社会幻語学の三歩手前で

中国語圏における日本のSF小説やアニメ・マンガ紹介における文脈で、「脳洞」という言葉はずいぶん目にする機会が多い気がする。完全にはニュアンスを理解しきれていないのだけど、「脳内補完を行う場所」、ひいては「脳内にすさまじいイマジネーションが横溢している様をも表す」といったところだろうか。

中国の雑誌「知日」の弐瓶勉伊藤計劃、ひいては大森望までをもフィーチャーした特集号のタイトルも「脳洞」だし、台湾の誠品書店が発行しているプレス「提案」における逆柱いみりを紹介する記事においてもこの語が使われていた。さて、トピックはわずかに飛ぶが、日本文学翻訳家のジニー竹森さんが村田沙耶香のとある作品を訳した際には「脳みそが爆発しそうになった」そうである(辛島デヴィッド『文芸ピープル』)。ひとは凄絶かつ異様なる奇想を眼前に現出されると、それを造った(あるいは見せつけられた)ヒトの脳にもやっぱり意識が向いてしまうものなのだろうか。ホモ・サピエンスに干杯(カンペー)!