読んでいる本『台湾の若者を知りたい』(岩波ジュニア新書、2018年)。

文字通り台湾の教育事情や、10代~20代前半の人々の日常生活を綿密な取材により追いかけた好著。この中で女子高校生の黄さんという人への長めのインタビューが収録されているんですが、その中でこんな衝撃的な受け答えが。以下、「制服は好きですか。」という著者による質問への黄さんによる応答。

「制服はすごく好きです。(略)朝、何を着て行くか悩まなくてもいいから。10月31日は景美女中の『制服日(制服の日)』なんです。この日には卒業生も制服を着て大学に登校します。他の高校にもそういう習慣があります。制服の日のためのSNSコミュニティーもあります。海外に留学中の先輩も、通っている学校のキャンパスで制服を着て撮った写真をアップして、シェアします。ただし、これは大学1年生限定のイベントです」(強調引用者、また景美女中とは黄さんの通っている高校)

つまり、年に一度、台湾の大学生が高校時代の制服を着て登校をする日があると。正直、タイヘンにヘンタイちっくに感じられるのはワタクシだけでしょうか。「本当にこんなのあるんかーい!」と思って検索したら紹介している日本語のサイトもいくつもあるし、スカイプで台湾の知人に聞いてみても「ある」って言ってました。

ていうか、もっと単純にインスタグラムでハッシュタグ「制服日」でサーチするといくらでも写真が出てきます。面白い現象だと思うのでZIPあたりどこかのテレビ番組にぜひ取材してもらいたい。

台湾の若者を知りたい (岩波ジュニア新書)

台湾の若者を知りたい (岩波ジュニア新書)

  • 作者:水野 俊平
  • 発売日: 2018/05/23
  • メディア: 新書
 

 

「牯嶺街少年殺人事件」

上映時間約3時間50分、2018年にデジタルリマスター版DVD発売。著名な批評家による言及をまたずとも映画史に刻まれることを運命づけられた、比類なき傑作。柔らかい光を浴びた子ども達がバスケットボールに興じる、ただそれだけの画面が美しすぎて泣いてしまう。近現代史の巨大な渦の中に小石としての少年少女を配置してみるこころみでもあると思うので、たとえば「外省人」「国民党政府」「国共内戦」といった台湾史の知識は理解に不可欠だと思う。そのための参考書として赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための60章』(明石書店)、(台湾関連本としては発行から少し時間がたっているが)田村志津枝「台湾発見 映画が描く「未知」の島」(朝日文庫)を挙げておきたい。(2019)

新刊で出た時には買っていなかった佐々木敦『ソフトアンドハード』(太田出版)を読む。(守備範囲の広い人なので、どんな作品が取り上げられているか気になって)パラパラめくる程度のつもりで読み出したんだけど、三段組の時評のパートがかなり面白くて初めから終わりまで熟読してしまった。

岩波書店のシリーズ『世界文学のフロンティア』へのレビューには思わずふせんを貼ってしまう。

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すごく楽しみにしていたシリーズが遂に刊行開始。ゴンブロヴィッチ、ジェイン・ボウルズが入った『愛のかたち』、カントルやパウンド収録の『ノスタルジア』とまず二冊。「世界文学」ってワールドミュージックと同様でイデオロギッシュに機能してしまう危険性があると思うのだが、それを逆手に取ったかのような、各テーマの設定とメンツのそろえ方に覗く編者達の戦略と愛情に打たれました。
(強調引用者)

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「世界文学」ってワールドミュージックと同様でイデオロギッシュに機能してしまう危険性がある」という指摘は示唆深いなと思う次第。多ジャンルのレビューを手がける人ならではの発想だと思うし、たとえば都甲幸治や沼野充義池澤夏樹を読む時にこういう視点があってもいいと思う。普遍の顔をしているものの中に、気づきにくいバイアスが横たわっていることもありうるわけで。

米川良夫編訳『マリネッティをお少し』(非売品)


