一般書店ではあまり見かけない気がするものを二冊購入。金柄徹『韓国の若者と徴兵制』(慶應義塾大学教養研究センター選書)と水口良樹・柳原恵・洲崎圭子編『日本から考えるラテンアメリカとフェミニズム』(中南米マガジン、2025)。前者は価格700円。
購入しただけなので、以下は感想未満の泡。『日本から考えるラテンアメリカとフェミニズム』は執筆者は基本的に研究者。信頼できる内容の予感がする。
グロリア・アンサルドゥーアという、すごく気になっているけど未読の作家について扱われている章がある。インタン・パラマディタがLitHubその他で幾度も言及していて、「現代思想」『世界文学のフロンティア』で訳出されているが、邦訳は出ていない。2010年代の「早稲田文学」の座談会で、いま今福龍太が訳しているはず、いう話題が出ているが、企画はその後どうなったのだろうか。異言語混交のスタイルで書く作家で、言語ヘゲモニーの問題についても洞察が得られそう。
読んでいて驚いたこと。洲崎圭子「ラテンアメリカ文学、フェミニズム、そしてマチスモ」は「マチスモ」という語の使用の歴史について、ラテンアメリカ以外の地域を視野に入れながら言及している。アンサルドゥーアの未訳の本によると、アメリカ国内では「自分たちが劣っていて、無力だと感じると」、その「感情をすり変えて、チカーノを侮辱する」。そのときにしばしば使用されてきた単語が「マチョ」なのだという。
驚いたのは自分だけではないようで、座談会で水口良樹は、「マチスモ」という語がアメリカでは「チカーノを周縁化するために」用いられてきたのであれば、「ラテンアメリカの家父長制というものを、欧米がステレオタイプ的に貶めてきた部分があるという理解」が可能になってしまう。そのように困惑を隠さない。周囲の地域がジェンダー後進国であると名指すことによって、自分たちを内省する機会は失われ、そのまま安心して日々を過ごすことができる。
ではこのような議論は、どのように感情移入しうるのか。比較的若い世代が、自分たちより上の世代がジェンダー的に非常識な発言をしているのを目にしたとき、「昭和の人間は」とか、「昔はコンプライアンス意識がなかった」などと述べることがある。それを世代論に帰すことによって、少なくとも自分はそのような問題あるコミュニティには属していないと切り離すことができる。包丁でニンジンでも切りおとすように、簡単に。
周囲の世代がジェンダー後進国であると名指すことによって、自分たちを内省する機会は失われ、そのまま安心して日々を過ごすことができる。ゆえに、そのまま構造は温存される。