横書き詩を集成した、奥付を含めなければわずかに99ページの『山本陽子全集』2巻(漉林書房)。自分の詩的人生において屹立するあの「遙るかする、するするながらⅢ」を収める。「遙るかする、するするながらⅢ」は2000年代なかごろからネット上で引用が拡散し、定期的に話題になっているようにみえるけれど、このただ一篇で代表される詩人ではないと本書を読んで断言したい。「遙るかする、するするながらⅢ」が人類語からはなれゆく擬音を刻んで読者の聴覚に訴える側面が強いとすると、「あかり あかり」はその造形性の異質さでもって読者の視覚を撹乱する。一枚、引用の範囲と信じて写真で紹介してみたい。

これはあくまで部分なのだが、この詩人はまだワープロもない時代、既存の漢字を繰りぬいて創造した造語をこの詩に鏤めている。この全集で読む限り、「既存の漢字の部首だけを抜いた結果、全角ではなく半角のサイズになっている存在しない漢字」がみとめられるのだ。半角になったために、印刷上、奇妙な空白が存在している箇所もある。

あるいは、「僕」という一人称が用いられてジェンダーのゆらぎを感じさせるような不可思議な作品も数篇収められている。2010年代に再評価が進んだ帷子耀のように、一冊集成を出す価値があるとどこか初源の方へと叫びたい。