魂の文学の書き手は、後へは退けない「内へ内へ」の筆遣いで、あの神秘の王国の階層を一層また一層と開示し、人の感覚を牽引して、あの美しい見事な構造へ、あの古い混沌の内核へとわけ入り、底知れない人間性の本質目指して休みなく突進していく。およそ認識されたことは、均しく精緻な対称構造を呈するが、それはもう一度混沌を目指して突撃するためでしかない。精神に死がないように、その過程にも終わりはない。書くことも、読むことも同様である。必要なのは、解放された生命力である。人類の精神の領域に、最下層の冥府の所に、たしかにそういう長い歴史の河が存在している。深みに隠れているせいで、人が気づくのは難しいけれど。それが真の歴史となったのは、無数の先輩たちの努力が一度また一度とその河水をかきたて、何年たっても変わらずに静かに流れ続けるようにしてくれたおかげだ。これはまるで神話のように聞こえるが、もしかしたら、魂の文学とはそういう神話に他ならないのかもしれない。それは不断に消え失せては、不断に現れる伝説であり、人間の中の永遠に治癒することのない痛みでもある。個人についていえば、魂の書き手の苦痛は、おのれの苦痛を証明できないことにある。彼は一篇また一篇の作品によってその苦痛を刷新するしかなく、それが彼の唯一の証明なのだ。こういう奇妙な方式のせいで、永遠に破られることのない憂鬱が彼ら共通の特徴となっているが、その黒く重い憂鬱こそ、まさに芸術史の長い河を流れる活水の源なのである。たゆみない個体がこうして内へ掘り進む仕事に励むとき、彼らの成果は例外なく、あの永遠の生命の河へと合流する。なぜなら歴史はもともと彼ら自身のものであったし、彼らがいたからこそ、歴史が存在し得たのだ。教科書の上の歴史と並行するこういう魂の歴史は、もっとも鋭敏な少数の個人によって書かれる。だが、その歴史との疎通し、通い合いは、すべての普通の人に起こりうる。これはもっとも普遍性を備えた歴史であって、読み手は身分、地位、人種の制限を受けない。必要なのはただ、魂の渇きだけである。
残雪「精神の階層」近藤直子訳