3月24日
(…)ずいぶん神経をつかっての通関となったが、全員出口から出ることができた。バスに乗るからと空港の外へ。さすが南半球。今年は日本も三月末にして春から初夏の日差しがあったが、こちらは季節としては夏の終わり。日差しが強い。景色全体が明るく見える。紫外線がかなり強いと聞いていたが、わたしの目がそれを実感している。なるほど、たしかにサングラスは必需品だ。

ブリスベンからバスでヌーサへ。車は左側通行なので、これから車を運転しなければならないかもしれない身としてはひとまず安心。

ヌーサに着いてまず浜辺に降り立つ。ヌーサヘッドと呼ばれる岬の突端のようなところで、北が海に向かって開け、南からは川が海に注ぐ。きれいな浜だ。景色も絶景なのだが、ごみが落ちていない。川と海と、どちらの水も澄んでいる。そして驚いたことにこどもたちやわたしのすぐ上を掠めてかもめが飛んでいく。あまり人をおそれていないと感じる。信頼関係があるとまでは言わないが、かもめと人の距離は非常に近い。砂浜で遊ぶこどもたちから目を横にすべらせると、少し離れたところでかもめが佇んでいる。この距離感に自然の豊かさを感じる。自然は量だけで計られるべきものではない。人間の側からのかかわりの質においても計られるものだ。そんなことを考えさせられた。

この砂浜の砂は、踏んで歩くたびに足の下で「キュッ、キュッ」と鳴る。鳴き砂だ。それも水がきれいでなければ起こらないことだろう。砂遊びをしていたこどもたちが、ここの砂はこまかいと言う。そういうことも砂が鳴ることと関係があるのかもしれない。

浜を後にして、小学生たちのホームステイを受け入れてくださるファミリーが待つセント・トマス・モア・スクールへ。トマス・モアといえば、聖公会と対立したことによって父親は生涯幽閉、本人も首を切られて最期を遂げた人。そしてそれがゆえに今カトリック教会で聖人とされている。だがもちろんそんなこととは関係なく、ホスト・ファミリーのみなさんはバーベキューの鉄板を暖めて待っていてくださった。歓迎バーベキューを楽しみ、お話を楽しんでいるうちに、立教のこどもたちはひとりまたひとり、ホスト・ファミリーに伴われて姿を消していく。さあ、これからが勝負。明日の朝ここに戻ってくるまでは、日本語は通じない世界がはじまる。わたしたちも手を貸すことあたわざる世界で、ひとりであることを味わってほしいと思うのだが、味わうことができるかどうか、少し心配でもある。

3月25日
児童の登校時間にあわせて学校に。昨夜いろいろあった子もいたようだが、日本人だけで集まればとりあえず元気。図書室の奥のスペースをお借りして、川辺さんを中心とするBIAのスタッフによる英語のレッスン。毎年改訂されているというテキストはよく考えられており、レッスンもおもしろい。アクションやゲームを通して言葉に触れていくよう、工夫がほどこされている。

などと言いながら、授業に参加していないわたしの目は図書室の蔵書に釘付け。立教小学校の図書室とくらべると蔵書が少ないのが残念。80年代にオーストラリアの児童文学作家として、アイバン・サウスオールやパトリシア・ライトソンが日本に紹介されていた。しかし書棚にはライトソンが一冊あるだけで、サウスオールの著書はない。サウスオールの「冒険と自立」というようなテーマが好きだったわたしとしては、新作が出ていないだけでなく旧作すら残っていないのがちょっと残念。しかしそれだけ新たな作家がふえているということなのか、とも思う。そのうち司書の先生にお話をうかがおうと決める。絵本でいくつかおもしろいものを見つけた。この小さなヌーサの町に本屋が一軒でもあったとすれば、行かずにはすまなくなってきた。この病は世界中どこに行ってもおさまることはないようだ。

昼前から学校を離れ、川でカヌー漕ぎ。わたしも及び腰で初の体験に臨む。川の水がきれいで、岸辺近くの浅いところに小魚が群れているのがよく見える。深みも緑色が鮮やかだ。昼食を食べ終わったこどもたちは川で遊びはじめた。すぐに遊びたくなるほどきれいな川ということだ。(…)

秋葉春彦 南半球だより(オーストラリアで思ったこと)