イタリア〈未来派〉の詩人・マリネッティの作品をその名の通り「少し」だけ編訳した一冊。〈未来派〉と言っても、たとえばタルホのようなキラキラ感を期待してはいけない。

コトバを円形に配置するとか、タイポグラフィ上の工夫があったりするけど、そのことそのものは今の時代には新奇さをもたらさないと思う。個人的には「視覚」よりもむしろ、列車が爆走してゆく時にレールが立てるかん高い軋んだ音とか、気球から放射されるバイブレーションとか、耳に飛び込んでくる要素に快さを感じた。20世紀のヨーロッパ前衛文学運動の上でも重要なひとりとされているわけだし、もっと読んでみたい。

鳥の声

きょう本を読んでいて、とてもいいなと思った一節。台湾映画を紹介する田村志津枝『台湾発見 映画が描く「未知」の島』(朝日文庫、単行本は1989年)のあとがき。

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「この本の原稿を書きあげて、三月のはじめごろ、ほぼ一年ぶりに台湾を訪れた。(…)台北は思いのほか寒かったが、高雄から屏東へ、そこからさらに山の中腹にある三地門へ向かうころは、東京の初夏を思わせるような汗ばむほどの暖かさになっていた。車窓の景色も、背の高い椰子の林がどこまでもつづき、そこここにブーゲンビリアやハイビスカスが咲き乱れ、すっかり南国の風情だ。訪ねる先は三地門からさらに山中に入った、パイワン族の彫刻家・撒古流の仕事場だ。

(中略)

撒古流に会ったときの印象は鮮烈だった。パイワン族の正装だという、白地に黒の縫い取り紋様をほどこした体にぴたりとそった服を身につけ、けわしい山道でも駆け登りそうな身軽さながら、語る言葉はあくまでも静かだった。自分たちの文化や言語や習慣を護りつたえる活動についても、「世界中にはいろんな鳥がいる。さまざまな姿形と鳴き声をもっている。そのひとつでも姿を消したら、やはり寂しくはないか」と聴衆に問いかけ、だから自分たちの文化も消滅させないつもりだと、気負わずに話す。

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「そのひとつでも姿を消したら、やはり寂しくはないか」。自分がいま勉強している外国語は英語で、どうしたって少数言語と呼ぶことはできない。しかしなぜかこの言葉を目にした瞬間、大学生のころ「読者が存在しない」と言われるような現代詩、マイナーな単巻マンガや雑誌に埋もれたきりの短篇小説をブログで紹介してきた自分の行動に、ある種の意味を与えてもらった気がした。クリエイターという言葉にもアーティストという言葉にも歯が浮きそうになることがあるが、マージナルな才能とは真の意味でそこにしかいない、固有の色の羽根を持つ現存在ではないか?

晴れの日もソファで散歩

・『olive』(マガジンハウス)

あの「olive」が1号限定で特別刊行(2020年春)。オトコであるわたしはわずかなうしろめたさを感じつつ、静かな場所でひとりこっそりページを繰りました。小松菜奈最果タヒ衿沢世衣子川島小鳥といった2010年代の極私的ミューズたちが多数登場。もちろんモデルさんたちも麗しい。1号と言わず毎月出して!

anan特別編集 Olive(マガジンハウスムック)

anan特別編集 Olive(マガジンハウスムック)

  • 発売日: 2020/03/31
  • メディア: ムック
 

 

思いついて、台湾の知人に、(その人が学んでいた)中学や高校の国語の教科書にどういった文学作品が載っていたかをたずねてみる。なお、その方は90年代以降生まれ。

メッセージで返ってきた回答によると、

・国語の教科書にのっている作品は古文と現代文学の2種類
・古文はいわゆる中国の古典文学だが、現代文学は中国人作家と台湾人作家の作品の両方があり、「数から見ればほとんど半々(原文ママ)」

