2021年冬に柴田元幸氏ら編集の英語版「MONKEY」2号で作品が英訳された尾崎翠。中国の気鋭の幻想文学研究者、劉佳寧さんへのインタビュー(→LINK)をみていたら現在、山尾悠子だけでなく尾崎翠をも翻訳中とあってうれしくなった。「MONKEY」1号では由尾瞳氏が英語版にはじめて出遭ったときの新鮮な感動を綴っていたけれど、英語版もしっかりした完訳があるのだし、本のかたちで出てほしいなあ。なお、学術誌に掲載された関係か、オンラインでどうも合法的にアップされているようです(→LINK)。
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山尾悠子が「幻想文学」60号のアンケート、「幻想ベストブック1993-2000」で挙げている本の一冊は中野美代子(中国文学研究者)の『眠る石』。円城塔もある書店の選書フェアで別の本を「圧倒的」と述べていたし、「小説家とはあまり認識されていないけれど、writer’s writer的な、静かに敬意を集める幻想小説作家」ともみなせるのだろうか。文庫にもなっている『眠る石』は東南アジアもので、一篇一篇がそれこそもの足りないくらいに短いんだけど、寺院や回廊や石柱の質感や死の匂いを感じさせる好著です。
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「夜想」山尾悠子特集「山尾悠子年譜」、少なくともひとつ抜けがある気がする。安田均、水鏡子らが携わった「オービット」1977年秋号(イギリスSF特集)に数ページばかりのインタビューが掲載されているのだけど、書誌として記されていない。「同人誌は省く」というスタンスであれば、「星群」掲載のエッセイだって省かれるはずだから、これは抜けと考えていいのではないでしょうか……。なお、「幻想文学」3号のインタビュー「世界は言葉でできている」は83年なので、非商業誌としてもこれは最初期のインタビューとみなせるのでは。
大好きな本(ただし2011年までの基準で)
・東日本大震災、留学への準備、身内の不幸などによって不可避的に文脈が変わらざるを得なかった2011年までに読んだ「大好きな本」。
・ほぼすべてが2011年までに読んだ本だが、「2011年までに着手して、読み了えたのは2012年以後」の本も数冊だけ含まれる(『空を引き寄せる石』など)。
・リストを作り始めたのは2014年くらいだったと思うが、幸いなことに復刊された本も少なくない。作品集などは復刊されると収録作に異同が出る場合もあり、そのそれぞれを調べることはあきらめ、書誌情報は原則当時のままにしてある。
荒巻義雄『神聖代』(徳間文庫)
大江健三郎『いかに木を殺すか』(文春文庫)より「もうひとり和泉式部が生まれた日」
蜂飼耳『空を引き寄せる石』(白水社)
室生犀星『日本幻想文学集成 室生犀星 蜜のあはれ』(国書刊行会)
尾崎翠『ちくま日本文学 尾崎翠』(筑摩書房)より「第七官界彷徨」
稲垣足穂『日本幻想文学集成 稲垣足穂 白鳩の記』(国書刊行会)
江戸川乱歩『日本幻想文学集成 江戸川乱歩 パノラマ島綺譚』(国書刊行会)
正岡容『正岡容集覧』(仮面社)より「風船紛失記」「ルナパークの盗賊」
『書物の王国 奇跡』(国書刊行会)
池澤夏樹『塩の道』(書肆山田)
村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮文庫)
川上弘美『龍宮』(文春文庫)
野間宏『暗い絵・顔の中の赤い月』(講談社文芸文庫)より「顔の中の赤い月」
イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』(ちくま文庫)
イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』(ハヤカワepi文庫)
イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』(河出文庫)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』(岩波文庫)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『創造者』(岩波文庫)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『アトラス』(現代思潮新社)
カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』(ハヤカワ文庫SF)
カート・ヴォネガット『ヴォネガット、大いに語る』(ハヤカワ文庫SF)より「ビアフラ 裏切られた民衆」
筒井正明『真なる自己を索めて』(南雲堂)より「神とは<いのち>のこと カート・ヴォネガット『屠殺場五号』」
アーシュラ・K・ル=グィン『闇の左手』(ハヤカワ文庫SF)
サミュエル・R・ディレーニ『時は準宝石の螺旋のように』(サンリオSF文庫)
サミュエル・R・ディレーニ『エンパイア・スター』(サンリオSF文庫)
コードウェイナー・スミス『鼠と竜のゲーム』(ハヤカワ文庫SF)
コードウェイナー・スミス『シェイヨルという名の星』(ハヤカワ文庫SF)
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『愛はさだめ、さだめは死』(ハヤカワ文庫SF)
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『故郷から10000光年』(ハヤカワ文庫SF)
シオドア・スタージョン『不思議のひと触れ』(河出文庫)
シオドア・スタージョン『海を失った男』(河出文庫)
ブライアン・オールディス『地球の長い午後』(ハヤカワ文庫SF)
J・G・バラード『ヴァーミリオン・サンズ』(ハヤカワ文庫SF)
J・G・バラード『終着の浜辺』(創元SF文庫)より「終着の浜辺」
アンナ・カヴァン『ジュリアとバズーカ』(サンリオSF文庫)
ロバート・シルヴァーバーグ『夜の翼』(ハヤカワ文庫SF)
R・A・ラファティ『九百人のお祖母さん』(ハヤカワ文庫SF)
ジョン・ヴァーリイ『残像』(ハヤカワ文庫SF)より「残像」
「SFマガジン」1975年5月号よりマイクル・ビショップ「宇宙飛行士とジプシー」
グレッグ・イーガン『しあわせの理由』(ハヤカワ文庫SF) より「しあわせの理由」
ピーター・S・ビーグル『最後のユニコーン』(ハヤカワ文庫FT)
ロード・ダンセイニ『時と神々の物語』(河出文庫)より『ペガーナの神々』
ダンセイニ卿『ヤン川の舟唄』(国書刊行会)
A・E・コッパード『郵便局と蛇』(ちくま文庫)
「幻想と怪奇」2号よりジェイムズ・ブランチ・キャベル「月蔭から聞こえる音楽」
リチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』(河出文庫)
ジュール・シュペルヴィエル『沖の少女』(教養文庫)
アレクサンドル・グリーン『深紅の帆』(フレア文庫)
ハンス・ヘニー・ヤーン『鉛の夜』(現代思潮社)
マルセル・シュウォッブ『黄金仮面の王』(コーベブックス)※矢野目源一訳のもの
マルセル・シュオブ『モネルの書』(南柯書局)
アンリ・ボスコ『シルヴィウス』(新森書房)
ジュリアン・グラック『森のバルコニー 狭い水路』(白水社) より「狭い水路」
ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』(岩波文庫)
オクタビオ・パス『大いなる文法学者の猿』(新潮社)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮社)
スティーヴン・ミルハウザー『イン・ザ・ペニーアーケード』(白水uブックス)
スティーヴン・ミルハウザー『バーナム博物館』(白水uブックス)
アントニオ・タブッキ『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(青土社)
ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』(法政大学出版局)
今福龍太・沼野充義・四方田犬彦編『世界文学のフロンティア3 夢のかけら』(岩波書店)
オスカー・ワイルド『院曲 撒羅米』(講談社文芸文庫、サバト館ほか)※日夏耿之介訳のもの
ジョイス・マンスール『充ち足りた死者たち』(マルドロール)
マルグリット・ユルスナール『火』(白水社)
『書物の王国 夢』 (国書刊行会)よりディラン・トマス「果樹園」
アルベール・サマン『青き眼の半獣神』(森開社)
アナイス・ニン『ガラスの鐘の下で』(響文社)
トーマス・マン『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』(新潮文庫)
