ジェネギャの快楽 その1

ユリイカ: 特集 現代語の世界」。あまりに面白くて、雑誌の隅から隅までを一気に読みつくしてしまった。どの論考もパッションに溢れているけど、下に取り上げないもののうちでほか特に気になったのは、綾門優季「現代口語演劇と、あまり関係のない現代口語」、大岩雄典「不自然でうける 語法・語り・ツッコミにおける自由なポリフォニー」。

以下、あくまでひとつの観点からの自分の感想。堀尾佳似は、「「若者言葉」の生成と観察」の冒頭でつぎのように言い放つ。「若者言葉と聞いてまず思い浮かぶのが、「新語をいち早く自分たちの言葉として柔軟に取り入れ、応用力があり、溢れるダイナミズムを持った言葉」であること。これこそが若者言葉の魅力である」。これは特定のことばについて限定して述べているのではなくて、むしろ若者言葉が存在しているという事実そのものにまずは積極的な意味を見出す書き手の姿勢の表れとして捉えられる。

ボンヤリと確信しているのだけど、若者が「感情の表出」としてある世代以下独自の、言いかえると年長世代は使わない種類のintensifierを多用し、それに対し年上が眉をひそめる、「言葉の乱れ」として批難するという構図は、洋の東西を問わず多くの文化圏で観察され反復されるものなのではないだろうか。平山亜佐子の原稿は100年前の「尖端語」から無数の面白エピソードを引き出しながらも、韓国カルチャー好きの現代の若者のあいだでSNSを中心に「チンチャ」(本当に)が広まっていることに言及している。工藤俊「「マジ卍」と「ぴえん」に映る若者の心」では『現代用語の基礎知識2022』における「マジ卍」「ぴえん」*の定義が実際の言葉の使われ方にまったく「追いつけていない」ことを丹念にマジメに、そしてユーモアたっぷりに例証していく。

さて、このブログの筆者はものごころついてこのかた、「やばい」「超」といったintensifierをごく自然な日常語として多用してきたが、あるきっかけがあるまで、特定の世代より上はほとんど使わないということをそもそも意識したことさえなかった。しかし面白いのは、堀尾佳似が示唆するように、「最近の若者の言葉は乱れている」とする年長者も、じしんが「若者」だった時には無自覚に若者言葉を使用していたということだ。

また、これは英語の地域差の話になるが、筆者が滞在していたオーストラリアにはreallyなどに意味が近いfair dinkumというユニークな表現がある。これは、アメリカやイギリスなど他の英語圏では用いられない。アメリカ英語と異なりオーストラリアでは特定のrを発音しないため、fairの部分を[féɚ]でなく[feː]と発音することそのものが社会言語学の観点からするとa sense of communityを強化する機能があるとも捉えうる。そしてこの表現も、地域や世代によって使用状況の濃淡は異なるようだ。

ジェネレーションギャップという言葉を聞くと単純な懸隔と捉える向きもあるかもしれないが、ひとつの国や文化圏のなかで新しいものがいつでも活発に蠢動している徴(しるし)なのだとしたら、これほど面白い溝もないと思う。진짜 재밌어요~!

*「マジ卍」「ぴえん」が2022年の時点ですでに流行からはほど遠いことについても原稿を参照。

写真:全国展開するチェーンのカフェ、ベローチェで2023年に撮影したもの。すでに「チンチャ」はカタカナ語としてある程度広まっている!とひとりで小躍り。