とのこと。また、先日自分が読んだ朱天心は「台湾生まれだが父が中国出身なので彼女も眷村文学に分類されることが多い」とか、他にもオススメの作家を挙げてもらったりとか、自分の知らない知識をいろいろ授けてもらった気分。

昔は台湾の歴史教科書でも中国についての記述が量として圧倒的で、台湾についてはごくわずかだったと聞く。それが民主化の後に大きく変わって、では国語教育は?というのが自分の質問の背後にあるものだったので、答えてもらえてうれしかった。

(こういう質問をもっともっといろんな国の人に尋ねてみて世代で分けたり「当時の教科書残ったりしてない?」とか聞いたり、リサーチ結果をまとめたりしたら楽しそうだなと思うのですが、ここをご覧の方でご協力くださる/情報をお持ちである方はいらっしゃらないでしょうか)

〈東方幻想〉の作家たち(に向けてのノート)

たったいま仮にタイトルに付した「〈東方幻想〉の作家たち」という言葉を目にして、あなたならどんな作家や具体的作品を思い浮かべるだろうか。たとえばユルスナールの『東方綺譚』やカルヴィーノの『見えない都市』といった作品なら、たしかな数の日本の読者、さらには作家にまで暖かく迎えられているように感じられる。いや、「西洋人が東洋を舞台にして書いた超自然の要素を持つ小説」というだけなら、数え上げるのがほとんど無意味に感じられるまでに多く存在する。

むしろ今日この記事で取り上げたいのは、固有名詞としての〈東方幻想〉の作家たちなのだ。ラテンアメリカ文学の〈ブーム〉の作家たち、というときと、日本におけるラテンアメリカ文学の翻訳ブーム、というときとでは「ブーム」という語の意味は異なるように、ある時期、ある雑誌、ある叢書に作品が凝集した作家たちの一団を中心にこれを考えてみたい。すなわち、1920~30年代の〈ウィアード・テールズ〉に寄稿していた、あるいは寄稿していなくても、何らかの点でその周囲の文化圏との親しさが認められるような英語圏の作家たちである。

当時の〈ウィアード・テールズ〉では、フランク・オウエンを売るのに「オリエンタル・ファンタジー(東方幻想小説、東洋幻想譚)」という惹句が用いられた。ひょっとしたらこれは当時の編集者が適当に思いついてその場でつけたフレーズで、当時からわずかな影響力しか持っていなかったかもしれない。ドナルド・コーリイやアーネスト・ブラマは、1960 年代後半~70年代前半まで続いたリン・カーター編の伝説的ファンタジー叢書〈Ballantine Adult Fantasy〉にてカーターによって再発掘されようとしたが、その時すでに彼らは「discovery」さるべき「忘れられた作家」として扱われていた。ともあれ、1920~30年代のジャンル文芸誌とリン・カーターによる再評価の視線をともに足場にすることで、英語圏における〈東方幻想〉の作家たちという文化圏を想定してみることは十分に可能なのだと言えると思う。

…などと語りつつ、のっけから恐縮だが、自分自身は以下にあげる作家の作品をわずか一作しか読んでいない場合もある。彼らは長編を書いておらず短編作家で、また邦訳そのものがそもそも一篇しかなかったりする。それでもこうして紹介をしたためるのは、やはり興味を持ってくれるかもしれない人のことを思ってだと思う(そして、なにより自分がもっと読んでみたい!)。時おりしも、アメリカ文学の埋もれた巨星、ジェイムズ・ブランチ・キャベルの長編の刊行が進んでいるが、これから詳述するコーリイの作品集に序文を付しているのがこのキャベルである。ジェイムズ・ブランチ・キャベル、A・E・コッパード、ヴァーノン・リーといった英語圏小説史に煌めく宝石の数々に、さらに彩りを添えるものが近く登場することを期待したい。

・ドナルド・コーリイ

・「金色の嘴の鳥」(「ミステリマガジン」91年8月号)

