晴れの日もソファで散歩

・『olive』(マガジンハウス)

あの「olive」が1号限定で特別刊行(2020年春)。オトコであるわたしはわずかなうしろめたさを感じつつ、静かな場所でひとりこっそりページを繰りました。小松菜奈最果タヒ衿沢世衣子川島小鳥といった2010年代の極私的ミューズたちが多数登場。もちろんモデルさんたちも麗しい。1号と言わず毎月出して!

anan特別編集 Olive(マガジンハウスムック)

anan特別編集 Olive(マガジンハウスムック)

  • 発売日: 2020/03/31
  • メディア: ムック
 

 

思いついて、台湾の知人に、(その人が学んでいた)中学や高校の国語の教科書にどういった文学作品が載っていたかをたずねてみる。なお、その方は90年代以降生まれ。

メッセージで返ってきた回答によると、

・国語の教科書にのっている作品は古文と現代文学の2種類
・古文はいわゆる中国の古典文学だが、現代文学は中国人作家と台湾人作家の作品の両方があり、「数から見ればほとんど半々(原文ママ)」

とのこと。また、先日自分が読んだ朱天心は「台湾生まれだが父が中国出身なので彼女も眷村文学に分類されることが多い」とか、他にもオススメの作家を挙げてもらったりとか、自分の知らない知識をいろいろ授けてもらった気分。

昔は台湾の歴史教科書でも中国についての記述が量として圧倒的で、台湾についてはごくわずかだったと聞く。それが民主化の後に大きく変わって、では国語教育は?というのが自分の質問の背後にあるものだったので、答えてもらえてうれしかった。

(こういう質問をもっともっといろんな国の人に尋ねてみて世代で分けたり「当時の教科書残ったりしてない?」とか聞いたり、リサーチ結果をまとめたりしたら楽しそうだなと思うのですが、ここをご覧の方でご協力くださる/情報をお持ちである方はいらっしゃらないでしょうか)

〈東方幻想〉の作家たち(に向けてのノート)

たったいま仮にタイトルに付した「〈東方幻想〉の作家たち」という言葉を目にして、あなたならどんな作家や具体的作品を思い浮かべるだろうか。たとえばユルスナールの『東方綺譚』やカルヴィーノの『見えない都市』といった作品なら、たしかな数の日本の読者、さらには作家にまで暖かく迎えられているように感じられる。いや、「西洋人が東洋を舞台にして書いた超自然の要素を持つ小説」というだけなら、数え上げるのがほとんど無意味に感じられるまでに多く存在する。

むしろ今日この記事で取り上げたいのは、固有名詞としての〈東方幻想〉の作家たちなのだ。ラテンアメリカ文学の〈ブーム〉の作家たち、というときと、日本におけるラテンアメリカ文学の翻訳ブーム、というときとでは「ブーム」という語の意味は異なるように、ある時期、ある雑誌、ある叢書に作品が凝集した作家たちの一団を中心にこれを考えてみたい。すなわち、1920~30年代の〈ウィアード・テールズ〉に寄稿していた、あるいは寄稿していなくても、何らかの点でその周囲の文化圏との親しさが認められるような英語圏の作家たちである。

当時の〈ウィアード・テールズ〉では、フランク・オウエンを売るのに「オリエンタル・ファンタジー(東方幻想小説、東洋幻想譚)」という惹句が用いられた。ひょっとしたらこれは当時の編集者が適当に思いついてその場でつけたフレーズで、当時からわずかな影響力しか持っていなかったかもしれない。ドナルド・コーリイやアーネスト・ブラマは、1960 年代後半~70年代前半まで続いたリン・カーター編の伝説的ファンタジー叢書〈Ballantine Adult Fantasy〉にてカーターによって再発掘されようとしたが、その時すでに彼らは「discovery」さるべき「忘れられた作家」として扱われていた。ともあれ、1920~30年代のジャンル文芸誌とリン・カーターによる再評価の視線をともに足場にすることで、英語圏における〈東方幻想〉の作家たちという文化圏を想定してみることは十分に可能なのだと言えると思う。