クロード・シモン『盲いたるオリオン』(新潮社)
アレッホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』(サンリオSF文庫)
モーリス・ブランショ『白日の狂気』(朝日出版社)より「白日の狂気」
サミュエル・ベケット『伴侶』(書肆山田)
アニー・ディラード『石に話すことを教える』(めるくまーる)
アニー・ディラード『本を書く』(パピルス)
伊良子清白『孔雀船』(岩波文庫)
西脇順三郎『Ambarvalia 旅人かへらず』(講談社文芸文庫)
瀧口修造『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』(思潮社)
左川ちか『左川ちか全詩集』(森開社)
帷子耀『スタジアムのために』(書肆山田)
山本陽子「遥るかする、するするながら3」(『山本陽子全集2』漉林書房)
橋本真理『幽明婚』(深夜叢書社)
朝吹亮二『密室論』(七月堂)
河野道代『花・蒸気・隔たり』(panta rhei)
廿楽順治『たかくおよぐや』(思潮社)
江代充『梢にて』(書肆山田)
中尾太一『数式に物語を代入しながら何も言わなくなったFに、掲げる詩集』(思潮社)
倉田比羽子『種まく人の譬えのある風景』(書肆山田)
小池昌代『もっとも官能的な部屋』(書肆山田)
粕谷栄市『世界の構造』(詩学社)
松浦寿輝『青の奇蹟』(みすず書房)より「書物、あるいは世界の構造」
入沢康夫『遐い宴楽』(書肆山田)
多田智満子『川のほとりに』(書肆山田)
金子千佳『婚約』(思潮社)
高橋優子『薄緑色幻想』(思潮社)
中村葉子『夜、ながい電車に乗って』(ポプラ社)
大滝和子『人類のヴァイオリン』(砂子屋書房)
安藤美保『水の粒子』(ながらみ書房)
安井浩司『乾坤』(冥草舎)
ヴィスワヴァ・シンボルスカ『橋の上の人たち』(書肆山田)
ヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』(未知谷)
パウル・ツェラン『誰でもないものの薔薇』(静地社)
フェルナンド・ペソア『ペソア詩集』(思潮社)
白鳥友彦編訳『月と奇人』(森開社)
『世界×現在×文学 作家ファイル』(国書刊行会)
菅野昭正『変容する文学のなかで』(集英社)
和田忠彦『声、意味ではなく』(平凡社)
岩崎力×菅野昭正×清水徹×平岡篤頼「回帰不能点への道」(『早稲田文学』2003年3月号)
「NW-SF」1~20号より「ぷれみなりいのおと」
若島正『乱視読者の新冒険』(研究社)
筒井康隆『悪と異端者』(中公文庫)
高橋源一郎『文学がこんなにわかっていいかしら』(福武文庫)
矢川澄子『反少女の灰皿』(新潮社)
矢川澄子『わたしの気まぐれAtoZ』(大和書房)
「現代詩手帖」1985年1月号よりオクタビオ・パス×吉岡実×大岡信×渋沢孝輔×吉増剛造「言語と始源」
『日本幻想作家名鑑』(幻想文学出版局)
風間賢二『いけない読書マニュアル』(自由国民社)
「SFマガジン」2006年4月号より「プロ投票者アンケート全回答」
「別冊奇想天外 SFファンタジイ大全集」
水鏡子『乱れ殺法SF控え』(青心社)
中野渡淳一『漫画家誕生』(新潮社)
『リテレール別冊 読書の魅惑』(メタローグ)
『リテレール別冊 文庫本の快楽』(メタローグ)
ぼくらはカルチャー探偵団編『読書の快楽』(角川文庫)
ぼくらはカルチャー探偵団編『短篇小説の快楽』(角川文庫)
坂崎千春『片想いさん』(文春文庫)
佐野英二郎『バスラーの白い空から』(青土社)
四方田犬彦『星とともに走る』(七月堂)より「一九七九年 ソウル」
『世界古本探しの旅』(朝日新聞社)
ジャン・ジュネ『ジャン・ジュネ全集3』(新潮社)より「犯罪少年」※曽根元吉訳のもの
吉岡実『うまやはし日記』(書肆山田)
土方巽+吉増剛造『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』(書肆山田)
三浦恵『音符』(河出書房)
川田喜久治『聖なる世界』(写真評論社)
奈良原一高『人間の土地』(リブロポート)
Jock Sturges『Life Time』(Steidl)
『サー・ローレンス・アルマ=タデマ』(トレヴィル)
吉田博『吉田博 全木版画集』(阿部出版)
ウィリアム・M・ティムリン『星の帆船』(立風書房)
ウィンザー・マッケイ『夢の国のリトル・ニモ』(PARCO出版)