現時点で唯一邦訳されているコーリイの作品(翻訳は山崎淳)。アジアの一地域とおぼしきキルザンは大公によって支配されているが、その宮殿の紫瓦の屋根からは白い百合が花を咲かすように無数の細身の塔が伸びている。鶴、鵜、太陽鳥、今は孔雀と呼ばれているタキイム、臆病なセラヴ、高麗鶯、鵬(ロック)……遠い北の土地から、はるけき南の国から、この塔には季節に応じてどんな鳥もがやってくる。

この小説には、一般的な意味でのストーリーは事実上ない。後半に訪れる大公の妻ヌリバルスの悲劇はいかにも取ってつけたふうで、ほとんど小説を終わらせるためにしか機能していないかのように思えるほどだ。〈東方幻想〉の作家たちについて言及した数えるほどの日本語書籍である『世界幻想作家事典』からコーリイの項を拾ってみよう。

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 アメリカの小説家。(中略)創作活動の最盛期は1920年代、30年代であり、それ以後はまったく沈黙した。
 作品の特徴は、支那趣味(シノワズリー)を色濃く示す東洋綺譚風なファンタジーにあり、これといったプロットもなく、ひたすら東洋のエキゾチックな情景を描写する。J・B・キャベルの知遇を得たが、傾向としては、ヨーロッパ中世に眼を向けていたキャベルとは微妙に違うようだ。(後略)
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本短編においても、登場人物は前衛的なまでについぞ動き回ることがない。代わりに、緩漫に滑っていくハンディカムのような視点で、宮殿や中庭の外面や装飾、そこでバレエを踊る踊り子たちの様子が執拗に描写されていく。

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 けれども、この二つの伝説に基づくバレーは、もうずいぶん長い間上演されなかった。キルザン大公ラシャナディンが国境いの戦さで宮殿を留守にしていたからである。だが、大公が凱旋した夏のある日の午後、彼は妻のヌリパヌルに挨拶をし、銀糸細工でこしらえた角灯の形の耳環(その中に光源のつもりの紅玉がはめ込んであった)を彼女に贈った。そして打ち出し模様の鎧を脱いで絹のローブに着換え、戦陣の疲れを忘れるため、鵬のバレーと金色の嘴の鳥のバレーを演じるよう命じた。

 大公は寝椅子に寝そべって、二十人の踊る処女たちの姿に疲れた眼を休めた。処女たちは象牙で拵えた城を頭に載せ(それは異国の女人像柱のようだった)、肩に銀の塔を担いで大公の戦捷を祝う踊りを踊った。

 穀物を簸るときに用いる籠からたわわな花を取り出し、花粉を撒きちらすと(最初は、赤土と金色の砂とを舞踊着の衣裳の壁から撒いた)そこにできた幻の畑に穀物の種を蒔き、レジストリナの木の花と、黄と赤のミニアチュアの芥子の花を植えた。

 そして、頭に載せていた象牙の城と肩に担いでいた銀の塔を畑のなかに置くと、実り豊かな大地に城のある町がいくつも誕生した。これは大公の領地と財産のすばらしさを讃える踊りだった。そして、踊り子たちが被っていた青い薄絹が敷石の上に拡げられた。それは大公の領地の先きにある大海原になった。退場する踊り子たちは長い髪を畑の上になびかせて恵みの雨を、薄絹の上に脱ぎ捨てた沓によって大海に浮ぶ大公の艦隊を表わしたのである。
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こういう文章を提示してしまえる所に本作の読みどころと美しさはある。もう少し刈り込めば、小説としてではなく散文詩として媒体に発表できるのではないかと思えるほどだ。

この作品がコーリイの作品の中で良い部類に入るのかそうでないかということについては、本作しか読んでいない自分には判断はつかない。しかし上記〈Ballantine Adult Fantasy〉中、リン・カーター編のアンソロジー『Discoveries in Fantasy』(コーリイの作品が二作採られている)の装幀は本作をモチーフとしており、作風が確かに発揮されている一品であるというのが個人的な推測である。

