言語学文化人類学者の西江雅之による、「エスニック料理」という語についての目から鱗が何枚も落ちるような学術的エッセイ。(→Link)

ところで、「エスニック(ethnic)」や「エスニック・グループ(ethnic group)」という語を日本語に訳す場合、しばしば「民族」という語が当てられています。ただ、このエスニックや民族といった語は、一般に広く用いられる一方で、時代や考え方によって用法が異なる少々やっかいな単語でもあります。

もともと「エスニック」の語源となったギリシャ語の単語(エトノス)は、同類の人間集団を意味していました。十五世紀になって、古い時代の英語で使用され始めた頃は、キリスト教徒ではない人びとを意味するようになっていました。キリスト教徒ではない人びととは、当時の英語圏ではユダヤ教徒を指していたのです。言い換えれば、この単語は、「その土地では主流ではない人びとの集団」を意味するものでした。

その単語から派生した「エスニック」という単語は、アメリカ大陸の東側に続々と移民が押し寄せてきた十九世紀後半から二十世紀初頭には、アイルランド系や南ヨーロッパや東ヨーロッパからの人びとを意味するようになってきました。イギリス系、ドイツ系の人びとには使われない単語でした。また当時は、その地域からアメリカに入国するアジア系の移民はほとんどいなかったので、中国人や日本人などに対して、敢えて「エスニック」という語を使うことはありませんでした。ましてや、当時インディアンと呼ばれた先住民の人びとに対しては、エスニックという語が使われたことはありませんでした。

「民族」という概念の特徴の一つは、白人とか黒人などといった昔風の生物学的分類としての「人種」の概念に対して、主に文化面での違いなどに注目した分類とされることにあります。「北方民族」、「南方民族」、あるいは「原始民族」などと言う呼び方は、その種の民族概念に沿ったものです。また、日本語の「民族」は、「ドイツ民族」とか「日本民族」といったような「ネーション(nation)」の意味などを含む、広い概念でもあります。この「ネーション」とは、言語や文化や歴史を共有する人間集団が構成する国家、あるいはその国家の主体となる人間集団を指して用いられる語、すなわち「国民」を指しています。

現在では、エスニックという語は、国などの一定の政治領域の中で主流を占めるグループ以外の集団を指して用いられる場合は、アジア系やヒスパニック系といった人びとに多く見られるような、白人とは肌の色の異なる集団を思い浮かべがちですが、白人でもエスニック・グループと呼ばれる場合があります。たとえば、「ホワイト・エスニック」といった場合には、「ワスプ」(WASP、ホワイトWhite、アングロ・サクソンAnglo-Saxon、プロテスタントProtestantの略)以外のアイルランド系や南ヨーロッパ・東ヨーロッパ系などの人びとを指しています。なお、アメリカの歴史では、黒人に関しては、「人種(race)」として扱い、「エスニック」という言葉を用いない場合が多いのです。

日本で「民族」という語が「エスニック」の訳語として一般に広く使用されるようになったのは、いつ頃のことなのでしょうか。正確に何年からとは言えませんが、特に1980年代以降、そうした用法が定着してきたように感じています。その背後には、社会学文化人類学などの領域を扱う一般書が店頭に多く並び始めたこともあります。ただ、「民族」という語はいろいろな意味を含んでいるので、そのことから生じる混乱を避けるために、最近では、「民族」という語を使わず、「エスニック」などとカタカナ表記する人も多いようです。

エスニック」という語は、現在では日本語の中に定着し、日本語の辞典の中にも「エスニック」の項目が見られるようになりました。その意味を見ると、「特に、アジア・アフリカ・中南米などの民族文化に由来するさま」などと書いてあります。食べ物というものから見てみますと、確かに、「エスニック料理」、あるいは「民族料理」などといった場合、欧米において主流をなすもの以外の少数集団の料理を指すことが一般的です。日本でも、アラブ、アフリカ、東南アジアなどの料理はエスニック料理と呼びますが、フランス料理やイタリア料理をエスニック料理と呼ぶことは、普通はありません。こうした用法は、エスニック・ミュージックやエスニック・ファッション、エスニック・グッズなどの場合も同様でしょう。ただ、欧米では日本料理はエスニック・フードとして扱われますが、さすがに日本国内では日本料理はエスニック・フードであるとはされていません。

民族音楽」などという場合も、通常、西洋世界から見て、自分のものとはかなり違った響きや音階や演奏方法などを持つ音楽を指しています。ですからベートーベンやショパンモーツアルトなどの西洋古典音楽は、本来はヨーロッパに見られる幾種類かの民族音楽と言うべきでしょうが、通常、それらを「民族音楽」と呼ぶことはありません。

面白いことは、日本における「エスニック」という語は、西欧風の意味を引きずっているだけではなくて、さらには、独自の意味を持つようになってきていることです。というのも、「エスニック」という語が日本語の中で用いられる場合、日本古来のものではない、かといって西洋風のものでもない、食べ物、衣服、装身具、芸術などを指すだけではありません。その用法を見てみると、何故か、特に日本から見て「暖かい地域」、たとえば、東南アジア、カリブ海中南米、アフリカなどのものを言う場合が一般的です。そのためか、沖縄料理店をエスニック料理のなかに込めている例すら見られます。それは、沖縄が日本の土地ではないというわけではなくて、暖かい南方の地域にある島であるというイメージと結びつくものとなっているからなのでしょう。こうしてみると、同じ国内でも、寒い東北の料理をエスニック料理と呼ぼうなどという発想が出ないのもうなづける気がします。

以前から自分は、「エスニック料理」という言葉がなにを指すのかよくわからなくて、ときには次のような現象と相同なのかも確信が持てずにいた。たとえば、リスナーが少ない、あるいは地理的に小さい国の音楽がときに十把一絡げに「ワールドミュージック」とくくられるとか、大きい書店でフランス文学やアメリカ文学の棚はあっても、東南アジアや東欧の文学はまとめて「その他の国々」でひとつの四角形におさまっていることもあるとか。「エスニック料理」は日本より寒い地域の料理を指すのには一般的に用いられない、と示唆されていてうならされた。