美保子作成
Ⅱ 
二〇〇〇年以降の日本現代詩の英訳状況と課題 田中裕希
中国における日本の幻想文学の受容 劉佳寧
翻訳家インタビュー パトリック・オノレ 聞き手=木村夏彦
私たちの知らない所で日本文学の花は咲いている―種子への讃歌としての小さなリファレンスガイド〈1〉 木村夏彦
 
小特集 覚醒する韓国SF
ブラックボックスとのインタビュー キム・ヘユン 廣岡孝弥訳
韓国SF―ジャンルの固有性と現代的テーマ意識 イ・ジヨン 廣岡孝弥訳 
未訳作家アンケート ソ・ユンビン/へ・ドヨン
執筆者略歴
 
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リンク
・公式noteの紹介記事
・BOOTH(紙版の通販)の『jem』商品ページ
・クラウドファンディングプロジェクトページ(内容予告などを活動報告の欄に掲載しています)
 
頒布場所:現在BOOTHで通信販売を行っています。
 
頒布価格:2100円税込(A5版、200ページ)
装画、表紙デザイン:YOUCHAN(トゴルアートワークス)

阿部大樹+タダジュン『翻訳目録』読書会レポート

昨年友人と行った、阿部大樹+タダジュン『翻訳目録』(雷鳥社)を課題とした読書会の簡単なレポート。以下文中の登場する「私」などの一人称は、このブログの筆者とは限りません。許可の上でまとめています。

★全体の感想
・文章から入る人、絵から入る人両方にとって楽しめる本。はじめに企画した編集者はすごい
・本として凝っている ページごとに難易度にバラつきがあっておもしろい
・絵本という形式の妙

★個別のページについて
・p18-19 
アラビア語では地震のことをジルジラと言う。ABAB式の擬音語だが、地震以外にこのことばは用いられない

韓国語も、日本語ほど多くはないが、ABAB式のものがかなりある(韓国の友人談)

「さらさら」のようなABAB型の語は、boing boingなど英語に少ないかもしれない。けれどそのことは英語という言語がリズミックでないことをまったく意識しない。crash, thudといった語を見ればネイティブはそこに音を聴き取る(マンガの英訳におけるオノマトペの処理はその例証かも)。あるいはbreak it upといったCVCのリズムのもたらす効果も考慮に入れてみると、単に「擬音の在り方」がことなるだけかもしれない

宗教における祈りのことばの反復性とスーフィズムの起源の関係

・P54-55
阿部さんのこのスタンスが好き いろいろな分野にあてはめられそう このページが好きな人が複数人

・P94
わたしが仕事で関係している業界では「濡れ性」ということばがある

・ページ数失念
ウィンタミン ビタミンなど「ミン」はケミカルな感じがする

・p24
アラビア語では接辞ごとの意味が強固にきまっている 古英語、ノルマンフレンチ由来の差など歴史的背景もあるかもしれないが、英語はけっこういいかげん?

★疑問点
・p90
「盛り込むことのできる情報は増える傾向にある」理由は、接続詞の数を減らせる以外に理由はあるのか?ふだん意識しないが、「段落」は縦書きを前提とした概念で、段が落ちると書くのはおもしろい 

・漢字はほんとうに表意文字と呼べるか

・p101
「ザンコクキワマル」を「中欧的な音」とする根拠はどこにあるのだろう

★ワークショップ「みんなの翻訳目録をつくろう」コーナー
・チェスの駒の動きの評価で用いられる言語について

・「butterfly in stomach」英語では緊張というニュアンスが強いが、ドイツ語ではたとえば恋愛中でハッピーなときに用いられる どうして言語によってちがうのか

多和田葉子の、あるインタビュー記事のタイトル「言葉の裡にひそむドラゴンの逆鱗に触れたくて」→ふつうはだれも人の「逆鱗に触れ」たくはないはずなので、とても面白い アジアの龍とヨーロッパのドラゴンも差があるはず
…ほか、要約できないくらい様々なコメント

★参考になるかもしれないもの(参加者間で後日シェアしたもの)
・接辞の生産性と透明性について(p24)
https://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2011-11-18-1.html
堀田隆一さんが英語史の観点から面白い記事をたくさん書かれています。トップページから「接辞 生産性」で検索するといろいろ出てきます。

・助数詞について
助数詞は日本語、中国語、韓国語以外にタイ語、ユカテコ語、アメリカ大陸先住民の言語などにあるそうですが、「環太平洋」という軸を考慮すると見えてくるものがある、という話題は松本克己さんの著作にあると友人が言っていました。

・音象徴について
川原繁人さんが一般向けにさまざまな本を書いています。

・ZINE『tanec』のチェコ特集
チェコ語のことわざについての記事が面白いです。

2025年の収穫(になる前のもの)

二年に一度のペースで読んだものの収穫をブログに掲載している。常に飢えていて、発育不全で、なのに咀嚼をするのに人一倍時間がかかる。前回から一年しか経っていないので載せないつもりでいたのだけど、けれど少し並べ始めるとろうそくに灯がともる。信じられないことに〈ほんとうに書かれてしまった〉書物への感謝の意を込めて、こっそりと掲げてしまおう。

