斎藤兆史野崎歓の対談集、『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』(東京大学出版会)より。

斎藤 日本人の言語に対する節操のなさはいい意味も悪い意味もあるんだろうけど、こんなに表記体系が複雑で混乱してる言語は、世界にそんなにないんじゃないかという気がするわけですよ。字面を見たってすごい。とにかく漢字あり、平仮名あり、片仮名あり、最近は横文字がそのまま入る。こんなのでいいのかなという気がしますけどね。

つまり、歴史をたどってみればそれはもともとの中国語(漢語)との対立からできてきたもので、つまりどこを移しかえられるか、どこを音で取るべきか、どこの意味を取るべきかという翻訳体験なんですよね。それによってできたものが表記体系なんだろうと思う。

そう考えると日本語というのは言葉の中にいろんな機能が入っているわけです。つまり、漢字の部分は升目でいうと―つがすでに意味を持っている。平仮名だってもちろん一文字で意味を持つものもあるけど、片仮名というのは音ですから、音を移しかえているだけで、それぞれ移しかえる仕方が違っている。この不思議さ、これを学生にどうしても伝えたい。

英語では文法でいうと形態論という分野があって、これは要するに語彙よりも小さい単位の議論ですよね。接尾語があったり接頭語があったり、単語の中の部位単位での議論で、その最小の単位を形態素というわけですけど、日本語ではおそらく漢字の部首が形態素なんだろうと思うんです。英語ではわりあい形態素の部分だけを移しかえることで新しい言葉がどんどんできてくるんだけど、いまの日本人にも中国人にもおそらく部首を組み替えて新しい言葉をつくるという発想はないんじゃないかという気がします。だから、翻訳をするときにそれができたらよっぽど……。つまり、新しい英語に対応する日本語がないから安直に片仮名になっちゃうんだけど、部首を組み替えたら随分違ってくると思いますね。

野崎 そうすると、いよいよ一種のキメイラみたいな怪獣然とした言葉が次々に登場するということになるかもしれない。でも、一度柳瀬さんの向こうを張って、そういうのをやってみたらいいんじゃないかな。

世界のなかでの日本語の特徴や相対性について、すごくわかりやすい言葉で説明してくれている。それから、ルビをふくめた日本語の表記大系と日本文学との関係については、こういう研究も出てきているようす。

研究会のおしらせです。私の人生を変えてくれた友人にして、尊敬する研究者でもあるクリス・ローウィーさんの博士論文をめぐって、じっくり討議します。

 日本語の表記体系と文学の関係に着目して、谷崎や『吉里吉里人』、崎山多美、円城塔などに目をくばるユニークな論考です。たとえば「フリガナ」という仕組みが、日本語文学の表現をどれだけ拡張しているのか。なぜ(とりわけ英語圏における)日本文学研究において「文字」は注目されてこなかったのか。などなど!

「研究会のおしらせ:「文字」からみる近現代日本語文学」

この論文(2021年)、ちょっと読んでみたい。個人的には、日本の現代小説や詩における「ルビ」なるものはもっと外部から注目されていいと思っているし、自分自身もユニークだと捉えているので。