Shaun Tan『The Arrival』(Arthur a Levine)
クリス・ヴァン・オールズバーグ『ハリス・バーディックの謎』(河出書房新社)
デイヴィッド・ウィーズナー『漂流物』(ブックローン出版)
セーラ・L・トムソン+ロブ・ゴンサルヴェス『終わらない夜』(ほるぷ出版)
成田雅子『いちょうやしきの三郎猫』(講談社)
Patrick Woodroffe『Hallelujah Anyway』(Paper Tiger)
三五千波『ソウルレスポップ』(同人誌、あまりもの)
高野文子『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』(マガジンハウス)
岡崎京子『Pink』(マガジンハウス)
森雅之『追伸』(バジリコ)
椎名品夫『眉白町』(講談社)
・補遺
ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』(翔泳社)
「風と薔薇」5号よりジョルジュ・ペレック「冬の旅」
「SFマガジン」1998年3月号よりジョン・クロウリー「消えた」
ジャック・デリダ『滞留』(未来社)よりモーリス・ブランショ「私の死の瞬間」
ナサニエル・ホーソーン『人面の大岩』(国書刊行会)
荒俣宏編『英国ロマン派幻想集』(国書刊行会)よりダンテ・ガブリエル・ロセッティ「召された乙女」
ジュリアン・グラック「漁夫王(抄)」 (「現代詩手帖」2008年5月号)
ジュリアン・グラック『大いなる自由』(思潮社)
「ユリイカ」「特集 J・G・バラード」より浅田彰×日野啓三「テクノロジーの誘惑」
オクタビオ・パス『鷲か太陽か?』(書肆山田)
中尾太一「ファルコン、君と二人で写った写真を僕は今日もってきた」(「現代詩手帖」2006年11月号)
盛田志保子『五月金曜日』(晶文社)
久世光彦『人恋しくて』 (中公文庫)
ゲオルク・ハイム『モナ・リーザ泥棒』(河出書房新社)
アラステア『アラステア画集』(サバト館)
清原啓子『清原啓子作品集』(美術出版社)
フランソワ・プラス『最後の巨人』(ブックローン出版)
デイヴィッド・ウィーズナー『フリーフォール』(ブックローン出版)
ヴェラ・レーンドルフ+ホルガー・トリュルシュ『ヴェルーシュカ』(リブロポート)
『ベルナール・フォコン作品集』(トレヴィル)
文月悠光『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)
平出隆『家の緑閃光』(書肆山田)
李禹煥『立ちどまって』(書肆山田)
黒瀬勝巳『幻燈機のなかで』(編集工房ノア)
友原康博『いざつむえ』(編集工房ノア)
吉田一穂『吉田一穂詩集』(岩波文庫)
・補遺その2 個人ウェブサイト
翻訳作品集成
みだれめも(水鏡子)
迷宮旅行者
いやごと
2021~2022年の収穫
前回同様(→Link)、この二年間で読んだものの収穫、ただし自分の専門に関わる本はすべて除く。自分が死んだら棺桶に入れてほしい書物を二冊だけ挙げると、『最後のユニコーン』を書いたピーター・S・ビーグルが「くやしい。僕は本書のような物語を書きたかったのだ(ハヤカワFT文庫版帯※)」と最大級の賛辞を寄せたThe Lion of Boaz-Jachin and Jachin-Boazと、読者にとっての美の定義を根本から変えうる精神の至宝『山口哲夫全詩集』です。2023年は原書をより速く、より正確に読んでいきたいなと思う次第。
★…別格で愛着があるもの
Russell Hoban, The Lion of Boaz-Jachin and Jachin-Boaz (Summit Books)★※邦訳はハヤカワ文庫FTから
マイクル・ビショップ『時の他に敵なし』(竹書房文庫、2021)
ブルース・スターリング『蝉の女王』(ハヤカワ文庫SF)
ジェフ・ライマン「オムニセクシュアル」(「SFマガジン」1991年11月号)★
カリン・ティドベック「ジャガンナート――世界の主」(橋本輝幸編『2010年代海外SF傑作選』ハヤカワ文庫SF、2020)
コニー・ウィリス「わが愛しき娘たちよ」(『わが愛しき娘たちよ』ハヤカワ文庫SF)
キャロル・エムシュウィラー「妖精-ピアリ-」(らっぱ亭個人誌『ブレイクニーズの建てた家』)
キット・リード「ぶどうの木」(ハリイ・ハリスン、ブライアン・W・オールディス編『ベストSF1』サンリオSF文庫)