・★は別格で愛着があるもの
・新刊かそうでないかを問わず、該当する年に読んだもの
・自分が編集した『jem』に収録されている作品や文章の類は外す

今回は収録情報は記さない。様々な事情でここに挙げないものがある。

『チェスワフ・ミウォシュ詩集』★
フレーブニコフ「カー(抄)」★
フレーブニコフ「ザンゲジ(抄)」★
クルチョーヌィフ「太陽の征服」★
エレーヌ・シクスー「サヴォワール」★
エルゼ・ラスカー‐シューラー「バグダードのティノの夜」★
楠勝平『彩雪に舞う…』★
麦原遥『逆数宇宙』★
山本沖子『花の木の椅子』★
関口涼子「詩人が翻訳家である十二の理由」★
阿部大樹『Now Loading』
金田理恵『ぜんまい屋の北京 道ばたの椅子』★
糸川乃衣「私は物語を殺さない」「珠洲に行ってきた話」(note記事)
市川沙央『ハンチバック』
ル=グウィン『所有せざる人々』
オクテイヴィア・バトラー『血をわけた子ども』
キム・ボヨン『どれほど似ているか』
デュナ「二番目の乳母」(未訳)
Wole Talabi “Saturday’s Song” 
Nalo Hopkinson“The Most Strongest Obeah Woman of the World”
ファン・モガ「透明ランナー」
シルヴィア・タウンゼンド・ウォーナー「五羽の黒鳥」
エカ・クルニアワン『虎男』(未訳)
ジャン・フェリー『虎紳士』★
朱天心「想我眷村的兄弟們」(未訳)
濱田麻矢「世紀末台湾の女学生――朱天心『古都』」(『少女中国』)
ジギー・ゼシャゼオフィナザブリスキー「公開法廷」
エラ・ヤング『Flowering Dusk(抄)』(館野浩美note)
ノヴァイオレット・ブラワヨ「ブダペストをやっつけに」
河野道代『思惟とあらわれ』
岡本啓「すがた」
季村敏夫「生かされる場所」
高貝弘也「白秋現代語訳」★
高田怜央『ANAMNESIAC』
小笠原鳥類『テレビ』
奥間埜乃『黯らかな静寂、すべて一滴の光』
ソホラーブ・セペフリー「住所」
デルモワ・シュワルツ「デルモワ・シュワルツ詩二篇」
小原奈実『声影記』★
大滝和子『竹とヴィーナス』★
水原紫苑「第一歌集『びあんか』より百首」(『星の肉体』) ★
角宮悦子『銀の梯子』
小川双々子『囁囁記』
阿部完市『軽のやまめ』
眞鍋呉夫『雪女』
高柳聡子×アレクサンドラ・プリマック「「あなたへ」と「あなたから」のあわいで」(「webふらんす」) ★
金景彩+孫眞元「文学とジャンルの(不)和──1990-2000年代の韓国におけるSFの位相」
斎藤真理子『隣の国の人々と出会う』
今福龍太「砂漠と書物 ジャベス『書物への回帰』」
沼野充義「さまよえる境界、捏造された幻影」
橋本輝幸「さよならアフロフューチャリズム」(再読)
秋草俊一郎・戸塚学編『教科書の中の世界文学』
角悠介『呪文の言語学
高島鈴・水上文編『反トランス差別ZINE われらはすでに共にある』

・補遺 リファレンス性の強い書籍含め、通読はしていないが現在進行形で影響を受けているもの
『澤』137号 特集永田耕衣
山口裕之編『地球の文学』
英詩研究会『Right Margin』
日本比較文学会学会編『越境する言の葉』

番外
ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』(1)(原書未読了)
イベント「随筆邂逅ーーZuihitsu、Haibun、世界文学、そして詩の現在地」(蜂飼耳×堀田季何×佐峰存×宮崎智之×平川綾真智)
「イラン現代詩を語る会」(8月)

現在、複数の映画館で「ネリー・カプラン・レトロスペクティヴ」と題し、これまで劇場で観ることが難しかったカプランの映画四作が上映されている。これを機に、カプランの小説にも脚光が当たるとうれしい。

「ネリー・カプラン・レトロスペクティヴ」の公式SNSではカプランの小説邦訳はふたつであるとされているが、雑誌『魔王』2号(書肆不死者画報、2003)に五篇が訳されている。特集名は「魔女のいる文学史」だが、編集後記で女性シュルレアリストの特集であることが明記されている。また筆者は未見だが、創刊号ではウルスラ・ナグジェフスキーとウニカ・チュルンについての特集が組まれたと記されている。

関心を持つ読者、読んだらきっと驚く読者もいると思うので、特集部分の目次をここに転記する。

A・ピエール・ド・マンディアルグ「女流シュルレアリスト」宮川尚理訳
宮川尚理「黒い哄笑―ベレンとネリー・カプラン」
ベレン掌編作品集】収録作:「絆の歓び」「キルケ―の洞窟」「疲れる事情」「カインとラ・ベル」「ある出会い」
宮川尚理「ベレン書誌」
加波都るみ「青い手袋の婦人―リーズ・ドゥアルムとアンドレ・ブルトン
リーズ・ドゥアルム「真実の日」加波都るみ訳
水引幸大「春雷の聞こえる午後 性を謳った女流詩人鈴木しづ子について」

ほかに特集外の記事として、相馬俊樹の幻想美術紹介、水引幸大の奇書をめぐる連載、丸木砂土の評論の復刻。

カプランの小説が秀作揃いなのに加え、比較文学を専門とする宮川尚理「黒い哄笑―ベレンとネリー・カプラン」はブルトン、カプラン、アベル・ガンスの三人の写った写真はじめ6枚の豊富な図版、『官能の貯蔵庫』発売時に本に折り込まれたベレンによる架空のプロフィール文(ベレンのエッセンスが凝縮されたフィクショナルな散文)の翻訳などを備えた卓越した作家紹介/伝記/論考となっている。「ネリー・カプラン・レトロスペクティブ」のパンフレットに鈴⽊雅雄が寄せた文章で触れられているブルトン、スーポー、マンディアルグらとの関わりにももちろん言及あり。

翻訳家垂野創一郎による、この特集に触れたブログ記事を紹介する。なお、この記事中のK氏とは筆者のこと。


「(略)K氏(ブログには書かないでくれと頼まれたのでここではイニシャルのみ)から、「ベレンの翻訳が載ってますよ」と教えてもらった『魔王 第二号 魔女のいる文学史』をようやく入手した。限定三百部。造本はAtelier空中線の間奈美子さん。発行所は書肆不死者画報という怪しさ満点のところである。しかしどの記事も驚くほどレベルが高い。

ベレンの翻訳も期待を裏切らないすばらしいものだった。悪徳の中のイノセンスをおしゃれな文体で追求する掌篇には中井英夫を思わせるものがある。自己の神話化とか昇華されたナルシシズムとかも共通している。いまでは入手困難になった雑誌だけでしか読めないのはあまりに惜しい。願わくはこれを訳された宮川尚理氏の手によってベレン(ネリー・カプラン)の翻訳が単行本としていつか出んことを。」