惜しむらくは、これ以上の良い翻訳もありえるのではないかと考えられること(踊り子の「slippers」を「沓(くつ)」と訳しているといった工夫はみられるのだが)。西崎憲さんあたりの翻訳で読めたら最高ではないかと直感しているのだけど。

興味深いのは、「オリエンタル・ファンタジー」といいながら、アジアのどの国をモチーフにしているのか判然としないことだ。キルザン大公は「大公(原文では「arch-prince」)」という東アジア的でない呼称で呼ばれているし、「焼いた銀の魚のかけら」や「蜂蜜をかけた米の料理」が公子の食卓に上る一方で、そもそも「キルザン」という響きは中国ふうの印象を受けない。コーリイは生年すらわかっていないという謎の作家だが、20~30年代という時代を考慮すると、東洋を知るための情報源も限られ、オウエンと同じように想像と気合だけでひたむきな〈東方への夢〉を紡いでいたのかもしれない。


・フランク・オウエン

荒俣宏『世界幻想作家事典』より、オウエンの項を拾ってみよう。

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アメリカの怪奇小説作家。本名はRoswell Williams。主としてアメリカの怪奇パルプ誌〈Weird Tales〉に作品を発表したが,すでに1920年代からラフカディオ・ハーンに影響を受けた支那幻想小説を多数発表,ラヴクラフトやハワードら後に同誌の中核的作家になる人物でさえ生前ほとんど単行本を出せなかったのと対照的に,美しいハードカバー本を数冊出版した。処女集“The Wind That Tramps the World”I929に収められた標題作は、世界を渡って国々の秘密を盗み見る風が,その風の企みを知った人間を追い回す奇妙なファンタジーであり,他の短編集“”The PurpleSea'' 1930、“Della-Wu,Chinese Courtezan; and Other Oriental Love Tales”1931、“Rare Earth”1931、“A Husband for Kutani”I938、“The Scarlet Hill”1941もことごとくが幻想の支那に材を取った夢幻的なファンタジーを収めている。しかしオーエンは実際に支那へ出掛けたことがなく,その意味で純粋に支那趣味(シノワズリ―)の精華といえるだろう。本邦に紹介されるべき異数の作家である。なお最後のオムニバス集“The Porcelain Magician”1948は旧作のうち出来のよい佳作を集めたものである。(強調引用者)
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実際に中国に行ったことはないのに、ひたすら東方幻想の小説を書き続けたというのは、ひどく興味ぶかく感じられる。しかも20~30年代には、アメリカでは定期的なテレビ放送すら始まっておらず、中国に関する知識はきわめて限られていたはずだ。

高山直之編訳『Downwind』(盛林堂書房)にて「空を渡る老人」を読んだ時の感激を忘れることはできない。拙ブログ上の当時の感想を以下にコピーしておく。
「もう10年くらい前からずっと読みたかった作家なので、いいタイミングで読めてよかった。一応筋立てとしては、幻想の中国を舞台に、花園の主である老人とそこを訪れる童子との交流を描く。などと要約できなくもないのだけど、作品の魅力は翻訳であることを忘れてしまうような文章の美しさと、そこから醸成される無風地帯のように静かなこの雰囲気なので、綺麗な小説が好きな人はまずは現物にあたってほしい。」

これ以上の感想は個別に記さないが、非商業誌も含めるとある程度の邦訳があるので以下に作品をリストしておく。なお、中村融による架空アンソロジー風の王国』(ブログ「SFスキャナー・ダークリー」)においては「世界を渡る風」が劈頭に配置されている。


支那のふしぎな薬種店」(荒俣宏編『魔法のお店』(ちくま文庫))
「世界を渡る風」(那智史郎・宮壁定雄編『ウィアード・テールズ01』(国書刊行会))
「青の都」(大瀧啓裕編『怪奇幻想小説シリーズ ウィアード04 The Weird Vol.4』(青心社文庫))
「さかさまの家」(「幻想文学」64号)
「折れた柳」(「FANTAST」24号)

