谷崎由衣『鏡のなかのアジア』(集英社文庫)

90年代、川上弘美が頭角を現したときに福田和也は書いた。「その世界はなかなかチャーミングだが、またあまりにも強い規範性に、若干将来性への不安を抱かないではない」。現時点での谷崎由衣の小説のいくつかは、ひょっとしたらさらに一層規範的であるかもしれない。それでも、旅行中に携えたこの薄い文庫本から、日々考えていることについて少なくないインスピレーションを受けることができた。

集中では最新・最長かつ巻末に配置された「天蓋歩行」(クアラルンプールほか)をベストに推す読者が多いとみている。けれど自分は、「国際友誼」(京都)にとくべつな愛着を抱く。作者のほかの本やエッセイ、インタビューで、京都で大学生活を過ごしたこと、異言語に揺れる生活をしていること、本文で言及されている作家を作者自身も好きであることなどをすでに知っていたという事情も手伝って、特異で野蛮な私小説として味読してしまった。〈私〉という長方形の一枚の紙をzig zaguに鋏で切り進め、ごわあとしていびつな一本の長い長い帯にする。ありったけの力を込めて、遠くへ飛ばす。紙だからたとえ限度があるにしても、元の長方形よりははるかに複雑な形状をしているのは間違いない。

詩作における自己再構成のたいせつさを説いたのは作者もエッセイで言及する多田智満子だが、「国際友誼」においては自己を虚の地点にまで解体したのちにもう一度統合(つまり発見)しようとする活発な精神がよろこばしく働いている。鏡のなかのアジアとは単なるひとり仮寝の旅行先ではなく、自身そして言語をみつめるための道具として本作では装置される。