プヒプヒ日記「魔王 第二号 魔女のいる文学史」

 

4月7日発売の『群像』5月号に、「蘇生と時差」という題で『jem』を創刊した経緯についての短い随筆を寄せています。自分はあくまで寄稿してくださった方の「原稿をお預かりした」身分に過ぎず、このような場に登場していいものだろうか、とも思いました。ただ、どういう経験が雑誌を始めるきっかけになったかということはこれまで語ってこなかった部分でもあり、自分なりに思考して書いてみました。手に取って頂ければ、これ以上にうれしいことはありません。

 

その他、『jem』に関係した情報につきましては公式noteをご覧ください。

A ee mi『Platonic Love』

 

この短文では、台湾の俊英女性アーティスト、A ee miのフルカラー漫画作品を紹介する。目をみはるような異能の色彩センスと強固な批評意識が実装されたジェンダーSFの秀作である。

まず物語冒頭では、宏大な無辺の宇宙をバックに、作者による序文が白抜き文字であらわれる。2017年、台湾の司法院は現行の法律が同性同士の結婚を許可しないという事実を差別にあたると判断した。保守勢力は同性婚の法制化が施行されるに先んじてそれを阻止すべく国民投票に持ち込んだ。本作は、2018年に行われたそうした国民投票の直前に描かれた――。

台湾の司法院と作家の住む地域をわざわざ言明しているところからも、この序文そして作品が海外の読者を意識していることがすぐに了解される。物語全体が現状への強い批判として組み立てられているという事実がすでに示されているのだ。

ページをめくると、舞台はとつぜん神話空間へと移行する。ギリシャ神話においては人間は奇妙な球体のごとき似姿をとり、四本の手と脚を持つ。男、女、そして第三の性として両性具有(アンドロギュヌス)が存在するが、この両性具有の力の強さを目にしたゼウスは脅威を感じ、おのおのを男女へと切り分けてしまう。この時以来、半身に分けられた男女は互いを不断に欲し、焦がれるように探し求めあうようになる。ショッキングピンクとその補色である緑を用いてここで描かれるアンドロギュヌスは妖しく蠱惑的、鳥肌が立つほどにグロテスクで、一度でも見てしまえばこの像を忘れることはできないだろう。ここに本書の固有性があるのだと、まずはちいさな声でさけびたい。

さて、ここまでは、プラトンがその著書『饗宴』においてアリストファネスの口を通して語らせている、いわば一挿話である。

しかしさらにページを繰ると、舞台はふたたび星々のまたたく銀河へと戻る。今度は無数の惑星を登場人物に見立てたうえで説明的なモノローグが続いていくのだが、この語り手はなんと、ギリシャ神話における半身と、天体に作用する重力は相同であると言い切るのである。

いわく、たがいにはるか離れた星の肉体はつよく惹かれ合っている。同性恋愛の惑星も、異性恋愛の惑星もパートナーと混交し同一化するちからをそなえている。しかし宇宙には破壊をもたらす存在が周遊しており、この存在は同性恋愛の惑星だけを標的として攻撃、破壊を企てる。強大なこのちからは、法律、宗教、社会などさまざまな領域においても発現する(註:コマをみれば、この記述は社会差別のことを表しているとわかる)。

続いて物語は近未来へとさらに場面を転じる。この社会においては、すべての人間は産まれ落ちたときから手の甲のそばにしるしを持っている。男は緑、女は赤――。異性愛こそ普通、同性愛は「異常」とされ同性愛カップル間の結婚も禁じられている。ただしこの社会では、すべてのひとはそのしるしによって不思議なちからをも授けられている。鏡に映ったおのが肉体に刻まれているしるしを凝視(ルビ:みつ)め、つよく念じれば宇宙旅行ができるのである。

本作における主人公はここにきてようやく登場する。短髪に筋肉質の手足、ピンク、オレンジ、黄、青、緑のコスチュームと装身具を身にまとわせたこのキャラクターは、多元宇宙をあまねく探しても出会える可能性の限りなく低い片割れをもとめて旅に出る。

以後の展開は、比較的単線的でわかりやすいプロットをそなえた探求物語(行きて還りし物語)のかたちをとっている。それぞれの旅路には通し番号が振られていて、片割れを探す旅がバッドエンドに終わる度に同性愛の主人公は再度姿をまったく変えて新たなる旅へと立つ。宇宙旅行ではどこに飛ばされるかは予想できないことが作中で説明されるが、本書において主人公は完璧性の恋人を求め、不自由なままに次々と転身していくのだ(だから本書のタイトルとなっている「プラトン的恋愛」は、純化された精神的恋愛への志向という点で語義通りの意味で用いられている)。

14度目の旅では舞台は鬱蒼としたジャングル、主人公はキュートで愛くるしいピンク色の恐竜として世界をさまよう。この旅では片割れを発見するところまでは辿り着くのだが、ふたりが抱擁するはずのその瞬間、予想外のできごとによって悪夢的な結末をむかえてしまう。

さて、ここでこのシーンひいては本作と呼応する台湾の社会状況について解説してみたい。

台湾が、現在アジアのなかで同性婚を唯一法的に認めている地域であるということはニュースなどにより比較的よく知られていると思う。これを聞くと、台湾はリベラルで国民の誰もがセクシュアルマイノリティに寛容な、“進歩的な”国だという印象を持ってしまう向きも多いかもしれない。けれど、鈴木賢『台湾同性婚法の誕生  アジアLGBTQ+燈台への歴程』(日本評論社)および赤松美和子、若松大祐編『台湾を知るための72章 第2版』(明石書店)を繙いてみると、同性婚合法化へのけして平坦ではなかった道のりが視えてくる。同性婚をめぐる2018年の国民投票では同性婚推進派が大きな差をつけられて敗北している(たとえば、「民法婚姻を男女に限定」の項目では766万対291万で同意票が上回っていた)。この際、反対派は日本円で4億円を超えていたと推察される巨額の広告費を投じ、「同性愛はエイズ、およびそれがもたらす死の原因になる」という物語仕立てのCMをテレビでくり返し放送した(海外のキリスト教関係の団体から資金援助があった可能性も鈴木氏の本では示唆されている)。『台湾を知るための72章 第2版』における「性的少数派」の項によると、偏見にみちたこうしたネガティブキャンペーンにより自殺やリストカットに追い込まれた当事者の数は100人以上だったと言われる。A ee miの作品において「同志(台湾ではもともと「同性愛者」の隠語だったが、90年代以降「性的少数派」を表すように意味が広がった)」に悲劇が降りかかるのはこの現実世界とそのまま地続きのできごとであり、そこに境界線は存在しない。

