台北の「濃ゆい」マンガ喫茶「MangaSick」レポート

漫画喫茶+書店の役割を兼ねている台北のお店、MangaSick。うわさには聞いていたけどめちゃくちゃ濃いお店です。

日本の観光ガイドやネットなどでは「サブカル漫画」や「タコシェ的な漫画」を多く取り扱っているなどと紹介されていたりする(例:松田義人『台湾迷路案内 ガイドブックにあんまり載らない台湾ディープスポット』オークラ出版)。けれど萌え4コマから電撃コミックス、(昔のタームで言う)ガンガン系、さらには日台両国のエッセイコミックなどまで幅広く取り揃えているところをみると、充実した「青年マンガ」を用意していると見る方が正しいのではないだろうか。写真でお見せするのは氷山の一角で、とにかく蔵書数がすごい!


五十嵐大介市川春子黒田硫黄アフタヌーン四季賞〉出身組とでも言うのか。

 


高野文子岡崎京子桂正和など。高野文子『棒がいっぽん』はこのお店を経営している2人のうちの一人、黄廷玉さんが翻訳している。岡崎京子は自分も好きな『東京ガールズブラボー』がセレクトされていてニヤリ。

 


同じ列の右側。ほしよりこ『逢沢りく』のひらがなの「りく」も翻訳されると漢字表記に。

 


豊田徹也さそうあきら岡本倫、石塚英一、戸田誠二など。

 


同じ列の右側。かつて「神様なんて信じていない僕らのために」で少なくない数のマンガファンの心を震わせた『遠藤浩輝短編集』まで!『失踪日記』の吾妻ひでおは、ひらがなが用いられている下の名前は漢字に直されている。

 


一部のマンガは、もはや日本で出版されてから台湾版が出るまでにほぼタイムラグがないようにすら見受けられますね。(このお店を訪れたのは2018年夏)



岩岡ヒサエ『オトノハコ』。お気に入りの一冊を見つけたうれしさで思わず手に取ってパチリ。

 


BLもかなり大量に。

 


入江亜季九井諒子など「コミックビーム」に作品を発表している作家たち。本のそれぞれ左右にどういう関連性を持たせるかという部分に、やはりお店なりの必然性が感じられる。

 


福野聡の子どもをテーマにした連作集『少年少女』ほか(誰かの人生を変えてしまうほどの傑作)。なんでも訳されてるなあ。

 


鳴子ハナハルかみちゅ!』ほか。『かみちゅ!』はアニメもあるんだけど、このマンガ版も丁寧に作り込まれていてとてもいい作品。……とか、誰にでもなく語りたくなってしまう。

 


ばらスィー苺ましまろ』、あずまきよひこよつばと!』ほか。

 


吉田戦車いがらしみきお大沖あらゐけいいちほか。この写真に写っている作品、すべて日本語でなく翻訳モノです!

 

 


マンガ評論やガイドブック。この種の本をまとまった形で手に取ることができる場所は日本でも希少だし、中国語の文献にまでアクセスできる。「知日」や南信長の評論集、さらにはTMR(東京大学漫画調査班)の同人誌まで!

 

 


「フリースタイル」、「このマンガがすごい!」、「文藝別冊」ほか。

 


荒俣宏澁澤龍彦『夢の宇宙誌』中国語版、ペヨトル工房の本(『標本箱の少年』なんて懐かしい!)ほか。

 


装丁、ブックデザインの本。

 

 

ばるぼら野中モモ『日本のZINEについて知っていることすべて』。

 

 

その時々のオススメや新刊を並べていると思われる、お客さんに表紙が見えるかたちで陳列しているスペース。

 


台湾のマンガ家さんの漫画。今回の訪問ではしっかりチェックできず、写真のみ。


また、写真を撮ってはいないけれど、朝日新聞などに掲載されたマンガ家のインタビューやマンガについての記事をA4のクリアファイルに入れて本棚に収めていたりもしていた。マンガ史的に価値がある資料も所蔵しているように思えるので、研究者の方もレッツゴー。

 

 

お店の外観。最寄り駅からそう遠くはないものの、看板などはまったくないので要注意。休日、営業時間などもネットで調べてから訪れましょう!