…などと語りつつ、のっけから恐縮だが、自分自身は以下にあげる作家の作品をわずか一作しか読んでいない場合もある。彼らは長編を書いておらず短編作家で、また邦訳そのものがそもそも一篇しかなかったりする。それでもこうして紹介をしたためるのは、やはり興味を持ってくれるかもしれない人のことを思ってだと思う(そして、なにより自分がもっと読んでみたい!)。時おりしも、アメリカ文学の埋もれた巨星、ジェイムズ・ブランチ・キャベルの長編の刊行が進んでいるが、これから詳述するコーリイの作品集に序文を付しているのがこのキャベルである。ジェイムズ・ブランチ・キャベル、A・E・コッパード、ヴァーノン・リーといった英語圏小説史に煌めく宝石の数々に、さらに彩りを添えるものが近く登場することを期待したい。

・ドナルド・コーリイ

・「金色の嘴の鳥」(「ミステリマガジン」91年8月号)

現時点で唯一邦訳されているコーリイの作品(翻訳は山崎淳)。アジアの一地域とおぼしきキルザンは大公によって支配されているが、その宮殿の紫瓦の屋根からは白い百合が花を咲かすように無数の細身の塔が伸びている。鶴、鵜、太陽鳥、今は孔雀と呼ばれているタキイム、臆病なセラヴ、高麗鶯、鵬(ロック)……遠い北の土地から、はるけき南の国から、この塔には季節に応じてどんな鳥もがやってくる。

この小説には、一般的な意味でのストーリーは事実上ない。後半に訪れる大公の妻ヌリバルスの悲劇はいかにも取ってつけたふうで、ほとんど小説を終わらせるためにしか機能していないかのように思えるほどだ。〈東方幻想〉の作家たちについて言及した数えるほどの日本語書籍である『世界幻想作家事典』からコーリイの項を拾ってみよう。

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 アメリカの小説家。(中略)創作活動の最盛期は1920年代、30年代であり、それ以後はまったく沈黙した。
 作品の特徴は、支那趣味(シノワズリー)を色濃く示す東洋綺譚風なファンタジーにあり、これといったプロットもなく、ひたすら東洋のエキゾチックな情景を描写する。J・B・キャベルの知遇を得たが、傾向としては、ヨーロッパ中世に眼を向けていたキャベルとは微妙に違うようだ。(後略)
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本短編においても、登場人物は前衛的なまでについぞ動き回ることがない。代わりに、緩漫に滑っていくハンディカムのような視点で、宮殿や中庭の外面や装飾、そこでバレエを踊る踊り子たちの様子が執拗に描写されていく。

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 けれども、この二つの伝説に基づくバレーは、もうずいぶん長い間上演されなかった。キルザン大公ラシャナディンが国境いの戦さで宮殿を留守にしていたからである。だが、大公が凱旋した夏のある日の午後、彼は妻のヌリパヌルに挨拶をし、銀糸細工でこしらえた角灯の形の耳環(その中に光源のつもりの紅玉がはめ込んであった)を彼女に贈った。そして打ち出し模様の鎧を脱いで絹のローブに着換え、戦陣の疲れを忘れるため、鵬のバレーと金色の嘴の鳥のバレーを演じるよう命じた。

 大公は寝椅子に寝そべって、二十人の踊る処女たちの姿に疲れた眼を休めた。処女たちは象牙で拵えた城を頭に載せ(それは異国の女人像柱のようだった)、肩に銀の塔を担いで大公の戦捷を祝う踊りを踊った。

 穀物を簸るときに用いる籠からたわわな花を取り出し、花粉を撒きちらすと(最初は、赤土と金色の砂とを舞踊着の衣裳の壁から撒いた)そこにできた幻の畑に穀物の種を蒔き、レジストリナの木の花と、黄と赤のミニアチュアの芥子の花を植えた。

 そして、頭に載せていた象牙の城と肩に担いでいた銀の塔を畑のなかに置くと、実り豊かな大地に城のある町がいくつも誕生した。これは大公の領地と財産のすばらしさを讃える踊りだった。そして、踊り子たちが被っていた青い薄絹が敷石の上に拡げられた。それは大公の領地の先きにある大海原になった。退場する踊り子たちは長い髪を畑の上になびかせて恵みの雨を、薄絹の上に脱ぎ捨てた沓によって大海に浮ぶ大公の艦隊を表わしたのである。
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こういう文章を提示してしまえる所に本作の読みどころと美しさはある。もう少し刈り込めば、小説としてではなく散文詩として媒体に発表できるのではないかと思えるほどだ。