以上、結末に触れないかたちで作品ならびにその理解に通じてゆくと思われるコンテクストを紹介してきた。15度目以降の旅については、それぞれの読者がその目で展開を見届けてもらえればと思う。自由を希求する切なる思いを銀河のなかに結晶させる光景、それに立ち会えるのはきっと幸福なことだ。

散文的なメッセージに還元されうるレイヤーをすべていったん留保しても、間近で視る地上3メートルの虹のように鮮烈なこの色彩感覚(visual logic)に恵まれた漫画はきわめて稀少であるようにみえる。そうと気づかないうちにこうした作品をくるしいほどに渇望している世界中の読者に、光輝とともに発見されてほしい。

※Paradice Systemはアメリカの出版社だが、本書は出版社のサイトから通販で買えるほか、国内ではブックギャラリーポポタムおよびそのネット通販で購入することができる。また、筆者は以上の英語版で読んだが、中国語版は台湾のwildflower bookstore(荒花書店)から刊行。後者は国内ではLONLINESS BOOKSの通販で買うことができる。

参考図書
鈴木賢『台湾同性婚法の誕生  アジアLGBTQ+燈台への歴程』(日本評論社、2022)
赤松美和子、若松大祐編『台湾を知るための72章 第2版』(明石書店、2022)
プラトン『饗宴』(新潮文庫、2006)
多田智満子「かのオルフェウスも言うように」『書物の王国 両性具有』(国書刊行会、1998)
(初出:海外マンガ情報誌『漫海』Vol.4、2024)

 

 

大滝和子歌集『銀河を産んだように』勉強会のために作成したハンドアウト

とある勉強会のために作成したハンドアウトですが、参考までに転記しておきます。本来は縦書きで、改行位置以外は手を加えていません。

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大滝和子『銀河を産んだように』を読む

1.primitiveness(原初性)
つい最近まで、月にはウサギが住んでいた。20世紀後半以降、人工灯が都市を覆い、科学によって事象を峻別する「合理的」思考が根付くのに伴い自分たちの運命を星占いに求める人間も少なくなった。Youtubeにひとたびアクセスすればいまや容易に火星の表面を観ることができる。野外で星の運行を眺める時間が減るにつれ、人類は以前より宇宙に対して畏怖を感じなくなったのではないか。サイエンスフィクション(量的には1950年代に黄金時代を迎えたとされる)がフォーミュラフィクションの色彩を帯びて以降、作家がたとえ宇宙を舞台として設定しても、それが単なる書き割りであることも極端な例ではなくなった。大滝和子が「銀河」「惑星」「光年」「地球」という語彙を用いる時、そこにはほとんど常に稀少なプリミティヴネスが保持されてはいないだろうか。

創作とは鬼才の独創の世界である限り、それを持って世代ごとの想像力を論じるのには危険がつきまとう。しかしたとえばともに1930年代生まれの詩人、矢川澄子や〈遊星の人〉多田智満子が「宇宙」と唱えればその瞬間、読者をとり囲む宇宙は実際に鳴動するという気がする。宇宙に対する感覚に世代差は関係するのか。あるいは、それについて検討することに意味はあるのか(大滝和子は1958生まれ)。

2.巨視的と微視的の往還/極小と極大の一瞬

初恋に韻ふみて恋う 金星軌道のかたちの指輪ひだり手に嵌め

迷いつつ脈打つわれの肉体が白点となる距離もあるべし

麦畑腕の帆はりてふりむけば背中のうしろに広がる未来

サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように恋しい

宇宙線に髪梳かれいるここちして白木蓮の公園めぐる

あしたへの遠近法の坂道をユークリッドと腕くみ進む

光年を離れまたたく現実をねむれぬ夜の窓から仰ぐ

銀河が産まれるさま、あるいはヴァイオリン状の人類(それとも人類状のヴァイオリン?第二歌集タイトル「人類のヴァイオリン」より)をたとえば小説やナラティブとして叙述するには、必ずある程度の語数が必要とされる。しかし詩歌であれば、直喩であれ隠喩であれ、「銀河を産む」は一瞬で発動してしまえる。こうした詩歌の強みを非凡なかたちで活かしているのがこの歌人の美点ではないか。

〈直喩〉
吾ひとり影うつされて過ぐる晩よ輪廻のごときジャズ浴びて寝る

スカートがわたしを穿いてピクニックへ行ってしまったような休日

指柱それぞれ離し眺めおり手のひらという吾の神殿 

〈隠喩〉
画布上に銀河大の疑問符を寒色に塗りこめて部屋でる

眠らむとしてひとすじの涙落つ きょうという無名交響曲

相対性理論を習うまなざしの二億秒まえ飼っていた猫」に着目してみる。物理的な近景・遠景の往還だけではなく、時間軸においても現在/悠久、未来/太古を歌人は瞬間的に移動してみせる。「ボールの起源たどりてゆけばそのむかしアダムとイヴに食われた林檎」に見られるように、変哲のない日常の事物を眺めても「起源」を幻視してしまう。スポーツをも叙事詩に流転させてしまう。

論点:レポーターはひとまず巨視的と微視的という二分法における、運動や反転というよりも一瞬の変容のようなものを作者のセントラルモチーフとして捉えているが、これは妥当だろうか。二分法という理解で取りこぼすものも多いかもしれない。同時に、カメラが線的にズームイン/アウトするようなイメージを結ぶ歌はほぼ見つけることができなかったように思う。

