フリオ・コルタサル“Cronopios and Famas”(未訳)。

信頼する中国の日本文学翻訳家がコルタサルではこの作品集が好き、と書いていて表題作のみ英訳で読む。短章形式でCronopio、Fama(そしてEsperanzas)の生態を描く不可解な一篇。『クロノピオとファマの物語』という流通している仮の訳題ではわからないが、スペイン語や英語では複数形であることに注意したい。

あまりに幻惑的な書き出しに、Cronopio、Famaとはヒトなのか、それとも(『動物寓意譚』に登場するあの) マンクスピアのような人外なのか?とはじめは判然としなかった。しかし読み進めていくと、CronopioはCronopio、FamaはFamaと呼ぶ以外にない存在なのだとすぐに了解される。それでも、おのおのの節を因数分解してみればその断片は鏡として私たちの生きる世界を鋭すぎるほどに逆展望してやまない。

このスタイルは、あきらかに凡百の幻想小説がおのずと取りたがる形式から遠く隔たった地点で生成されている。架空博物誌の文法を日常生活に果敢に当てはめ、別乾坤を創造してしまう驚異の芸当。原稿用紙に穴を空ける。その穴を押し広げて異界への入り口を作る。穴に落ち込んだはずなのに、異界と現実の位相がぴたりと重なり合ってしまう空間からいくら藻掻いても出られなくなってしまうことを読者は発見する。ポオを批判的に乗り越えたと指摘されたら頷きたくなってしまうような、黒光りするユーモアにみちたコルタサルの骨頂だとおもう。