この作品がコーリイの作品の中で良い部類に入るのかそうでないかということについては、本作しか読んでいない自分には判断はつかない。しかし上記〈Ballantine Adult Fantasy〉中、リン・カーター編のアンソロジー『Discoveries in Fantasy』(コーリイの作品が二作採られている)の装幀は本作をモチーフとしており、作風が確かに発揮されている一品であるというのが個人的な推測である。

惜しむらくは、これ以上の良い翻訳もありえるのではないかと考えられること(踊り子の「slippers」を「沓(くつ)」と訳しているといった工夫はみられるのだが)。西崎憲さんあたりの翻訳で読めたら最高ではないかと直感しているのだけど。

興味深いのは、「オリエンタル・ファンタジー」といいながら、アジアのどの国をモチーフにしているのか判然としないことだ。キルザン大公は「大公(原文では「arch-prince」)」という東アジア的でない呼称で呼ばれているし、「焼いた銀の魚のかけら」や「蜂蜜をかけた米の料理」が公子の食卓に上る一方で、そもそも「キルザン」という響きは中国ふうの印象を受けない。コーリイは生年すらわかっていないという謎の作家だが、20~30年代という時代を考慮すると、東洋を知るための情報源も限られ、オウエンと同じように想像と気合だけでひたむきな〈東方への夢〉を紡いでいたのかもしれない。


・フランク・オウエン

荒俣宏『世界幻想作家事典』より、オウエンの項を拾ってみよう。

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アメリカの怪奇小説作家。本名はRoswell Williams。主としてアメリカの怪奇パルプ誌〈Weird Tales〉に作品を発表したが,すでに1920年代からラフカディオ・ハーンに影響を受けた支那幻想小説を多数発表,ラヴクラフトやハワードら後に同誌の中核的作家になる人物でさえ生前ほとんど単行本を出せなかったのと対照的に,美しいハードカバー本を数冊出版した。処女集“The Wind That Tramps the World”I929に収められた標題作は、世界を渡って国々の秘密を盗み見る風が,その風の企みを知った人間を追い回す奇妙なファンタジーであり,他の短編集“”The PurpleSea'' 1930、“Della-Wu,Chinese Courtezan; and Other Oriental Love Tales”1931、“Rare Earth”1931、“A Husband for Kutani”I938、“The Scarlet Hill”1941もことごとくが幻想の支那に材を取った夢幻的なファンタジーを収めている。しかしオーエンは実際に支那へ出掛けたことがなく,その意味で純粋に支那趣味(シノワズリ―)の精華といえるだろう。本邦に紹介されるべき異数の作家である。なお最後のオムニバス集“The Porcelain Magician”1948は旧作のうち出来のよい佳作を集めたものである。(強調引用者)
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実際に中国に行ったことはないのに、ひたすら東方幻想の小説を書き続けたというのは、ひどく興味ぶかく感じられる。しかも20~30年代には、アメリカでは定期的なテレビ放送すら始まっておらず、中国に関する知識はきわめて限られていたはずだ。

高山直之編訳『Downwind』(盛林堂書房)にて「空を渡る老人」を読んだ時の感激を忘れることはできない。拙ブログ上の当時の感想を以下にコピーしておく。
「もう10年くらい前からずっと読みたかった作家なので、いいタイミングで読めてよかった。一応筋立てとしては、幻想の中国を舞台に、花園の主である老人とそこを訪れる童子との交流を描く。などと要約できなくもないのだけど、作品の魅力は翻訳であることを忘れてしまうような文章の美しさと、そこから醸成される無風地帯のように静かなこの雰囲気なので、綺麗な小説が好きな人はまずは現物にあたってほしい。」

これ以上の感想は個別に記さないが、非商業誌も含めるとある程度の邦訳があるので以下に作品をリストしておく。なお、中村融による架空アンソロジー風の王国』(ブログ「SFスキャナー・ダークリー」)においては「世界を渡る風」が劈頭に配置されている。