3.「隔たった」古代文明、神話への関心
エジプト神聖文字の石碑に刻されし鳥さわさわと水際はなる

プラトンより遠くから吹く風に散り桜は粒子運動をする

ペルシア語はなしてみたき舌先をもてあましいる春のゆうぐれ

秋風にきよく額をみがかせてアテネの神話おもいておりぬ

て・に・を・は、と舌より分泌しやまざるアルタイ語族ひしめく電車

神話や異国、文明のモチーフは頻出するが、たとえば東南アジアや中国、アフリカなどの国・地域よりも頻度としては古代ギリシアや中東などが言及されることが多いようにみえる。地域名がなくても「羊皮紙」「角笛」といった言葉が登場する歌は多い。これはなにを意味するのか?「プラトンより遠く」という語法からは、作者がプラトンを遠い存在として捉えているとひとまず見て妥当だろうか?いずれにせよ、こうした固有名詞のおおらかで自在な召喚が大滝ミクロコスモスの悠久性に寄与していることは間違いないのではないか。

論点:特定の文明、地域への関心はなにを意味するのか。

4.その他細かなトピック
・細かな技巧面:なにを「ひらく」か、あるいは表記上の工夫

修道院の塀しろませたる塵の上いっぽんの指触れつつあゆむ

こうした「ひらきかた」がおおらかさ、やわらかさに寄与しているか。歌集中では、読み方が難しい漢語などはほぼまったく使われてないように見える。

・科学への関心、形而上学言語学用語の多用
こうした語を好んで使うとはいえ、ペダンティックというよりは身体性、おのが肉体を出発点としていると言えるだろうか?

肉体の文法かなし 草汁と汗がまじる白いTシャツ

向日葵の高きにありて素枯れゆくひとつの季節はひとつの人称

あじさわう目からあふれるH2O つめたき鍵を遠因として

・作者の文学的バックボーン
宮沢賢治(の作品世界)への言及がとみに多い? 
アニミズム、交響性という共通点?
教室の窓いっせいに拍つ驟雨かがようバッハの楽となりたり

4.以上の論点に回収されない秀歌(恋愛モチーフ、その他)

17進法で微笑し目をそらすもう少しはやく逢っていたなら

《夜まで》の《まで》がいっぽんの楡となりきみへきみへと葉擦の音は

きみの名と同音である抽象語ふとさりげなく会話に入れる

ハーブシャンプーしたての髪を拭くわたし12種類の声で歌える

平行四辺形の女がやってくる 並木道を泣きながら

天文台学術員はわれに云う みどりのムーンのぼる異星を

資料
谷川俊太郎「二十億光年の孤独」(1931生、詩集は1952)
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
 
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

大学時代のゼミの友人たちと。「東京人」に連載されている池澤春菜「東京異国ごはん巡り」11月号で紹介されている、アラブ・パレスチナ料理「アルミーナ」。オーナーはイスラエル生まれのパレスチナ人の方。この連載は食文化についての歴史的な視点からの記述や社会情勢への言及を含んでおり、字数はごく短いけれど面白い。パレスチナ人は東京に12人、日本全体でも82人のみで、みんな顔見知りなんだそう。温かいヤギのチーズケーキ、クナーフェは今まで食べたどんな食べ物にも似ていなくて、爆発しそうな味。絶対おすすめ。

 

文学フリマ東京39の収穫

●『カモガワGブックスVol.5 特集:奇想とは何か?』

・下村思游「国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索を用いた「奇想」および「奇想小説」の語誌の概観」:
「「奇想小説」と何らかの作品群を称することはあれど、その語の由来、使われ方の変遷をあまり意識することはない。そもそも「奇想」という語は日本において、どこから使われだしたのか? 現役の司書であり、円城塔研究で知られる下村氏による、国会図書館デジタルコレクションのデータベースを駆使した「奇想」という語の歴史を辿る貴重な論考」。(公式サイトより)

先日もホイト・ロング『数の値打ち』を拾い読みしていたが、文学研究における数量的アプローチには関心を抱いている。大森望の文章で「奇想小説」という語を初めて目にしたときに、何のこと?どんな小説?と訝しんだ記憶を覚えているけど、まさにこういう記事を読んでみたかった。さまざまなほかの術語で変遷を追ってみても面白いのではないか。たとえば「魔術的リアリズム」というとラテンアメリカ文学との連想が日本では強いが、1955年に岩波から出たエルンスト・ユンガー『大理石の断崖の上で』を読んだとき、その訳者あとがきに早くも魔術的リアリズムという語が出てきて、歴史を知りたいなと感じたことがある。

ラッセル・ホーバン『リドリー・ウォーカー』(第一章研究訳)
期待値のとても高い本の、冒頭の試訳。原書が現在倉庫にあって参照できず、これだけでコメントするのは控え、完訳を読んでみたい。そして、完訳が出たとしても、死ぬまでにホーバンのほかの長篇も読んでみたいと切に願う。

・坂永雄一「小さなはだしの足音」
数回前の更新を参照。

ほか、蛙坂須美「ラテンアメリカ奇想小説パレード」:などブックガイドも相当な熱が入っている。「第2回カモガワ奇想短編グランプリ受賞作」は未読。既刊に掲載された谷林守「レイナルド・アレナスを概観する」など含め、カモガワGブックスの海外小説記事は、「ちょっと好き」というレベルを超えて、ファナティックな領域に行っているものが多いと思う。なお、Vol.4に寄稿した筆者の文章は、許可を得たうえでこのブログに再掲しています(ポートフォリオ参照)。


●ファン・モガ『地上生活適応困難症』

・「スウィート・ソルティ」
移民文学のエッセンスを宿した好短篇。「ワームホール」などの名が出てくるラスト1ページよりも、人生の総てを海の上で過ごしたゆえに、初めて陸に降り立つと主人公は(いわば)「地上酔い」が止まらなくなる、そうしたアイデアの方にSF性、思考実験性を感じた。著者のファン・モガは日本に十数年在住されているそうで、そうした伝記的事実を非方法論的に投影して読むことはもちろん先入主になりうるだろう。ただ、「エミュー国」「海の泡国」といった名の鏤められたこの小説で横浜という港町だけは実在の地名であるのには注目したくなってしまう。「イデのネックレス」が電灯のスイッチ紐になった、とあるのはとりたてて華美でない日本の一般的な家屋を想起するのが正しいのではないかと思えてくるのだ(さして広くない集合住宅の和室を思い浮かべて読んだ)。寓意的な雰囲気が、後半にいたり日本の日常に溶け込んでしまう異物感。