イサク・ディネセン「カーネーションの若者」(『冬の物語』新潮社)
巖谷國士「渡辺兼人/金井美恵子 写真の入った小説――既視の街」(『封印された星』平凡社)
Polly Barton “zara-zara”, in Fifty Sounds(Fitzcarraldo Editions,2021)
Rebecca Solnit “The Blue of Distance”, in A Field Guide to Getting Lost(Penguin Books) ※同タイトルの章が複数あるが第2章
安永知澄『ステップ・バイ・ステップ』(上)(下)(エンターブレイン)
三島芳治『レストー夫人』(集英社)
香山哲『ベルリンうわの空』(1)(イーストプレス、2020)
ナガノ『ちいかわ』(1)~(2)(講談社、2021)
辛島デイヴィッド『文芸ピープル』(講談社、2021)
小倉孝誠×巽孝之×秋草俊一郎「「世界文学」の現在」(「三田文學」2020年秋号)
「世界に拡がる日本文学の行方」(「文藝」2020年冬号)
金成玟『K-POP 新感覚のメディア』(岩波新書、2018)
奥山雅之ほか編『グローカルビジネスのすすめ』(紫洲書院、2021)
森枝卓士『世界の食文化 ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー』(農村漁村文化協会)
東浩紀+五木寛之+沼野充義「デラシネの倫理と観光客」(東浩紀ほか『新対話篇』ゲンロン、2020)
岡倉天心『茶の本』(『茶の本 日本の目覚め 東洋の理想』ちくま学芸文庫)
大野晋+森本哲郎+鈴木孝夫『日本・日本語・日本人』(新潮選書)
スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』(上)(草思社、2020)
『書肆山田の本 1970-2021』(書肆山田、2021)
チラナン・ピットプリ―チャー『消えてしまった葉』(港の人、2018)
川野芽生『Lilith』(書肆侃侃房、2020)
宮永愛子『空中空』(青幻舎)
Ernst Haas New York in Color 1952-1962(PRESTEL,2020)
・補遺 リファレンス性の強い書籍含め、通読はしていないが現在進行形で影響を受けているもの
赤松美和子、若松大祐編『台湾を知るための72章 第2版』(2022)
「秋刀魚」Vol.32「台日彼女AB面宣言」(2021)
山本貴光『投瓶通信』(本の雑誌社)
※このフレーズを含む原文は"One of those absolutely unclassifiable beauties that come along every so often, just as you've about given up hope of ever again finding a new book with a human voice behind it and a way of looking at the world that hasn't been predigested and pre-read...I wish I'd written it. It's one of a kind, and those are the only sort of books that mean anything to me."
悪訳はいつでも悪か?悪訳版チュツオーラを待望する
怪物的アンソロジスト、ジェフ・ヴァンダミアがナイジェリアの作家エイモス・チュツオーラに対しほとんど別格のような評価をしているのを目にした時、実を言うと少しだけ意外に感じた記憶がある。自分も以前読んで気に入ったけど、衝撃を受けたというようなニュアンスではなかったからだ。
ところで、とある批評家はチュツオーラのある邦訳に対し、「破格の英語というが、この訳文ではとりたてて伝わってこない」という趣旨のことをある雑誌でコメントしていた。自分が気になって仕方ないのは、かつて「リテレール」で天沢退二郎が述べていたこと。天沢や金井美恵子らによる60年代の伝説的な詩誌「凶区」で、文化人類学者の西江雅之が原文の破格の調子を伝える翻訳で「やし酒飲んべ」を訳出していたというのだ。「悪訳版」が出版されることで作家の像が根本から変わってしまう体験をひとり勝手に待望している次第である。
オノレ氏の奇妙な愛情