なお、今回お店の方に許可を得て撮影したマンガ単行本だが、写真を見ればわかる通り、全てが中国語版なわけではない。日本語でマンガを楽しみたい現地のお客さんのためにとか、原書としての現物を見せたいとか、理由はいろいろだろうけど、日本の出版社のマンガなども含まれる。それぞれの写真をクリックすると拡大されるので、参考にしてもらいたい。

ユリイカ」特集:K−POPスタディーズ(18年11月号)。大和田俊之の論考的エッセイがタイトルからして面白い。というか、書き出しから飛ばしまくり。

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 現在、私は職業的な危機を迎えている。これまでアメリカの音楽文化を専門に講じ、執筆もしてきたが、正直に告白すると、昨年以来アメリカの音楽に接する時間はめっきり減ってしまった。その代わり、私はK-POPばかり聴くようになっている。

Sportifyを開いても、以前は自動的にRap Cavierなどのヒップホップのプレイリストを流していたのが、最近はほぼ無意識にK-POP DaeBakやK-POP Risingなどのリストをシャッフル再生している。アメリカのレズビアンカップルがK-POPのリアクション動画を次々に投稿する「K!Junkies」にチャンネル登録し、日々新曲のチェックに勤しむだけでなく、ツイッターに生息するK-POP沼の皆さんに導かれつつ、HEIZEやYESEO、OOHYOなどいわゆるアイドル以外のジャンルも聴くようになった。

大学のアメリ音楽史の授業でジャズの映像を見せようとスクリーンにYoutubeのサイトを開くと、履歴欄にBTSやRed VelvetやNCT127やBLACKPINKなどの映像が並んで学生から失笑が漏れる有様だ。また昨年の授業中、調子に乗ってBTSアメリカでの成功についてひとしきり話したときは、リアクションペーパーで「先生、ご自分の専門を見失わないでください。いいかげんにヒップホップに戻ってきてください」と叱責されたこともある。

大和田俊之「博士(アメリカ文学)の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めてK-POPを愛するようになったか」
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論考全体が起承転結をそなえた抱腹絶倒のエッセイになっていて、それでいてアメリ音楽史に通暁している人だからこその知識がふんだんに詰めこまれていて満&足。

特集全体は通読していないんですが、他の方の文章にも熱がこもっていて「へえ~!」と勉強になります。BTS「春の日」のMVの中でル=グィンの短篇に由来する「オメラス」という名の宿が出てくるとか、ル=グィンのあの作品が好きかつ、にわかArmyのワタシは不思議な感慨を覚える次第。(2019)

 

朱天心「古都」(国書刊行会)

初めに、川端康成の『古都』を小説の内部に大胆に取り込んでいるという紹介をどこかで見た。そのため、上巻が川端康成、下巻が朱天心によって書かれた『古都』という大きな一つの物語をイメージし、川端の読了後に手を休めずに読み始めた。

その選択は正しかったと思う。魂震わせる傑作であり、クロード・シモンカルペンティエールといった20世紀文学の精髄と比べても、技巧的に少しも劣るようには思えない。

台湾人の「あなた」は、かつては何者にも束縛されず、放課後に林を抜けてライトグレーの海に行き、夏の夜の天の川を指差して女友達と誓いを立てる奔放な少女だった。女友達のAとは月光を浴びながら同じベッドに入り、「同性愛って面白いのかしら」という質問にも答えずに、深い満足感とともに眠ることができた。

それから20年。政治的激動を背景とし社会の、自己の、自分のまわりの友人のすべてが嘘のように変わってしまった後で、「あなた」はAの残映を追い、娘の手を引いて京都を彷徨する。

……と、このように前半のストーリーをかいつまんでみることもできるのだが、物語はけっしてリニアに、あるいは時間線に沿って進むことはない。時空間の自在な飛び越えを前提に、読者はひとつのパラグラフ、ひとつのセンテンスで数十年、数百年の歴史の旅をつづけざまに経験することになる。国内外の古典や現代文学から美麗島(フォルモサ)を初めて発見した時のオランダ人の記録、声、文献までが地の文に流入し、詩的なのに濁りのある独自の小説空間が浮上する。

