金井美恵子『軽いめまい』(講談社文庫)

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Polly Barton訳がイギリスではFitzcarraldo Editionsから、アメリカではNew Directionsから刊行なるということで(→Link:カバー装画が素敵!)、ネタバレありの感想をちょっとしたメモ程度に。

※以下、ネタバレを含みます

自分は4章「鳥の声」が一番好きで、読みどころはここにあると感じた。P.59「昭和四十一年に、心臓の発作で死んだ母親の三つ違いの兄さん」からの一段落は、文の数としてはわずか数文にすぎないのだけど、「雪ヶ谷のおじさん」が記憶の呼び水となり、夏実の名前の由来、夏実の祖母、祖母をモデルにした水彩画、特定の箇所のみが不必要なまでに詳しい誇張されたディティールが時空間を飛び越えながら縦横に語られていく。写真の中の遠い家族たちは、いまはもうこの世にいない。しかし細部を穿つように描写するその筆致にはなめらかさと異物感、つめたさと熱さとが共存していて、それこそが読者固有の記憶にもつよく働きかけるようなものへとなりえている。

一点だけ技巧的な部分を指摘すると、p.37の「写真に撮られているということさえ気づかずに」をふくむくだりは、確実にこのp.59からの数ページへの伏線となっている。気にかけずに読みとばす読者もいるかもしれないが、第4章で登場する写真の構図が実はすでに2章の結尾で予告されていたということで、読者が「鳥の声」を読んだ時に微かな既視感、ある種の軽いめまいをほんの一瞬だけ覚えるように構成されているのは緻密な計画に基づいてのたくらみなのだと思う。一見不必要なまでに長い写真論を包含するこの短い長編は、「昭和四十一年に、心臓の発作で死んだ母親の三つ違いの兄さん」を起点に組み立てられているとさえ個人的には感じる。ふたつ以上の意味で、「雪ヶ谷のおじさん」とは、スノビッシュな登場人物まみれのこの小説にあって、ひとり俗世のしきたりや重力から解放された、鳥か天狗のように自由な存在なのだ。

本作の原著刊行は97年。詩集、エッセイなど含め金井氏の作品数は膨大なものに及び、私はおもに初期作品しか読めていない。そして、にもかかわらず、『兎』や写真家・渡辺兼人との共著『既視の街』はこれまで読んだ書物でもっとも好きなものとして数えられる。英語圏ではたとえば「兎」の表題作などはあるアンソロジーに訳出されたりしているが(ピーター・バナード氏なども気に入られた様子)、今回の翻訳を機に、さらなる注目が集まることを期待する次第である。