だから、主人公にとって「地上適応困難症」を克服することは、「海の上」という永遠に場所がひとつところには定まらないという意味で故郷とは呼べないはずの、けれど精神的にはやはり暖かな居場所であった空間の記憶を忘却することをも同時に意味してしまう。このあたりの記述は移民二世、三世にとっての同化(assimilation)の問題を描いていると個人的には読んだ。スウィートでありソルティでもあることは、ある個人の内面の運動ではけして矛盾しないのだと思う。

・「オメラ市へ還る人々」
「オメラスから歩み去る人々」を下敷きにした作品が、世界中で書き継がれていることは知っているつもりだった。BTSの有名なMVも観た。ただ、本作で「青梅等市」という表現を目にしたときには、虚を突かれたような感覚を覚えた。一年間、東京の西のほうで働いていたことがあって、そのころは、毎日青梅駅行きの電車にゆられていた。大学生の頃に読んでショックを受けたあの短篇の、どこから行っても遠いはずのオメラスという土地が、いきなり自分と馴染みのある土地に不意打ちのように接続されてしまったような唐突さ。オメラスを準拠枠とする作品はこれからもますます書かれるにちがいないが、こうした経験はアジアの文学を読まないと訪れないはず。

アニタ・ルース『紳士は金髪がお好き』(ハンガーの巣)

マリリン・モンロー主演の映画『紳士は金髪がお好き』の原作です。多くの映画の脚本を手がけた作家アニタ・ルースによる小説。フィッツジェラルドの『偉大なるギャツビー』と同年に販売され、その翌年にはアメリカで2番目に売れた小説となりました。「100年前を切り取るベストセラー」を読んでみませんか?
日記を模した小説(書簡体小説)であり、すべての文章に日付が振られています。金髪女性に言い寄る紳士たちや型破りな女友達の様子が、主人公ローレライの目からコミカルに描かれていて、読んでいて飽きません。」(公式サイトより)

生田耕作も一目置いていた(邦訳の一種はサバト館から刊行)、Roaring Twentiesのアメリカ文学中篇。

「教育的」という語が頻出するけれど、ふつう想起されるものは(この時代であればとくに)男性と女性のあいだに明確な力関係がある展開。言いかえると、男性が女性を一方的に「教育」するというモデル。ただ、主人公は受け身からは程遠く、一見そう見えるときでも出会う男性出会う男性をひらり軽やかに翻弄する筋書きとなっている。その倒錯、というよりはチャーミングな「いつの間にか」性に魅力があるのかなと個人的には感じた。

本書には収録されていないが、常盤新平訳(大和書房)に付された作者の序文を読むと、テクストの持つ意味が大きく変わってくると思う。ここでは詳述はしない。ちなみに、秦豊吉訳、常盤新平訳と本書をくらべると、本書の訳注がもっとも詳細で、情報量が多い。

平山亜佐子吉川浩満編『今思い出してもよくわからない謎の体験を語る あれはなんだったんだろう 其ノ參』(あれはなんだったんだろう制作委員会)

読み途中。あとから振り返ると「あれはなんだったんだろう」という奇妙な感覚が残る実話エピソードをまとめた読者参加型の本。コンセプトが、筆者が作品を掲載してもらったことのある、高橋源一郎内田樹編「ナショナル・ストーリー・プロジェクト日本版」と少し似通っていて、なんだか親しみを感じてしまった。柳下毅一郎なども参加者にいるが、間奈美子の名を見つけてとても驚いた。空中線書局から出ていた未生響名義の詩集を追っていた身としては、こういう媒体に書くとはちょっと想像しがたいと思ってしまったのだ(内容と形式は分離できない、美学の結晶した、あの愛くるしいちいさな本…)。今でも、商業媒体では実質作品をまとめて読めない詩人のなかでは最高の一人だと思っている。高輪の啓祐堂で出会った、未生響の歌う、そして見上げる天末線、あれはなんだったんだろう。

 

ロシア文学者の高柳聡子とロシアの詩人・アレクサンドラ・プリマックの往復書簡 、「「あなたへ」と「あなたから」のあわいで」。どんな内容かな、と電車で軽く目を通すつもりが、最新の分まで凄く集中して読んでしまって、アレクサンドラ・プリマックの詩が訳出された12月の回を読んで泣いてしまいました。感情の正体はよくわからないのですが、「泣くと本当に涙が出る(中村葉子)」。奈倉有里が「群像」で、原発について聞き書きをするのを理由のひとつに新潟に移住した、そこから都内の大学に通って教えていると語っていたのを目にしたときに凄絶な驚きを感じましたが、この詩人は「12月31日、広島に行って、12時の願い事を原爆ドームで」することを思い立ちます。その帰りの新幹線の中で書かれた作品です。

webfrance.hakusuisha.co.jp

lithub.com

ティプトリーの伝記(自分は未読です)でつとに知られるJulie Phillipsによる、ル=グィンの政治活動への関わりを精査する記事(1/3のLiteray Hub)。韓国SF界ではオメラスを下敷きにした作品が大量に書き継がれているそうですが*、「オメラスから歩み去る人々」は創作メモの段階ではオメラスを外部から訪れた人間が子どもを救い出すという設定だったとの記述があります。この事実はル=グィンの伝記執筆に現在取り組んでいるJulie Phillipsがどうも初めて明るみに出したようで、少なくない数の英語圏の読者が驚きを表明しています。*書かれなかったオメラスがあるという事実は、作家をさらに刺激する創作の源となってしまうかもしれません。

*1 11/30に本屋B&Bで行われたパク・ヘウル×ファン・モガ×inch magazine「新たなる韓国SFの世界」でのトーク内容より。
*2 ジョナサン・ストラーンとゲイリー・K・ウルフのThe Coode Street Podcast最新回(1/6、書評家の橋本輝幸さんがマストドンで紹介していて知りました)でもこの話題が出ています。36:00頃~。