読者の目の前にあでやかな百種の〈南国〉の花をくり出しながらもそれを時間差で次々に雑草に変えてしまうというスタイルに、戸惑う人もいるかもしれない。けれどこれは複雑なものを複雑なままに提示しようとする作家の誠実さの表れなのであって、個としてのアイデンティティと国家としてのアイデンティティが震動したまま重ね合わせられるこの構成は、20世紀文学の大きなテーマである時間と意識の問題を描破するところまで突き抜けてしまっている気がする。

これから手に取る読者のために、ネタバレは控えたい。しかし、地の文が継ぎ目なく川端の『古都』に接続され、その登場人物である千重子や苗子までが召喚される作品であることを加味するなら、割れたガラスのように作品に散りばめられた〈双子〉のイメージをより深く理解するためにも『古都』(新潮文庫)を先に読んでおくことをおすすめする。台湾の近現代史に自信がないなら、先に訳者あとがきに目を通してみてもいいかもしれない。もうひとつ最後につけ加えると、この読書の途上で知らない草花に出会うたびに私はGoogle画像検索をし、台湾という土地にさらなる親しみを覚えた。

 

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ジェフ・ライマンによる日本SF宣伝のポスト

とあるきっかけで12月にジェフ・ライマン氏と少しだけやりとりをしたのですが、そこから派生して(?)ライマン氏が日本SFを宣伝してくれています。

以下、事のなりゆき。19年にダブリンで行われたワールドコンにおいて、星雲賞の授賞式と日本SFの紹介を兼ねた「星雲賞授賞式および日本SFの現在」というパネルがありました(司会・巽孝之、ほかに登壇者として藤井太洋小谷真理、平井博英)。この場にいたジェフ氏はPowerpointで取り上げられた作品群(『第六大陸』『ハイブリッド・チャイルド』『神聖代』など英語で現在入手できる日本SF)に興味を持ち、訳された本の名を自分なりにメモしたようです。

さて、ジェフ氏は近年アフリカSFの普及や作家の支援に力を注いでおり(Strange Horizonsの充実した記事を参照)、Facebookで「African Science Fiction and Fantasy Reading Group」というアフリカSF&ファンタジーの書き手と読者のためのグループを主催・管理しています(公開だが承認制)。このグループ内で1月2日に上記日本SFのリストを「The Beautifully presented ceremony」といったコメントとともに紹介してくれています。氏の発言およびScience Fiction & Fantasy Translation Awardsに協力しているという事実、「征たれざる国」に見られる作品思想から考えても、氏が親アジアの感情を抱いてくれているとみてもよさそうな気がします。なお、Facebookのグループには投稿の検索機能があるので、上記グループで「Dublin」などと入れてみると該当のポストにたどり着けるはずです。

私たちの知らない所で日本文学の花は咲いている

・その1
フィンランドのファッション誌「REVS」で高橋睦郎の特集(via ジェフリー・アングルスtwitter)。文脈が読めなさすぎて笑った。

・その2
ジェフリー・アングルスの協力で、アメリカ・ミシガン州のマイヤー野外彫刻館に多田智満子の詩を刻んだ石碑が建てられた。アングルスは気鋭の日本文学研究者で、多田智満子の選詩集を英訳で出しているのでご存じの方もいるかもしれない。刻まれたこの詩の訳も彼によるもの。

https://www.meijergardens.org/storage/docs/Holzer_ForTheGarden_credits_(2).pdf

写真はこのPDFの3ページ目。

○月×日 台北 金瓜石

台北のとある私立大学の、日本語学科の子2人に台北の観光地を案内してもらうことになった。この日の午前中三人が訪れたのは金瓜石というパワースポットで、九份へと向かうバスで九份に着いても降りずに、そのままさらに長いこと乗ってついに逢着したその終着点である。(僕たちを除いたすべての観光客が九份で降りたので、本当に正しいバスか不安になって運転手さんに訪ねたほどだった!)