支那のふしぎな薬種店」(荒俣宏編『魔法のお店』(ちくま文庫))
「世界を渡る風」(那智史郎・宮壁定雄編『ウィアード・テールズ01』(国書刊行会))
「青の都」(大瀧啓裕編『怪奇幻想小説シリーズ ウィアード04 The Weird Vol.4』(青心社文庫))
「さかさまの家」(「幻想文学」64号)
「折れた柳」(「FANTAST」24号)

・アーネスト・ブラマ

この人も邦訳はおそらく一作きり。イギリスの作家だが、短編数作が〈Ballantine Adult Fantasy〉におけるカーター編のアンソロジーに再録されている。

・「絵師キン・イェンの不幸な運命」(「ソムニウム」4号 特集:シノワズリ
コーリイに引き続き、一作読んだだけで何かを語ることに不誠実さを感じる方もいると思うが、どうしても発掘したい。というか、初めてラファティ久生十蘭を読んだ時と同じくらいのショックを受けた。ただしそれはあくまで驚きの度合いということであって、想像力の質として似ている面などはたぶんない。無限退行すれすれの語り口だけで読者を卒倒させる異様な小説で、方法論としてはフラン・オブライエンの傑作「ジョン・ダフィーの弟」に少しだけ近いものを感じた。ストーリーそのものはミステリ小説に分類はされるだろう。

これは悪い小説だ。リン・カーターの時代にすでに<忘れられた作家>とみなされていた東方幻想の作家たち、そのアンソロジーを日本で企画するとして〈美的至福〉を味わえる一冊してパッケージングすることがただちに考えられる。しかし、オウエンやコーリイや他の作家のアンビエントな佳品が並んでいるところに本作のような作品を投入したら、鉱水に毒々しい泥水をぶち込むかのように一瞬でアンソロジーの色彩が変わってしまうのではないか。…と言ってしまいたくなるほどの破壊的傑作。

参考文献・参考記事
荒俣宏『世界幻想作家事典』(国書刊行会)
西崎憲「東洋幻想譚管見」(「SFマガジン」2004年7月号 特集:異色作家短編集・別巻)
幻想文学」67号(特集:東方幻想)
「FANTAST」24号(特集:オリエンタル・ファンタジィ)
「FANTAST」37号(特集:東と西)

 

きれいはきたない きたないはきれい

 今月入った池袋のフォー専門店の足元に置いてあったカゴ。店内を思わず見渡して見るとお客さんは自分以外みんなベトナム人で、この注意書きにベトナム語訳が添えられているのに必然性があるように感じられてくる。そう、日本はかくもホスピタリティにあふれた国で、お店に来てくれたお客さん全員の足元に専用のゴミ箱をそっと置いてくれるのだ。(2019)

 

 

昨日の話の続き。この「秋刀魚」18年秋号では、台湾で開かれた「世界最美的教科書展」の会場の様子がたくさんの写真とともに掲載されている。

驚いたのは、大きいテーブルに「デザインの洗練された(と台湾の人が感じてくれている)」日本の教科書が並べられ、偕成社の<世界のともだち>のシリーズまでがきれいにディスプレイされて鎮座している! この<世界のともだち>、世界のさまざまな国の子どもたちの生活の様子をカメラマンがとらえた素晴らしいシリーズなんだけど、これはもはや「日本に固有の文化を好いてくれる」を超えて「日本人が世界を見つめるその視点を好いてくれる」という所まで行っている気がする。それから記事を読んでの印象ですが、台湾の人は日本のモノづくりやデザイン、本づくりの技術を相当に吸収し参考にしてくれているようでありがたいですねえ。

ネパール (世界のともだち)

ネパール (世界のともだち)

 

 

ふっふー、これ、どこの国の広告でしょう? なんとびっくり、日本ではなく台湾(「秋刀魚」2018年秋号)。この雑誌のコンセプトが「日本文化の発見」であることを差し引いても、小松菜奈菅田将暉の登場する「nico and…」の一枚がそのまま輸入されていることには驚いちゃいます。「であうにあう」とか「運命の出会いより、偶然の出会いください。」とかのキャッチコピーも日本語のまま。笑