朱天心「想我眷村的兄弟們」

朱天心の『古都』は、この十年で読んだ海外小説で十作選ぶなら必ず入ってくる、それくらい僕にとっては大切な作品(これから読まれる方は川端の『古都』を必ず先に読むこと、でないと味わえない)。この「想我眷村的兄弟們」のことは中国の翻訳家の方が教えてくださった。日本語訳はないようですが*英訳ならあります、との言葉とともに。

本作は眷村文学の傑作という名声をすでに確立しているそうだが、作品の歴史的背景やプロットの紹介、詳細な分析は赤松美和子氏の『台湾文学と文学キャンプ: 読者と作家のインタラクティブな創造空間』(東方書店)に収められている論考「朱天心「想我眷村的兄弟們(眷村の兄弟たちよ)」に見る限定的な「私たち」」が参考になる。方法論の観点からすると、『古都』で全面的に展開されている手法の萌芽、非凡なる重層性がすでにこの作品では明確に見て取ることができる。作品としての価値はどうしたって『古都』に軍配が上がるはずだ。しかし眷村をここまで正面から扱った作品は恥ずかしながら読んだことがなく、その意味で台湾の歴史を知る意味でもいま読めて心からよかったと思う。そして読み手の現実に接続されるこの幕切れは圧倒的。

以前ブログで『古都』の感想を書いた際にもカルペンティエールクロード・シモンに触れたが、『古都』が真性の傑作『バロック協奏曲』に少しも劣らない、という気持ちは少しも変わっていない。朱天心、という整った漢字三字のつらなりを見るだけで、冷静さを失ってしまう。胸の鼓動が速くなる。

そして聞いたところによると朱天心は最近小説を書いていないらしい(真偽はわからない)。普通の作家についてそうしたことを聞けばふつうは嘆息してしまう。しかし朱天心ほど明敏な書き手であれば、それもあり得るな、となぜか奇妙に納得してしまうのだった。もちろん、新作が現れるのであれば、狂おしいほど読んでみたい。

*ISBNのついていない書籍として、邦訳は九州の小さな出版社から90年代に刊行はされているらしい。詳細未確認。英訳はコロンビア大学出版局の『The Last of the Whampoa Breed: Stories of the Chinese Diaspora』収録で、筆者はこれで読んだ。

2023~2024年の収穫

わずか一年の読書ではテーマが前景化しないので、2023~2024年というおよそ七百日に読んだ本の収穫。

それにしても、この頑迷な肉体!日に幾度となく自分の遅読ぶりに思いを馳せ、神を呪いたくなることもしばしばだ。でもそんなときは、詩人・批評家のSusan Stewartが自分の学生たちに向けて語ったことば、「詩の社会的な効用のひとつは読者の読む速度を遅らせることだ」ということばを思い起こして自分を慰めることにしている。

・★は別格で愛着があるもの
・新刊かそうでないかを問わず、該当する年に読んだもの
・刊行から4年以内のものは発行年も示す
・自分が編集した『jem』に収録されている作品や文章の類は外す(ただし再録は除く)