陰陽海という海を身近に見下ろせる、山の上の地。頂から海を見やると、水の色がある線を境に黄土色めいた不思議な色と濃い青色とでくっきりと別れているのがわかる。観光客は僕たちを除けば中国語を話す数人だけで、建物も視界には数えるほどしかない。全体の空気を王のように支配しているのは、風に吹かれてゆれる金色のススキの音である。

お昼に入った小さな食堂で二人に手渡したのは、表参道のMOMA Design Storeで買ってメッセージをしたためたグリーティング・カードと、今日マチ子のオールカラー・マンガ『センネン画報 その2』。各ストーリーは基本的にタイトルを除きセリフなしでお話が進むので、日本語を勉強している子にいいかなと思ったのだ(このマンガはタイトルと絵との響きあいがシャープな世界観をつくり出すため、辞書を引いてタイトルの意味がわかった瞬間にマンガ全体の読み方もあざやかに変わるかもしれない)。

ほかに「文字が少ない」「読み終わった後に充実感が得られる」「(なにより)自分が単純に好き!」といったものとして

・蜂飼耳+牧野千穂「うきわねこ」
谷川俊太郎「クレーの天使」

といった絵本も旅行の荷づくり中にぱっとひらめいたが、結局はなんとなく上記の本に(いきなり第2巻から渡したのも、2巻のほうが1巻より個人的に好きなので)。「恋の話っぽい」とページをめくりながら笑って言っていたけれど、気に入ってくれればいいな。

2010年に読んだ本のベスト(収穫)

※「2010年代に読んだ本のベスト」ではなく、「2010年という一年に読んだ本のベスト」

ジュリアン・グラック「狭い通路」

ハイナー・ミュラー「指令」

文月悠光「適切な世界の適切ならざる私」

粕谷栄市「世界の構造」

朝吹亮二「密室論」

アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ「懊火」

岩岡ヒサエ「オトノハコ」

三島衛里子高校球児ザワさん

ウィリアム・M・ティムリン「星の帆船」

入沢康夫「遠い宴楽」

内田善美「ソムニウム夜間飛行記」

野又穣「Points of View 視線の変遷」

沢渡翔+舟崎克彦+宇野亜喜良「天使のパヴァーヌ

グレッグ・イーガン「ワンの絨毯」

雪舟えま+今橋愛「snell」創刊号

衿沢世衣子「ちづかマップ」

矢川澄子佐々木マキ「わたしの気まぐれA to Z」

冬野さほ「“hello, hello”」

フリオ・コルタサル「遊戯の終り」

野間宏「顔の中の赤い月」

三島由紀夫「癲玉のテラス」

ジャック・レダ「パリの廃墟」

内藤礼「地上にひとつの場所を」

河野道代「花・蒸気・隔たり」

フリッツ・ライバー「バケツ一杯の空気」

李禹煥「立ちどまって」

吉田博「吉田博全木版画集」

安西冬衛「軍艦茉莉」

江代充「梢にて」

友原康博「いざつむえ」

こがわみさき「セツナカナイカナ」

山尾悠子「歪み真珠」

アウグスト・モンテローソ「ミスター・テイラー」

 

〇補遺

間宮緑「ラプンツェルの塔」

手原和憲「ミル」

 

読み直される限り、どんな作品も新しい。

小説のストラテジー♯

視覚的でありながら絵画では表現不可能な世界、絵画を超えた世界。
山尾悠子やシュオッブやボルヘスの小宇宙、ごく初期の荒巻義雄や(少し落ちるが)粕谷栄市のいくつかの作品。
これらは物語を展開させ推進させる動力を
必要としないし、相性が悪い。だから、長編に向いていない。
荒巻の『神聖代』も後半はほとんど失敗している。
ではこの路線の小説は世界を構築するまではいいとして、どのように結末をつけるのがよいのか。
登場人物をそこで動き回らせドラマを演じさせると、ほぼ確実に失敗する。
というか、そのパターンの成功例があれば教えてほしいと思う。
ひとつの逃げ道としては、結末などつけずにただ世界の在りかたのみを記述するという手段がある(『世界の構造』)。
そうではなく、読者を興奮させ目眩を与える最良の方法。
これはひとつしかないと思う。つくりあげた世界を、いっきょに「壊す」ことだ(「夢の棲む街」「大地炎上」)。
緻密かつ精巧につくりあげられた世界。「ゆえに」、これを一撃で粉砕した時の美しさは比類ない。