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「Riddle of Poetry」(Norton Lectures)

ある大学の図書館で偶然発見した、ボルヘスの講演CD。敬愛するボルヘスの肉声を、まさかスペイン語ではなく自分が勉強している英語で聞くことになろうとは!ある詩人について、「Worth rereading」などと語ってくれるのがうれしい。

ボルヘスの英語だって「完璧」ではないけれど、その語り口はとても情熱的だ。

 

「皆川博子の本棚」特製ペーパー

2015年に紀伊國屋書店新宿本店で行われた「皆川博子の本棚」フェア。そこで配布されたペーパーに掲載されているお薦め本リストが以下。

 「皆川博子の本棚」特製ペーパー

万葉秀歌(斎藤茂吉)(岩波新書)
塚本邦雄の歌集(『塚本邦雄の宇宙』等)
葛原妙子の歌集(『現代歌人文庫』等)
マルドロールの歌(ロートレアモン
「酩酊船」を含む詩集(『ランボオ詩集』等)(アルチュール・ランボー)
悪童日記アゴタ・クリストフ) ハヤカワepi文庫
ふたりの証拠(アゴタ・クリストフ) ハヤカワepi文庫
第三の嘘(アゴタ・クリストフ) ハヤカワepi文庫
ジェゼベルの死(クリスチアナ・ブランド) ハヤカワミステリ文庫
ミステリ・オペラ(山田正紀) ハヤカワ文庫JA
象られた力(飛浩隆) ハヤカワ文庫JA
パラダイス・モーテル(エリック・マコーマック) 創元ライブラリ
世界の果ての庭(西崎憲) 創元SF文庫
Q(ルーサー・ブリセット) 東京創元社
シチリア艦隊(アレクサンダー・レルネット=ホレーニア) 東京創元社
別荘(ホセ・ドノソ) 現代企画室
氷(アンナ・カヴァン) ちくま文庫
マルセル・シュオッブ全集 国書刊行会
教皇ヒュアキントス(ヴァーノン・リー) 国書刊行会
無力な天使たち(アントワーヌ・ヴォロディーヌ) 国書刊行会
ブルーノ・シュルツ全集 新潮社
白痴(ドストエフスキー) 新潮文庫
ミノタウロス佐藤亜紀) 講談社文庫
暖炉(野溝七生子) 展望社
シルトの岸辺(ジュリアン・グラック) 岩波文庫
夷狄を待ちながら(J・M・クッツェー) 集英社文庫
レメディオス・バロ 絵画のエクリチュール・フェミニン(カトリーヌ・ガルシア) 水声社
あの薔薇を見てよ(エリザベス・ボウエン) ミネルヴァ書房
ラピスラズリ山尾悠子) ちくま文庫
カストラチュラ(鳩山郁子) 青林工藝社
E'.T.Insolite パルファム・プロテティーク(佳嶋) エデイシオン・トレヴィル
幻想の挿絵画家 カイ・ニールセン(海野弘解説・監修) マール社
うろんな客(エドワード・ゴーリー) 河出書房新社
西洋の書物工房 ロゼッタ・ストーンからモロッコ革の本まで(貴田庄) 朝日選書
人体の物語 解剖学から見たヒトの不思議(ヒュー・オールダシー=ウィリアムズ) 早川書房
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯(ウェンディ・ムーア) 河出文庫

ペーパーにはコメントの項もあり、そこでのみ言及されている作品もある。例えばホセ・ドノソは『夜のみだらな鳥』を挙げたかったが、絶版のため『別荘』を挙げたとのこと(2020年現在は水声社より入手可)。また、たとえば佐藤亜紀について「デビュー作以来ずっと、精密な知識と深い洞察力、表現の見事さに、畏敬の念をおぼえています」との記述も。

雪みたいな雨が会場のあたりでは降っていたけど、IELTSを受けてきた。Speakingのセクションで「大人が嘘をつくのはどのくらいシリアスか」という質問をされて、思わず「友達の誕生日のためにサプライズケーキを用意するぐらいのwhite lieくらいならいいんじゃないか」と答えたらネイティブのおじさんにクスリと笑われた。セクションによってはスコア7.5取れているんだけど、もう少しOverallを伸ばしたい次第。