大江健三郎同時代ゲーム』(新潮文庫)★
ケイト・ウィルヘルム『杜松の時』(サンリオSF文庫)★
ジャン・ジュネ『判決』(みすず書房) ★
小松理虔『新復興論』(ゲンロン) ★
Pemi Aguda Ghostroots(Virago, 2024)★
キム・チョヨプ、キム・ウォニョン『サイボーグになる』(岩波書店、2022) ★
残雪『最後の恋人』(平凡社) ★ 
残雪『黄泥街』(白水uブックス)
Samantha Harvey Orbital (Grove Press, 2023)
Rebecca Solnit A Field Guide to Getting Lost(Penguin)※邦訳あり
Ursula K. Le Guin Steering the Craft(Eighth Mountain)※邦訳あり
Ursula K. Le Guin “A Left-Handed Commencement Address”(Ursula K. Le Guin公式サイト)
アリエット・ド・ボダール『茶匠と探偵』(竹書房)
アレン・カーズワイル『驚異の発明家の形見函』(創元推理文庫、上下巻)
尾崎翠『ちくま日本文学 尾崎翠』(筑摩書房)※一部再読
鈴木いづみ『ハートに火をつけて!』(文遊社)
岡田利規「掃除機」(『掃除機』白水社、2023) 
谷崎由依『鏡のなかのアジア』(集英社文庫)
円城塔『文字禍』(新潮文庫)
佐藤春夫「女誡扇綺譚」(『女誡扇綺譚 佐藤春夫台湾小説集』中公文庫ほか)
泉鏡花草迷宮』(岩波文庫)
泉鏡花「化鳥」(『日本幻想文学集成 泉鏡花 化鳥』国書刊行会)
坂永雄一「小さなはだしの足音」(『カモガワGブックスVol.5 特集:奇想とは何か?』2024)
アンリ・ミショー『魔法の国にて』(『アンリ・ミショー全集4』青土社) ★
アンナ・ゼーガース「死んだ少女たちの遠足」(『世界文学全集 94 ゼーガース/A.ツヴァイクブレヒト講談社) ★
ジーン・リース「あいつらにはジャズって呼ばせておけ」(『あの人たちが本を焼いた日』亜紀書房)
パウル・ツェラン「山中の対話」(『パウル・ツェラン詩文集』白水社) ※再読
タチヤーナ・トルスタヤ「夜」(沼野恭子訳『魔女たちの饗宴 現代ロシア女性作家選』新潮社)※再読
フリオ・コルタサル「クロノピオとファマ」(『クロノピオとファマその他の物語』)※未訳
Rosario Ferré “The Youngest Doll” in Ann and Jeff VanderMeer(ed.)The Big Book of Modern Fantasy(Vintage)
Ogawa Yukimi “Perfect” in The Dark Magazine 2014年5月号
ルーシャス・シェパード「竜のグリオールに絵を描いた男」(『竜のグリオールに絵を描いた男』竹書房文庫)
フランク・オウエン「世界を渡る風」(「世界を渡る風」(那智史郎・宮壁定雄編『ウィアード・テールズ1』国書刊行会)
フランク・オウエン「折れた柳」(「FANTAST」24号)
野村喜和夫「戦後散文詩アンソロジー」(「現代詩手帖」2024年7号)
崎原風子『崎原風子句集』(海程新社)★
堀田季何『人類の午後』(邑書林、2021) ★
大滝和子『銀河を産んだように』(『「銀河を産んだように」などI・II・III歌集』短歌研究社、2024)★
平出隆『家の緑閃光』(書肆山田)※再読★
山本陽子全集』第二巻 (漉林書房) ★
四元康祐『噤みの午後』(思潮社)
辻征夫『かぜのひきかた』(書肆山田)
ジャン=ミシェル・モルポワ『見えないものを集める蜜蜂』(思潮社) ★
ワート・ラウィー「詩とは反逆だ」(福冨渉note) 
アイリーン・ニクリャナーン 「捕獲」(「英文学評論」2023年5月号)
リンゲルナッツ「全生涯」(安野光雅森毅井上ひさし池内紀編『ちくま文学の森9 賭けと人生』筑摩書房)
ユリイカ 特集:現代語の世界」(2022) 
阿部大樹『翻訳目録』(雷鳥社
阿部大樹『Forget it not』(作品社、2022)
栗田路子ほか『夫婦別姓』(ちくま新書、2021)
阿良田麻里子『世界の食文化 インドネシア』(農山漁村文化協会)
ニール・カミンズ『もしも月がなかったら』(東京書籍)
イ・ソンチャン『オマエラ、軍隊シッテルカ!?』(バジリコ)
金田理恵『ぜんまい屋の葉書』(筑摩書房
山田参助あれよ星屑』(1)~(7)(エンターブレイン) ★
伊藤重夫『ダイヤモンド・因数猫分解』(アイスクリームガーデン)
A ee mi『Platonic Love』(Paradice System、2023)
プラトン「アンドロギュノスについて」(『書物の王国 両性具有』国書刊行会)
和田忠彦×四元康祐「詩、小説、翻訳の向こう側」(「現代詩手帖」2019年10月号) ★
和田忠彦×四元康祐「シベリア経由、ヨーロッパ⇄東京」(「現代詩手帖」2020年2月号) ★
沼野充義「ルジェヴィッチ、あるいは生き残りの論理」(『世界文学論』作品社)
Binyavanga Wainaina“How to Write About Africa”(「Granta」)
橋本輝幸「私たちの相違と共鳴」(「文藝」2021年春季号)
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡 第九回 稀代の幻想小説家とSF界をめぐって――山尾悠子(「SFマガジン」2023年10月号)
劉佳寧「魔窟訪問記」
内沼晋太郎、綾女欣伸編著『本の未来を探す旅 ソウル』(朝日出版社)
千葉文夫「パリのキューバ人 アレッホ・カルペンチェール」(『ファントマ幻想』青土社)
尹相仁+朴利鎮+韓程善+姜宇源庸+李漢正『韓国における日本文学翻訳の64年』(出版ニュース社) ★
クリス・ローウィー+今野真二「日本語表記のアーキテクチャ」(「未草」2023~2024年) ★
井上ひさし「振仮名損得勘定」(『私家版日本語文法』新潮文庫)
松浦寿輝「点の滴り」(『松浦寿輝詩集』〈現代詩文庫〉思潮社)
パトリック・オノレ「新たなるパラディグム」(『定本夢野久作全集』月報、国書刊行会)※再読★
パウ・ピタルク・フェルナンデス「スペインにおける日本文学の翻訳事情」(『多元文化』7号、早稲田大学多元文化学会)
ジェフリー・アングルス「詩史と同性愛の削除」(「現代詩手帖」2012年11月号)
梅木英治『最後の楽園』(国書刊行会)

・補遺 リファレンス性の強い書籍含め、通読はしていないが現在進行形で影響を受けているもの
the Times Literary Supplement Podcast
John Updike Odd Jobs(Random House)
John Updike More matter(Random House)
皆川博子皆川博子随筆精華』1~3(河出書房新社)
山尾悠子『迷宮遊覧飛行』(国書刊行会、2023)
大名力『英語の綴りのルール』(研究社、2021)
大名力『英語の文字・綴り・発音のしくみ』(研究社)
海老島均、山下理恵子編著『アイルランドを知るための70章【第3版】』(明石書店)
伊藤亜人、大村益夫、高崎宗司、武田幸男、吉田光男ほか監修『韓国朝鮮を知る事典』(平凡社)

・映画
「祈り」(テンギス・アブラゼ監督)
「奇跡」(カール・ドライヤー監督) 
「吸血鬼」(カール・ドライヤー監督) 
アンダーグラウンド」(エミール・クストリッツァ監督) 
「はちどり」(キム・ボラ監督)
ひなぎく」(ヴェラ・ヒティロヴァ監督)

自分のいわゆるポートフォリオを作ってみました。作り手側に回ったのは『jem』が実質初めてに近いような気もします。そのあたりは自分ではよくわかりませんが、肩書きとかそういうことよりも、何よりていねいな「読み手」でありたいと思っています。
 

 air-tale.hateblo.jp

 

『jem』創刊号についてのお知らせ

12/1の発売日に文学フリマ東京39頒布分、通販分ともに完売した『jem』創刊号ですが、このたびBOOTHにて少部数ですが通販を再開しました。どうぞよろしくお願いいたします。特集は「未来視する女性作家たち」、小特集として「東方幻想の世界」。詳細は公式noteをご覧ください。執筆者一覧(五十音順):秋草俊一郎、阿部大樹、あわいゆき、石川美南、礒崎純一、大島豊、木海、岸谷薄荷、木村夏彦、鯨井久志、焦陽、白川眞、菅原慎矢、高山直之、垂野創一郎西崎憲、パウ・ピタルク・フェルナンデス、平山亜佐子、ヘレン・ホラン、堀田季何、増田まもる、マヌエル・アスアヘアラモ、ミミ・シェン、山口真果、山本貴光、劉佳寧、ローレル・テイラー、渡邊利道、王子豪

 

リンク
・BOOTHの『jem』商品ページ
・雑誌内容の詳細な紹介(公式note内)
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