・アーネスト・ブラマ

この人も邦訳はおそらく一作きり。イギリスの作家だが、短編数作が〈Ballantine Adult Fantasy〉におけるカーター編のアンソロジーに再録されている。

・「絵師キン・イェンの不幸な運命」(「ソムニウム」4号 特集:シノワズリ
コーリイに引き続き、一作読んだだけで何かを語ることに不誠実さを感じる方もいると思うが、どうしても発掘したい。というか、初めてラファティ久生十蘭を読んだ時と同じくらいのショックを受けた。ただしそれはあくまで驚きの度合いということであって、想像力の質として似ている面などはたぶんない。無限退行すれすれの語り口だけで読者を卒倒させる異様な小説で、方法論としてはフラン・オブライエンの傑作「ジョン・ダフィーの弟」に少しだけ近いものを感じた。ストーリーそのものはミステリ小説に分類はされるだろう。

これは悪い小説だ。リン・カーターの時代にすでに<忘れられた作家>とみなされていた東方幻想の作家たち、そのアンソロジーを日本で企画するとして〈美的至福〉を味わえる一冊してパッケージングすることがただちに考えられる。しかし、オウエンやコーリイや他の作家のアンビエントな佳品が並んでいるところに本作のような作品を投入したら、鉱水に毒々しい泥水をぶち込むかのように一瞬でアンソロジーの色彩が変わってしまうのではないか。…と言ってしまいたくなるほどの破壊的傑作。

参考文献・参考記事
荒俣宏『世界幻想作家事典』(国書刊行会)
西崎憲「東洋幻想譚管見」(「SFマガジン」2004年7月号 特集:異色作家短編集・別巻)
幻想文学」67号(特集:東方幻想)
「FANTAST」24号(特集:オリエンタル・ファンタジィ)
「FANTAST」37号(特集:東と西)

 

きれいはきたない きたないはきれい

 今月入った池袋のフォー専門店の足元に置いてあったカゴ。店内を思わず見渡して見るとお客さんは自分以外みんなベトナム人で、この注意書きにベトナム語訳が添えられているのに必然性があるように感じられてくる。そう、日本はかくもホスピタリティにあふれた国で、お店に来てくれたお客さん全員の足元に専用のゴミ箱をそっと置いてくれるのだ。(2019)

 

 

昨日の話の続き。この「秋刀魚」18年秋号では、台湾で開かれた「世界最美的教科書展」の会場の様子がたくさんの写真とともに掲載されている。

驚いたのは、大きいテーブルに「デザインの洗練された(と台湾の人が感じてくれている)」日本の教科書が並べられ、偕成社の<世界のともだち>のシリーズまでがきれいにディスプレイされて鎮座している! この<世界のともだち>、世界のさまざまな国の子どもたちの生活の様子をカメラマンがとらえた素晴らしいシリーズなんだけど、これはもはや「日本に固有の文化を好いてくれる」を超えて「日本人が世界を見つめるその視点を好いてくれる」という所まで行っている気がする。それから記事を読んでの印象ですが、台湾の人は日本のモノづくりやデザイン、本づくりの技術を相当に吸収し参考にしてくれているようでありがたいですねえ。

ネパール (世界のともだち)

ネパール (世界のともだち)

 

 

ふっふー、これ、どこの国の広告でしょう? なんとびっくり、日本ではなく台湾(「秋刀魚」2018年秋号)。この雑誌のコンセプトが「日本文化の発見」であることを差し引いても、小松菜奈菅田将暉の登場する「nico and…」の一枚がそのまま輸入されていることには驚いちゃいます。「であうにあう」とか「運命の出会いより、偶然の出会いください。」とかのキャッチコピーも日本語のまま。笑

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「Riddle of Poetry」(Norton Lectures)

ある大学の図書館で偶然発見した、ボルヘスの講演CD。敬愛するボルヘスの肉声を、まさかスペイン語ではなく自分が勉強している英語で聞くことになろうとは!ある詩人について、「Worth rereading」などと語ってくれるのがうれしい。