「「思考は口の中でつくられる」とトリスタン・ツァラは言った。エドモン・ジャベスは言った、「書物は火や水と同じくらい古い」と――そしてわたしたちは知っている、その両方が正しかったのだと。」
(ジェローム・ローゼンバーグ『新たなるモデル、新たなるヴィジョン――パフォーマンスの詩学のための覚書』)

池澤夏樹『塩の道』(書肆山田)

旅人の詩集である。旅についての本ではなく、旅人についての本。

旅人というのはつまり一番だまされや
すいたぐいの人間で、もう少し先に何
かあると思って一生でも歩きつづける

 

詩人は、このように静かに言い放つ。

波の打ち寄せる海をみて歌い、珊瑚礁の上で遊ぶ。天末線を見やり、カモメの声に耳をひらきながら、あてどもなく砂浜をさまよう。文学的自意識の駆動のありように、村上春樹とはまた異なったかたちの、ナルシスの魅力の結晶がみとめられる。センチメンタルでありながらも、洗練のみを志向するのではない。どういうわけか、どこかが小汚い。

この本が、詩集のかたちをとっていることのすばらしさはなんだろう。ここにある作品群が構想されたころ、著者はすでに、旅への情熱の虜になっていた。観光ガイドや紀行文のように、異国をゆく体験が、知的にまとめ上げられているわけではない。自身の足の裏という、触覚のアンテナに引っかかったものだけを、無造作に、ぱっぱと言語化していく。雑然とはしているが、磯や島や、夏の朝の成層圏のエレメントが、塩の柱のように明晰に輝いている。

本書は、小説におけるデビューに先がけた、池澤氏の初の著作である。ああ、キャリアの最初期にこんな本を持てるなんて! 理想的な船出と呼んでみて、いいのではないだろうか。

2016年○月×日

自分が卒業した大学でtravel writingを講じているオーストラリア人のアナに手紙。この先生がやっている留学生向けの授業に、1ターム分混ぜさせてもらったのである。

池澤夏樹の詩集「塩の道」の中の一節を英語で紹介したい一心でつづったのだが、自分のこの英訳で少しでもニュアンスは伝わっただろうか。 “The travelers are, in short, the kind of person who are likely to be deceived most often, and thus they are willing to spend their whole lives walking, with expecting something a little ahead of them.”

 

飯田橋にある洋書/英語教材屋さんのNellie'sに行ったら、こんな本を見つけた。

「Science Fiction: A Very Short Introduction」。オックスフォード大学の人気シリーズ「Very Short Introduction」のうちの一冊。ジョナサン・カラーの『文学理論』の巻には大学時代にお世話になりました。邦訳は岩波書店から「一冊でわかる」というややヌルめのタイトルでシリーズ刊行されているけど、少なくともこのSFの巻は訳されていない。

原書のシリーズのほうは、縞模様の装幀がエレガントで、本屋さんの棚に並んでるのを見ると統一感があってすごく好き。そして、英語圏には日本にあるような意味での「新書」に完全に対応するものって存在しないから、こういうシリーズはこころみとして貴重。

中身はまだぱらぱら繰り始めた程度なんだけど、たとえばマーガレット・アトウッドについて、「Where Le Guin shows utopia to be an ultimate goal unreached in her novel, The Handmaid's Tale(1985) describes a fundamentalist theocracy achieved.」。こんな記述はやはり文学史家的という感じがする。

SF批評を紹介する項では、ディレイニー、ディッシュ、レムといった実作者によるものが意外にも(?)重視されているようにみえる。小説の日本での未訳作品については、とくにオクタヴィア・バトラーのXenogenesis三部作が個人的には気になりまくり。(2018)

 

Very Short Introductions: Science Fiction
David Seed
Oxford University Press (Japan) Ltd.
売り上げランキング: 157,052

台北の「濃ゆい」マンガ喫茶「MangaSick」レポート

漫画喫茶+書店の役割を兼ねている台北のお店、MangaSick。うわさには聞いていたけどめちゃくちゃ濃いお店です。

日本の観光ガイドやネットなどでは「サブカル漫画」や「タコシェ的な漫画」を多く取り扱っているなどと紹介されていたりする(例:松田義人『台湾迷路案内 ガイドブックにあんまり載らない台湾ディープスポット』オークラ出版)。けれど萌え4コマから電撃コミックス、(昔のタームで言う)ガンガン系、さらには日台両国のエッセイコミックなどまで幅広く取り揃えているところをみると、充実した「青年マンガ」を用意していると見る方が正しいのではないだろうか。写真でお見せするのは氷山の一角で、とにかく蔵書数がすごい!


