ふつうは、切り捨ててしまったものに対して、テクスト自体は痛みを感じないのに、連作短編は、隙間だらけなんだけど、それをつなぎ合わせてみると、その隙間まで読み手の目が届く。そういう点では、やはり長編よりは言えることが多いと思うんです。(柴田元幸×和田忠彦「翻訳と文学」「國文學」2004年9月号)

柴田元幸との対談における、和田忠彦による目を洗われるような発言。連作長編をも含めた小説というものの形式について考えるための啓示が降りてくる。筒井康隆作品におけるラゴスの旅は、だから長編よりも長いのか。蓮實重彦『反=日本語論』はだからエクソフォニーである以前にポリフォニーなのか。あるいは、カルヴィーノ宇宙における冬の夜のひとりの旅人は?