ファッション系の展覧会にももっと足を運びたいという気持ちで、目黒の東京都庭園美術館にて「装飾は流転する」。

すべての展示を見おえたあとに待っているミュージアムショップで、なぜか2013年という昔に発行された「美術手帖初音ミク特集が平積み。ぱらぱらめくってみてから(さらに表紙に戻って)ちいさな文字とその意味するところに気づいたのだけど、このミクのイラストの「fashion direction」が本展覧会に参加している山縣良和によるものだった。絵そのものを描いているのはちゃんとしたある絵師さんなんだけど、ミクが「着ている」ファッションの方向づけは氏ということなのですね。面白い。

この庭園美術館、建物もいいのだけど庭園が素晴らしいので(さりげなく茶室まである!)ぜひ帰りぎわにでも散策してみてください。(2018)

美術手帖 2013年 06月号
美術手帖 2013年 06月号
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美術出版社

Shaun Tan「Cicada」(Arthur A. Levine)

なんとびっくり、傑作『アライバル』の著者、ショーン・タンが新作のモチーフに選んだのは働き者の日本の会社員。

勤勉なさまをわが国の言い方では「アリのように働く」と言うことがあるけれど、面白いことにオーストラリア出身のこの作家はそんな存在をセミ(cicada)として描写してみせる。

(ショーン・タンと日本との関わりはけっこう深い。2011年に来日した際の大阪府立中央図書館でのトークイベントでも子どもの頃どれだけ任天堂のゲームに熱中していたかについて語っていたし、『Rules of Summer』の特定のページにも招き猫がさりげなく顔を出していたりする。英語圏のcartoonの伝統からはほとんど切り離されたかに見える愛くるしいキャラクター造形に僕たちが共鳴してしまうのは、根っこのどこかに宿る力があるのである)

この作品は一応は〈現代の寓話〉を志向しているのであって、日本という具体的な国の名が出てくるわけではない。しかし、巻末にあの日本文学の引用が掲げられているのを見ても、現代日本社会が直接的間接的なインスピレーションの源泉になっているということは明らかだと思う)

あまりにも短い絵本で、私たちをも驚かせるような文明批評を展開する代わりに、〈ちょっとした不思議〉(a touch of strange)に逃げてしまっている気がする。個人的には、もう少し長いストーリーを読みたかった。

それでも、この絵本の最大の見どころは美術作品としても充分に鑑賞に耐えうる表紙の一枚絵であって、この絵が産み落とされるためだけにも絵本の意味はあったと思う。だいたい、あなたはこんなセミの表情を見たことがあるだろうか? 40年後にこの銀河のどこかで開かれるショーン・タンの展覧会で、この作品に出会ったら足を止めて泣いてしまう気がする。泣く予定である。(2019.4)

Cicada
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Shaun Tan
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読書日記

2017年 ○月×日

 カナダの古本屋から、マイクル・ビショップの短編集「Blooded on Arachne」が届く。海を越えて送られてくるものなのでひと月くらいはのんびり待つつもりだったのだけど、Paypalで支払いを終えた数日後にすぐやって来たのでびっくりした。

質の良い紙を使っているとはお世辞にも言えず、表紙も異星人のチープなイラストレーション。でも、ここにはSF・ファンタジィの広大な世界の中で僕が最も好きな小説のひとつである「宇宙飛行士とジプシー」が収められていて、それを今から英語で読み返すことのできる(しかも偉大な浅倉久志の翻訳とつき合わせながら)興奮にすでに体は震えっぱなし。そして、表紙をめくってみれば献辞は(Dear...)自分が卒論の研究対象とした作家に捧げられていて、静かにうれしくなった。

(なお、2010年8月号にSFマガジン浅倉久志追悼特集が組まれた際、大森望はエッセイでこの作品について触れている。長編・短編問わず浅倉さんの訳した秀作は数え切れないほどある中で、75年のSFマガジンにいちど掲載されたきりのこの作品をあげるということは、それだけでビショップのこの短編の神がかりぶりを物語っているのではないだろうか。)

ジェフ・ライマン「征たれざる国」(中村融・山岸真編『20世紀SF 1980年代 冬のマーケット』河出文庫)

かつて「SFオンライン」というウェブマガジンがあった。SFマガジンとはまたすこし異なった編集方針で好きだったのだが、その中でも特にくり返し見ていたコンテンツが「20世紀SF全作品考課表」(特集「『20世紀SF』を読もう」内)。ずばりあの河出文庫の超巨大アンソロジーのすべての作品に対し、SFファンが5点満点で採点を加えるもので、大森望水鏡子なども参加していた。