五十嵐大介市川春子黒田硫黄アフタヌーン四季賞〉出身組とでも言うのか。

 


高野文子岡崎京子桂正和など。高野文子『棒がいっぽん』はこのお店を経営している2人のうちの一人、黄廷玉さんが翻訳している。岡崎京子は自分も好きな『東京ガールズブラボー』がセレクトされていてニヤリ。

 


同じ列の右側。ほしよりこ『逢沢りく』のひらがなの「りく」も翻訳されると漢字表記に。

 


豊田徹也さそうあきら岡本倫、石塚英一、戸田誠二など。

 


同じ列の右側。かつて「神様なんて信じていない僕らのために」で少なくない数のマンガファンの心を震わせた『遠藤浩輝短編集』まで!『失踪日記』の吾妻ひでおは、ひらがなが用いられている下の名前は漢字に直されている。

 


一部のマンガは、もはや日本で出版されてから台湾版が出るまでにほぼタイムラグがないようにすら見受けられますね。(このお店を訪れたのは2018年夏)



岩岡ヒサエ『オトノハコ』。お気に入りの一冊を見つけたうれしさで思わず手に取ってパチリ。

 


BLもかなり大量に。

 


入江亜季九井諒子など「コミックビーム」に作品を発表している作家たち。本のそれぞれ左右にどういう関連性を持たせるかという部分に、やはりお店なりの必然性が感じられる。

 


福野聡の子どもをテーマにした連作集『少年少女』ほか(誰かの人生を変えてしまうほどの傑作)。なんでも訳されてるなあ。

 


鳴子ハナハルかみちゅ!』ほか。『かみちゅ!』はアニメもあるんだけど、このマンガ版も丁寧に作り込まれていてとてもいい作品。……とか、誰にでもなく語りたくなってしまう。

 


ばらスィー苺ましまろ』、あずまきよひこよつばと!』ほか。

 


吉田戦車いがらしみきお大沖あらゐけいいちほか。この写真に写っている作品、すべて日本語でなく翻訳モノです!

 

 


マンガ評論やガイドブック。この種の本をまとまった形で手に取ることができる場所は日本でも希少だし、中国語の文献にまでアクセスできる。「知日」や南信長の評論集、さらにはTMR(東京大学漫画調査班)の同人誌まで!

 

 


「フリースタイル」、「このマンガがすごい!」、「文藝別冊」ほか。

 


荒俣宏澁澤龍彦『夢の宇宙誌』中国語版、ペヨトル工房の本(『標本箱の少年』なんて懐かしい!)ほか。

 


装丁、ブックデザインの本。

 

 

ばるぼら野中モモ『日本のZINEについて知っていることすべて』。

 

 

その時々のオススメや新刊を並べていると思われる、お客さんに表紙が見えるかたちで陳列しているスペース。

 


台湾のマンガ家さんの漫画。今回の訪問ではしっかりチェックできず、写真のみ。


また、写真を撮ってはいないけれど、朝日新聞などに掲載されたマンガ家のインタビューやマンガについての記事をA4のクリアファイルに入れて本棚に収めていたりもしていた。マンガ史的に価値がある資料も所蔵しているように思えるので、研究者の方もレッツゴー。

 

 

お店の外観。最寄り駅からそう遠くはないものの、看板などはまったくないので要注意。休日、営業時間などもネットで調べてから訪れましょう!

なお、今回お店の方に許可を得て撮影したマンガ単行本だが、写真を見ればわかる通り、全てが中国語版なわけではない。日本語でマンガを楽しみたい現地のお客さんのためにとか、原書としての現物を見せたいとか、理由はいろいろだろうけど、日本の出版社のマンガなども含まれる。それぞれの写真をクリックすると拡大されるので、参考にしてもらいたい。