澁澤龍彦の傑作『高丘親王航海記』、今年の9月にフランス語版が出版されていたことを知る。訳者はベストセラーのマンガから『ドグラ・マグラ』までをフランス語に移し替えてきたベテラン、パトリック・オノレ。
個人的に面白いなと思うのは、英語圏でも『高丘親王航海記』を紹介する動きがついここ一、二年でみられること。注目を集めた「文藝」2020年冬号におけるアンケート、「世界に拡がる日本文学の行方」でDavid Boydは一番好きな日本の作家として澁澤龍彦を挙げ、『高丘親王航海記』をベストとしている。2021年冬には柴田元幸ら編集の英語版「MONKEY」2号に氏による抄訳が掲載。ただし、現時点では単行本としては出版されていない。
ふと思い起こすと、英語圏のアヴァンギャルド文学好きには(この層はかならずしも「日本文学の愛好家」と一致しない)、『ドグラ・マグラ』は未訳のカルト長編として名のみ知られている。「異端」という言葉は以前ほど聞かなくなったとはいえ、熱烈な読者をいまも抱える以上の二つの小説の移入に際し、フランスはオノレ氏の奇妙な情熱によって英語圏に先んじたと言える。なお、氏が『定本夢野久作全集3』の月報に寄せた文章は日本文学の普及に関心のある方すべてに読んでもらいたいような素晴らしいものなのだけど、その話はまたそのうち。
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・コニー・ウィリス「わが愛しき娘たちよ」(『わが愛しき娘たちよ』ハヤカワ文庫SF)
controversialな作品だと聞いていたので読んでみたら(SFマガジンのポスト・フェミニズムSF特集に掲載)、たしかに傑作ではあるんだけど、どういう所に作品の思想的な側面があるのか、あるいはジェンダーSFとしてはどう把握すればいいのかということについてはうまく整理できずにいる。
少なくとも言えるのは、男女という二分法を前提とし、その制度に攻撃をかけるようなフェミニズムSFではないということ。登場人物たちの台詞の多さを加味すればけして多くはないページ数のなかに、レズビアニズムとか(疑似)獣姦とかセックストイとか、「父」や校長との倒錯した関係とか、多くの要素が氾濫している。幻惑的な書き出しでありながら、読み進めていくと信託子(トラスト・キッド)というシステムがどういうものか、雲が晴れるように少しずつ見えてくる構成にSFらしい趣きがある。
現時点で考えているのは、これは「女子寮を扱った小説」と聞いて人々が想起するイメージを華麗に裏切り続ける所に魅力があるのではないかということ。スラング、(日本風に言えば)ギャル、ドラッグ、男性や規則への不服従……スーザン・ソンタグは女性作家によるポルノグラフィを称揚していたと思うけど、良家の子女とはこうあるべきだという世間が抱く像、それを抜群のユーモアと速射砲的なリズムでもって反転させることにかなりの程度この作品は成功していると思う。
・キット・リード「ぶどうの木」(ハリイ・ハリスン、ブライアン・W・オールディス編『ベストSF1』サンリオSF文庫)
植物幻想の作品としてはかなりの秀作。ガラス製の温室の中で蠢く巨大なぶどうの木によって、ある町とそこに住む人々が狂っていくさまを描く。技巧に注目すると、描写すべき一番怖いシーンが筋書きふうに簡素に書かれていることが、かえって恐怖感を増大させる。そして、人間の内面における正常と異常が瞬間的に反転する場面が頻出するのもいい。ぶどうの木の存在で町が観光地として栄えていくとか、細部における寓意性が光る。
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ボブ・ショウ「去りにし日々の光」、ディヴィッド・I・マッスン「二代之間男」、イアン・ワトスン「「超低速時間移行機」、キース・ロバーツ「猿とプルーとサール」、ジョゼフィン・サクストン「障壁」、ジョージ・コリン「マーティン・ボーグの奇妙な生涯」、バリントン・ベイリー「災厄の船」……イギリスの小説って数としてはあまり読んでいないんだけど、英国SF短篇って自分の読書史の中で妙な存在感を占めている。
一般化すべきではないかもしれないけど、「伝統に裏打ちされた一種の保守主義(水鏡子)」と規範からの逸脱がなぜか同居しうる懐の深さというか、オルタナティブなものを許容する包容力みたいなものがあるのかなとか勝手に推測。推測というより願望のようなものかもしれないけれど。
