辛島デイヴィッド『文芸ピープル』におけるイースト・アングリア大学の文芸創作プログラムについて触れた箇所に、「イギリスではまだ他に文芸創作のプログラムがない時代(引用者註: 1984~1985年のこと)で、内容も伝統的な英文学のカリキュラムに近く、文学史や文学理論に関する試験もあった」。という記述がある。これを読んではじめて、「ということは少なくともいまはこの大学においては(あるいはほかの多くの大学でも?)創作科では文学史の試験などは課されないということか」などとぼんやり思ったものだった。実情は知らない。

さて最近、カナダ生まれだがアメリカの大学を卒業し、在学中に詩の創作の授業を受けていたという青年と話す機会があった。十数人の少人数授業、受講生同士でフィードバックをおこなうという点などはよく聞くこの種の授業の進めかたと変わらないと思ったのだけど、プロの詩人の作品はなにひとつ読まなかったという。先生によって授業のスタイルはことなる、とも言っていた。自分がCourseraで聴講しているウェズリアン大学のcreative writingの授業でも、プロの作家の実作についてどれくらいの数、どれくらい踏み込んで語るかは先生によってことなる。

作家になるのにいったい文学史の試験が必要か、という点については大きく議論がわかれるところだろう。特につよい主張が自分にあるわけではない。が、Ursula K. Le Guinの、ワークショップを疑似的に体験させてくれるスリムで濃密な書物Steering the Craftを想うとき、いろいろな本への言及がうれしかったこと、そのうれしさがもう一度、いつでも返ってくる。