たった十八篇を収めただけの小さな詩集『孔雀船』は、大きな不幸と幸に縄のようにあざなわれてきた。
 まず最初の不幸は、明治三九年(一九○六年)、はじめて世に送りだされたとき、その船出が題名のような華やかさには恵まれなかったことである。文語定型詩の旧から口語自由詩の新へ移動しはじめていた明治末期の詩の世界で、小さな詩集は忘却の海に沈められたにひとしかった。それからほぼ二十年後、あの気難しい日夏耿之介が「泣菫、有明に次ぐ個性あるスタイルの保持者」の名を熱烈に呼びかえす。それが幸いして、伊良子清白の名が多少は思いだされることになる。さらに十五年ほど経って、『孔雀船』が岩波文庫の一冊に加えられたのも、日夏耿之介による再発見の余勢のようなものだったかもしれない(私がはじめて読んだのもこの文庫版だった)。「漂泊」や「安乗の稚児」のようなアンソロジー・ピースは、こうしてそんなに数多くはないものの、熱心な読者に鍾愛される近代詩の古典の位置を占めることになる。

菅野昭正による平出隆『伊良子清白』の書評が読めるページ(ページの下の方)。『孔雀船』は大好きな詩集の一冊だけど、日夏耿之介が高く評価していたというのは先日会った知人が教えてくれるまで知らなかった。いや、自分が読んだ版も日夏が序文を寄せていたものだったかもしれず、とすると単に当時意識していなかったとか、単純に忘れてしまっていたのかもしれない。

詩の本をこのブログで紹介することはごく稀にしかできていませんが、日夏耿之介泉鏡花を好きな方は、『孔雀船』にもぜひ手を伸ばしてみてほしいです。