ボルヘスの英語だって「完璧」ではないけれど、その語り口はとても情熱的だ。

 

「皆川博子の本棚」特製ペーパー

2015年に紀伊國屋書店新宿本店で行われた「皆川博子の本棚」フェア。そこで配布されたペーパーに掲載されているお薦め本リストが以下。

 「皆川博子の本棚」特製ペーパー

万葉秀歌(斎藤茂吉)(岩波新書)
塚本邦雄の歌集(『塚本邦雄の宇宙』等)
葛原妙子の歌集(『現代歌人文庫』等)
マルドロールの歌(ロートレアモン
「酩酊船」を含む詩集(『ランボオ詩集』等)(アルチュール・ランボー)
悪童日記アゴタ・クリストフ) ハヤカワepi文庫
ふたりの証拠(アゴタ・クリストフ) ハヤカワepi文庫
第三の嘘(アゴタ・クリストフ) ハヤカワepi文庫
ジェゼベルの死(クリスチアナ・ブランド) ハヤカワミステリ文庫
ミステリ・オペラ(山田正紀) ハヤカワ文庫JA
象られた力(飛浩隆) ハヤカワ文庫JA
パラダイス・モーテル(エリック・マコーマック) 創元ライブラリ
世界の果ての庭(西崎憲) 創元SF文庫
Q(ルーサー・ブリセット) 東京創元社
シチリア艦隊(アレクサンダー・レルネット=ホレーニア) 東京創元社
別荘(ホセ・ドノソ) 現代企画室
氷(アンナ・カヴァン) ちくま文庫
マルセル・シュオッブ全集 国書刊行会
教皇ヒュアキントス(ヴァーノン・リー) 国書刊行会
無力な天使たち(アントワーヌ・ヴォロディーヌ) 国書刊行会
ブルーノ・シュルツ全集 新潮社
白痴(ドストエフスキー) 新潮文庫
ミノタウロス佐藤亜紀) 講談社文庫
暖炉(野溝七生子) 展望社
シルトの岸辺(ジュリアン・グラック) 岩波文庫
夷狄を待ちながら(J・M・クッツェー) 集英社文庫
レメディオス・バロ 絵画のエクリチュール・フェミニン(カトリーヌ・ガルシア) 水声社
あの薔薇を見てよ(エリザベス・ボウエン) ミネルヴァ書房
ラピスラズリ山尾悠子) ちくま文庫
カストラチュラ(鳩山郁子) 青林工藝社
E'.T.Insolite パルファム・プロテティーク(佳嶋) エデイシオン・トレヴィル
幻想の挿絵画家 カイ・ニールセン(海野弘解説・監修) マール社
うろんな客(エドワード・ゴーリー) 河出書房新社
西洋の書物工房 ロゼッタ・ストーンからモロッコ革の本まで(貴田庄) 朝日選書
人体の物語 解剖学から見たヒトの不思議(ヒュー・オールダシー=ウィリアムズ) 早川書房
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯(ウェンディ・ムーア) 河出文庫

ペーパーにはコメントの項もあり、そこでのみ言及されている作品もある。例えばホセ・ドノソは『夜のみだらな鳥』を挙げたかったが、絶版のため『別荘』を挙げたとのこと(2020年現在は水声社より入手可)。また、たとえば佐藤亜紀について「デビュー作以来ずっと、精密な知識と深い洞察力、表現の見事さに、畏敬の念をおぼえています」との記述も。

雪みたいな雨が会場のあたりでは降っていたけど、IELTSを受けてきた。Speakingのセクションで「大人が嘘をつくのはどのくらいシリアスか」という質問をされて、思わず「友達の誕生日のためにサプライズケーキを用意するぐらいのwhite lieくらいならいいんじゃないか」と答えたらネイティブのおじさんにクスリと笑われた。セクションによってはスコア7.5取れているんだけど、もう少しOverallを伸ばしたい次第。