アメリカでは拒絶されやすいものでも受け止めてくれる媒体であるのだとしたら、マンガにおける「ガロ」や「アックス」のようなものとして一時期のinterzoneとかを捉えうるのだろうか、とか。
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『カモガワGブックス〈未来の文学〉完結記念号』では、若島正が「未来の〈未来の文学〉」というタイトルで未訳の傑作を紹介しているのだけど、「それ読みたいやつ!」と思わず声をあげてしまったのがイギリスの女性作家、クリスティン・ブルック=ローズ。由良君美編『現代イギリス幻想小説』(白水社)で読んだ「関係」「足」が稀少な味わいの作品で、ずっともっと読みたいと思っているのだ。
この人、英語圏のモダニズム詩の研究で名を馳せ(詩論も昔「ユリイカ」に訳出)、ヌーヴォーロマンを仏語から英語に訳しつつ幻想小説・SFの批評も書いているみたいな20世紀の前衛運動を貪欲に吸収し続けたようなキャリアで興味深い。SFのコンテクストだと、「NW-SF」16号の「女性SF作家名鑑」や「SFの本」の巽孝之の文章でも紹介されているんだけど、小説の邦訳は上記の二篇だけなんじゃないでしょうか。本国での評価はイギリス文学者の富士川義之の文章*も参考になる。
邦訳がほとんどない作家を取り上げて見栄を張りたいとかじゃなくて、この二篇だけで山尾悠子「黒金」やジョゼフィン・サクストン「障壁」、朝吹真理子『流跡』あたりから金井美恵子の初期短篇にまで比肩すると本気で思っています。
*富士川義之、樋口大介、江中直紀、沼野充義、青山南『世界の文学のいま』(福武書店)
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「三田文学」2019年秋号、「世界SFの透視図」。この特集における沼野充義+立原透耶+新島進+識名章喜+巽孝之による同タイトルの座談会、いま読んでも拡がりがあってとても面白い。スタニスワフ・レムの各国語版の比較なんて、英米の研究者だけではなかなか検討しきれないトピックだと思う。
伊藤計劃『ハーモニー』は日本社会独自の集団主義や雰囲気を「空気」という語に託して何度も用いているが、英語版ではすべて「空気」という語がカットされている、フランス語版も英訳を元にしているからそれを踏襲して訳していない、と新島進氏が指摘していてとても驚いた。これは、「そういうことは英語圏ではよくある」と一般化して済ませるような問題ではなく、作品の精妙なエッセンスにかかわる話ではないのだろうか。東アジアでは海外小説の翻訳が複数の翻訳家によってなされ結果として並存することがよくあるけど、「従来の伊藤計劃像を覆すまったく新しい翻訳」が欧米で出版される日は来るのだろうか。
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知人が関わっている縁で、とある大学の学園祭にてフョードル・ソログープ作の演劇、「死の勝利」を観る。使用言語はロシア語だけど、舞台の脇に字幕スクリーンをつけてくれているのでロシア語の習得は不問。
ソログープの小説作品とも共通するのは、超自然への関心や仄暗く退廃的な雰囲気、時に霧がかかったように先が読めない物語展開、闇と光、美と醜、生と死といった二項対立のモチーフの乱反射。パンフレットに象徴主義という言葉が躍っていたこともあり、以前少しだけ短篇を読んだワレリイ・ブリューソフ(『南十字星共和国』)のほうに意識が飛躍したり。読書家の友人によるとロシア象徴主義の作品は手つかずかつ未訳の傑作がまだまだ眠っているそうで、ブリューソフも長編にすごいのがあるんだとか。
クリエイティブ・ライティングへようこそ!
僕がもっと知りたいと思っている事柄に、英語圏の大学のcreative writing(創作文芸科)やジャンル小説のワークショップがある。「文学の書き方なんて人に教えてもらうことはできない」という密教的スタンスは日本国内においていまだ優勢だと思うけど、テッド・チャンがいかにクラリオン・ワークショップに恩を感じているか語っているインタビューなんて聞いていると、内なる空間をのぞきたくなってしまう。
SFマガジンの「山岸真の海外SF取扱説明書」には、かつてピーター・S・ビーグルやル=グィンもクラリオンの講師を務めたと書いてある。日本人でも外国語だけで書くという作家も現れつつある今、こういう場所に飛び込んでいく猛者がいても不思議ではない気がする。