この考課表の集計結果で、「町かどの穴」や「デス博士の島その他の物語」といった名だたる傑作をしのいで2位にランクインしているのがこのライマンの「征たれざる国」である(1位はイーガン「しあわせの理由」なのだけど、イーガンはいわゆる「別格」なので、イーガンを除けば1位なのだ!とヘンなことを言ってみたい)。

前評判を知りながら手に取ったことになる。凄絶だった。しかも、予想していたのとはまったく異なる方向へのおそろしさ。核となる部分の紹介は避けるけれど、ル=グインにとってのオメラスがそうであるのと同じような意味で、志が高く、メッセージ性が強い作品である。あるいはこれをしもルポタージュと呼べるのならば、文学的肉親は原民喜「夏の花」やヴォネガットの「ビアフラ――裏切られた民衆」だろうか。

描いているのは今現在も世界各地で続いている紛争や民族問題であり、東南アジアのとある具体的な国名こそ最後まで出ていないだけで、華僑やアメリカ文化の衝撃的な描かれ方によって、いやでも読者は小説の外の現実の方へと目を向けさせられる。

思想的に検討するならばこれは先進国側にいる住人のひとつの内省であって、政治的に保守派の作家なら、全身全霊のこもったこういう作品を書くはずはないと結論づけられる。本書刊行時の2001年に、ふだん作品のコメントに政治的な発言などまず絡めない大森望が「アフガン空爆の続く今こそ再読したい傑作」と端的にもらしているのも(『現代SF1500冊』)、戦場の映像を目撃してしまった後には苦みとともに意味が飲み込めるのだ。(2018.12.20)

追記

考課表を見返していたらまったく同得点による2位がもう一作あって、それはティプトリーの「接続された女」。とはいえ、それでもライマンが2位という事実は変わりない。

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朝井リョウ「時をかけるゆとり」(文春文庫)

史上最年少で直木賞を受賞した作者の初エッセイ集。おもに大学生活のことがつづられている。電車の中で読んでいて、何度も爆笑させられてしまった。

冒頭に置かれている「便意に司られる」には「走れメロス」への言及があるんだけど、この第1章に宿っている爽快な疾走感が本全体のトーンを決めているように思える。

同時に、90年代後半の初期テキストサイト文化の最良の部分にも通じる面白さ/時に自虐ちっくな文章芸だなとも個人的には感じました(テキストサイトも大学生文化の一側面。というところがあったので)。

とあるメディアで、朝井リョウの作品が「ポジティブな劣等感を胸に」という見出しとともに紹介されていた。すぐれた作家の条件である冷静な観察眼をこの人が備えているのは確かなこととして、プラスとてつもないパッションが胸の中で燃えている気がしてうれしい。これだけのほとばしる文才があって、なおかつダンスサークルに所属していたり、京都まで自転車で行ったり、御蔵島の盆踊りの輪に加わったりしてしまう機動力と行動力があるのもうらやましい。

世の中には「ゆとり世代」という言葉もあるけれど、「とある世代であること」になんて還元されない快活な「若さ」がここにはあると思うので、すごーく応援したいです。

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「サラゴサの写本」

ルイス・ブニュエルが3回観直したという、迷宮的悪魔的構造の大長編の傑作(原作はもちろん世界幻想文学大系『サラゴサ手稿』)。騙りが騙りを呼ぶ白と黒の交響楽、手のひらから零れ落ちた物語の玉は天高く翔けてどこまでもどこまでも。

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・フランク・オウエン「空を渡る老人」(『Downwind -高山直之譯詩集-』盛林堂書房)
もう10年くらい前からずっと読みたかった作家なので、いいタイミングで読めてよかった。一応筋立てとしては、幻想の中国を舞台に、花園の主である老人とそこを訪れる童子との交流を描く。などと要約できなくもないのだけど、作品の魅力は翻訳であることを忘れてしまうような文章の美しさと、そこから醸成される無風地帯のように静かなこの雰囲気なので、綺麗な小説が好きな人はまずは現物にあたってほしい。

作者フランク・オウエン(オーウェン)については、荒俣宏西崎憲が幾度か言及している。いわゆるひとつの、アメリカ文学史の a hidden gem to discover、でしょうか。